進んで止まって、前を見て

@iori_yyyyy

進んで止まって、前を見て

 踏みしめられる草の音、鞄と服の擦れる音、 疲れきった僕の息しか聞こえない。周りは霧で覆われ、足元しか見えない。

 僕の前に道はない。地図は元々なかった。


「あぁ……」

 最後に人と会ったのはいつだろう。ふとそんなことを考える。けれど、寂しいとは思わない。

 周りの人には何も言わずに出てきた。きっと止められるから。

「危ない。やめとけ」「遭難したらどうする?」「行って何になるの?」

 そういう言葉は聞きたくなかった。

 唯一、親友には話した。彼は僕の話を聞いて少し考え込んだあと、少し微笑んでから一言。

「帰ってきたら、話聴かせてね」と言った。

 見てみたい景色があった。誰かの話で聞いた、頭の中でだけ見た景色。実際に見てみたかった。でもその場所は、誰も行き方を知らなかった。

 今、自分が足を止めないのは、ここで止まるともう動けないと思うから。来た道をまだ戻りたくないから。あとは「進まないと」 という強い使命のようなものが、僕の足を前へ進める。

「あっ!」

 盛り上がっていた木の根でつまずいた。膝をついてしまう。

「はぁ、はぁ」

 地面についた両手の間に、雫がぽたぽた落ちていく。ひとつぶ、ひとつぶ、草にあたって、弾けていく。

 怪我はない。あまり痛くもない。でも、足が止まった。

 横に生えていた木にもたれて、来た道を振り返る。

 霧の中に消えているけれど、一本の道が確かにそこにあった。自分しか知らない道が、そこにはできていた。

 ずいぶん歩いたな。寒くはないけど、汗をかいてるから冷えてくるだろう。水筒の水もあと一口でなくなる。足も少し震えてきた。

 上を向いて大きく息を吸って、大きく吐いた。

「疲れたなぁ」

 きついけど、辛いけど、不快な気持ちではなかった。

 真っ白い霧の中、汗が冷えていくのを感じながら、息を整えていく。


 音が聞こえた。歩いてる時は気づかなかったけど、音がする。

 サザー……ザザー……。

 遠いけど、音がする。波の音だ。近くに海がある。そう思うと、なぜか足の震えが収まった。

 よし、もう少し。そう思って足に力を込めた瞬間、風が吹いた。

 弱くはない。けど、目を細める程でもない。

 霧が晴れていく。俺は森の中にいた。座ったまま、波の音のする方を向く。

 あぁ…………。心で声が漏れた。見えていなかった景色が広がる。

 僕は丘の上の森の中にいたみたいだ。丘の下には浅い海が広がっている。まだ少し霧がかかっていてはっきり見えないが、遠くに島の影が見える。空には白んだ太陽が高く昇っていた。

 僕が景色を眺めていると、視界の端に何か動くものが入ってきた。

「わぁ〜!すっごい綺麗!」

 見ると、僕と同い年くらいの女の子がキャッキャと飛び跳ね、クルクル回っていた。背中まである黒く艶やかな髪と、裾の汚れている白いワンピースが、ヒラヒラしていた。

「「あっ」」

 目が合った。

「え!あ!こんにちは!」

 女の子が元気いっぱいにそう言った。

「あっこんにちは」

 挨拶を返すや否や、女の子はすごい勢いで近づいてくる。

「お1人ですか?」

「あっはい」

「霧凄くなかったですか?」

「……凄かったですね」

「でも晴れて良かったですよね!」

「そ、そうですね」

凄い勢いで話しかけられ、少し押されてしまう。

「…………」

女の子は急に静かになって、顔をじっと見つめてくる。さっきまでの勢いはどこへやら。彼女の顔は土や泥などで汚れていた。

「えっと、何か?」

 僕が訊くと、女の子は僕が歩いてきた方を向いた。 それから、穏やかな表情になった。体はここにあるけれど、心は遠くにあるような。

 僕も彼女と同じ方を見る。深い森の中に、先の見えない道が伸びていた。

 僕の道だ。

 女の子は垂れた髪を耳にかけ、道を見ながら呟いた。

「長かったですね」

 優しい風が、僕の道から吹いてくる。

「そうですね……」

 僕は懐かしむように答えた。

「きつかったけど、辛かったけど、でも面白かったですよ。何だかいい気分です」

 女の子はそのまま道を見つめている。僕は彼女に尋ねた。

「君はどうでした?」

 女の子は少し離れたところを見た。

 少し離れたところに道があった。その道はごつごつした岩場にあって、道は大きな岩を迂回するように曲がりくねっていた。

「私も……いい気分です」

 女の子も懐かしむように、少し優しい表情で自分の来た道を見つめている。そして伸びをしながら、海の方へ進む。

「んん~……さて」

 女の子は俺を見た。お互い、笑っていた。

「あの島、気になりません?」

 そう言う女の子の口角からはワクワクが滲み出ている。

 僕は目を瞑り、ゆっくりと立ち上がる。

「ちょうど、気になってました」

 僕がそう言うと、女の子の口角が更に上がった。

「海は浅そうだし、歩いて渡れそうですね!あ、濡れても大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫です…あっ」

「えっ?」

 僕は水筒を取り出した。

「もう、水がほとんどないや」

 しまったな。どこかで給水したいんだけどな……。

 そう思っていると、女の子は彼女の道を指差した。

「少し戻ったところに、綺麗な川がありましたよ!」

「本当ですか?じゃあ一旦、そこで水を汲ませてほしいです」

「もちろんです!」

 女の子はピョンピョンと進み出した。兎みたいな子だな。

 僕も後に続く。


 霧は完全に晴れ、温かい風が吹いていた。

 踏みしめられる岩の音、鞄と服の擦れる音、疲れてたはずの僕の息。それから今は、同伴者の優しい鼻歌と跳ねる足音、草木の揺れる音がする。遠くでかすかな波の音がしていた。

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