森の岸辺に

寛久

前編 ー漂着物ー

 私は,見たことはございませんがこの森を抜けてずっとずっとまっすぐ行くと

海というものがあるそうですね.

大きな大きな塩水の湖,みたいなものと聞いております.

そこの水際には,時折り,遠い遠い国から珍しい果物や木が流れ着いたり,ときには,魚や動物や人間の抜け殻も…なんてことも聞いております.


 こういうものを,漂着物というそうですね.

長い年月と塩水に洗われて,色があせ古びたそういうものを,家に持ち帰り宝物のように愛でる人もいると聞きます.

他の人には,価値がなくゴミにしか見えないものを.


 この漆黒の森にも,海と同じように流れつく物があるのです.見張っていないと,

この美しい森が,それらの堆積物で汚れていく…,いや,哀しみで埋もれていくのです.


 あの道の先で,車軸の折れた馬車が横転しています.

この辺りを,根城とする盗賊に襲われでもしたのでしょうか.

馬は,逃げたのか連れ去られたのか見当たりません.


 おや,曲がり角の先の大きな樫の木の根元に,もたれかかっている人がいます. 

近づいてみることにいたします.


 20代半ばのまだ若い,黒髪の男性です.

上等な上着をまとっていますが,それも今は,剣で切られたのか

あちこちが切り裂かれ,血で汚れています.

眼を閉じ,苦し気に肩で息をしています.

ふいに,目を開けて私を見ました.


「アマーリア…」

「君なのか,やっと会えたよ.会いたかった.」


彼には,私が,女性に見えているようです.


「傾いた家門を捨てて,5年.君に早く会いたくて,隣の国でがむしゃらに働いたよ.自分の商会を作って,軌道に乗ってきたんだ.」

「だから,君を迎えに来たんだ.やっとやっとだよ.」

「5年前,僕が出発するとき,君は手ずから刺繡をしたハンカチをくれたよね.これが,僕の支えだったよ」

彼は震える手で,上着の内ポケットから青い鳥が繊細なタッチで刺されたハンカチを取り出してみせました.そして,もう一つビロードの小箱.

「やっと,これで君にプロポーズができる」

覚束ない手で,小箱を開ける.なかには,彼の瞳と同じ黒い石が入った銀色の指輪.

「私と,結婚してください」

「生涯,あなたとともに生きていきたいのです」


彼は,私の左の薬指に震える手で指輪をはめました.


「ああ,5年前と同じ笑顔だ.金色の髪を揺らして,暖かく笑ってくれる.

私の大好きな顔だ.」

「喜んでくれて嬉しいよ.ありがとう.これからも,ずっと一緒だよ」


彼は,嬉しそうに微笑んで大きく息を一つ吐きました.

腕が力なく落ち,その拍子に,膝の上のハンカチが広がります.

スチュワートと縫い取りされた,

古びてるけど大切に手入れをされたハンカチが.


 私の手には,銀色の指輪が残りました.


やがて,スチュワートの体は金色の光に包まれ,光は指輪の中に収束していきました.


 スチュワートの器は,きっと,森が - 雨や雪や風 そして,

菌類や虫や木や鳥や獣が丁寧に扱ってくれるでしょう.

やがて,自然に戻るまで.


 スチュワートの,心を納めに行こうとぼんやりと指を眺めておりました.


と,その時,反対側の森で大気の震えを感じました.


どうやら,戦があったようです.

こんなときには,この漆黒の森にたくさんの漂着物がやってくるのです.

急いで行かなくてはなりません.

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