第15話 横流し

 翌日、宮川は荷役場へ向かう途中で気づいた。


 人の流れが昨日と違う。


 露店が減っている。


 いや、減ったというより、引っ込んでいる。


 MPの取り締まりの影響だった。


 表通りから屋台が消え、細い路地へ移動している。


 東京の闇市は、生き物みたいだった。


 締め付けられると形を変える。


 宮川は荷役場へ入る。


 今日も大量の荷が積まれていた。


 缶詰。衣類。木箱。進駐軍物資。


 腕章の男が怒鳴る。


「そっち急げ!」 「今日横浜便多いぞ!」


 横浜。


 またその名前だ。


 宮川は木箱を運びながら周囲を見る。


 荷票。行先。数量。


 最近、自然と目が行くようになっていた。


 その時、違和感に気づく。


 同じ荷票番号なのに、箱数が違う。


 三十箱。


 帳面ではそうなっている。


 だが実際には二十七しかない。


 宮川は手を止める。


 数え直す。


 やはり足りない。


「どうした」


 腕章の男だった。


 宮川は小声で言う。


「荷、三つ足りない」


 男は一瞬だけ表情を止めた。


 だがすぐ低く言う。


「気にすんな」


 宮川は黙る。


 男は周囲を確認し、さらに声を落とす。


「減るんだよ。ここじゃ」


 それだけ言って去っていく。


 宮川は木箱を見つめる。


 なるほど。


 横流し。


 実際に起きている。


 しかもかなり大規模だ。


 今の東京は管理が崩れている。


 物資不足。人手不足。記録不足。


 だから途中で荷が消える。


 いや。


 消している。


 昼休み、宮川は握り飯を食べながら周囲の会話を聞いていた。


「また浅草側流したらしいぞ」


「酒か?」


「煙草もだ」


「景気いいな」


 皆、普通に話している。


 犯罪という感覚が薄い。


 今は、生きる方が先だ。


 その時、隣の復員兵がぼそりと言う。


「兄ちゃん、数えたろ」


 宮川は少し止まる。


「何を」


「荷だよ」


 男は苦笑する。


「顔に出るんだよ」


 宮川は黙る。


 男は握り飯を食べながら続けた。


「今の東京で、全部帳面通り動くと思うな」


「……」


「配給だって途中で消える。軍物資も消える。皆、腹減ってんだ」


 宮川は小さく息を吐く。


 証券会社時代にも似た話はあった。


 数字が崩れると、人間は必ず抜く。


 今はそれが、国全体で起きている。


 午後、古本屋へ戻る。


 老人は帳面を見ながら言う。


「顔悪いな」


「荷が消えてた」


 老人は鼻で笑う。


「そりゃ消える」


「普通なのか」


「普通だ」


 老人は煙草へ火を付ける。


「今の東京で、真面目だけで生き残れると思うか?」


 宮川は答えない。


 老人は続ける。


「配給だけ守ってたら餓死だ」


 煙が薄く漂う。


「皆どっかで抜く。闇米食う。横流し使う。そうしねえと生き残れん」


 宮川は黙って聞いていた。


 老人はさらに低く言う。


「問題はな、抜きすぎる馬鹿がいる事だ」


 宮川は帳面を見る。


 数字。物。消えた荷。


 全部繋がっていた。


 その時、不意に理解する。


 今の東京で本当に価値があるのは、物そのものではない。


 流れだ。


 どこから来て、どこで消えるか。


 それを知っている人間が、一番強い。


 夜、宿へ戻る。


 闇市は今日も騒がしかった。


 だが昨日より、少し奥へ潜っている。


 MPを避けるように。


 宮川は狭い三畳部屋へ入り、静かに座る。


 スマホを取り出す。


 白い光。未来。


 だが画面を見ながら、宮川は少し考える。


 未来知識だけでは足りない。


 今の東京は、現場を見ないと分からない。


 人間がどう飢え、どう抜き、どう流しているか。


 その「流れ」を掴める人間だけが、生き残る。


 宮川は静かにスマホを閉じた。


 昭和二十一年。


 東京は、巨大な闇の市場になっていた。

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