第5話 スマートフォン
人の感情に敏感で感情表現の苦手な誠様の心をよく理解し気を利かせていらっしゃる。真面目で頑張り屋、世話好きな性格は使用人に合っている。歳の離れた私とも良い関係を築こうと努力してくださる優しいお嬢さん。木村は小百合のことをこう評価していた。
一方の誠はというと、小さくて可愛い。色白で大きな丸い目が可愛い。モグモグ食べる姿が可愛い。いつも一生懸命でちょこちょこ動いてるところが可愛い。
——触れたい。ただ側にいてくれたら良い、そう思っていたはずなのに......。
誠にとっては、日々が修行の様だった。小百合が笑う、駆け寄ってくる、心配してくれる。その度に気もそぞろになった。
雨が降るある日の午後、小百合は掃除機を掛けていた。腰を曲げて床を見ると栗色の長い髪が顔に垂れてきた。
——なんだか暑いなぁ。雨のせいか頭がぼーっとするし......。
髪を耳に掛けながら思う。六月になり梅雨入りしてから体調が優れなかった。加えて、今日は熱っぽい気もしていた。曲げていた腰を元に戻すと、ぐらり——。立ちくらみがした。
「大丈夫?......体調、悪い......?」
いつの間にか誠が側に来ていた。心配そうに、垂れ目をいつも以上に下げている。
「小百合ちゃん......?」
大きな身体を屈めて小百合の顔を覗き込む。
「......ちょっと熱っぽくて......」
誠に下手な嘘は通じないことを小百合はもう分かっていた。
「うん......知ってる。いつ言い出すかと待ってたけど......頑張り過ぎ......」
そう言って誠は小百合の肩に手を置く。
「今日は休んで」
小百合は誠に言われるがまま部屋へ向かった。休んでいいと言われたことがありがたかった。それくらいに体調が良くなかった。
ベッドに横になりながら小百合は邸に来てからのことを思い出していた。誠は冷静で穏やかな性格だった。誠が感情を出すところを小百合は見たことがなかった。強いて言えば、恥ずかしそうにするところぐらいか。誠は本当は優しいのに表情が乏しいせいで勘違いされてしまう。それが小百合の誠への評価だった。
——それにしても誠さん、どうやって生活してるんだろう。私がこの邸に来てから、ずっと家にいるし、まだ働いてる姿も出勤する姿も見たことがない......。
コンコン——。
「小百合ちゃん...?」
「はい......」
「......開けて良い?」
自分が主人であるにも関わらず、こういう些細なことでさえも小百合に許可を求める。それが柊木誠という男だった。
「どうぞ......」
小百合はベッドの上で上半身だけ起こし返事をした。誠がドアを少しだけ開ける。
「お粥......持って来たんだけど、食べられる......?」誠が開いたドアの隙間から顔を覗かせて言った。小百合が頷くとやっと誠は部屋に入って来た。サイドテーブルにお盆をのせる。
「薬も持って来たから飲んで......」
お盆を見ると確かにお粥の横に市販の風邪薬の箱があった。誠は屈んで心配そうな目で小百合を見る。暫くそうしていたが立ち上がりドアの方へ歩いて行く。
「明日も休んで良いから......」
そう言って部屋を出て行った。お粥は食べやすい温かさで塩加減もちょうど良かった。お粥を食べ終わり、風邪薬に手を伸ばした。風邪薬はまだ開封されていなかった。
翌朝、目覚めは幾分すっきりとしていた。小百合はお盆を持って階段を降りて行く。キッチンには先客がいた。木村が紅茶を淹れている。その横でコーヒーメーカーが作動していた。
「おはようございます、小百合様。ご気分はいかがですか?」
「木村さん、おはようございます。だいぶ良くなりました。ご迷惑をお掛けしてすみません。」
木村が微笑みながら首を横に振る。
「ちょうど紅茶を淹れていたところです。誠様を呼んできていただけますか?お部屋にいらっしゃるはずです。」
小百合は頷きながら大切なことを思い出す。
「あっ木村さん、お粥ご馳走様でした。すごく美味しくて食べやすかったです。」
木村が不思議そう首を傾げる。
「お粥......?わたくしはご用意しておりませんよ」
コンコン——。小百合は誠の部屋の扉をノックする。誠さん、木村さんがコーヒーを淹れてくださいました、誠に声を掛ける。分かった、という誠の返事を確認してダイニングルームへ向かう。誠はすぐに降りて来た。珍しく手にスマートフォンを持っていた。
三人でダイニングテーブルを囲む。主人と使用人が一緒に食事やお茶を楽しむ。それが柊木邸の日常だった。主従関係というより家族のようだと小百合は思った。
「誠さん、昨日お粥作ってくださってありがとうございました。すごく美味しかったです。おかげですっかり良くなりました。」
コーヒーを飲んでいた誠の動きが止まる。
「うん...。体調......良くなったなら良かった」
誠がそう言った時、テーブルに置かれた誠のスマートフォンの画面が光った。誠は一瞬画面に目を向けたが、そのままスマートフォンを握りスラックスのポケットにしまった。「新規依頼」という文字がちらりと見えた。
小百合は暫く無言で紅茶を飲んでいたが、意を決して口を開く。
「誠さん、お仕事は......どんなことをされてるんですか?」
一瞬、時が止まった。誠がマグカップをそっとテーブルに置く。木村は視線だけ上げて誠を見ている。誠がふっと微笑んで、止まっていた時が動き出した。
「小百合ちゃんは知らなくていい」
そう言って誠は立ち上がり二階へ上がって行った。誠のマグカップはテーブルに置き去りにされていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます