第46話 次の地図 (第二部・完)

 翌日の部室は、いつもより少しだけ片付いて見えた。


 実際には、そんなことはない。


 机の上にはノートPCが並んでいるし、延長コードは床を這っている。

 ホワイトボードには消し忘れたタスクが残っている。

 絵麻のラフも、美琴のメモも、理子先輩の付箋も、まどか先輩の音素材リストも、ルナのPVタイムコードも、いつも通りそこにあった。


 それでも、昨日までとは違って見えた。


 理由は、たぶん二つある。


 一つは、壁に立てかけられた賞状。


 まだ額縁はない。

 理子先輩が「保存環境が不十分です」と言ったので、ひとまず厚紙の上に置いて、直射日光の当たらない場所へ避難させてある。


 もう一つは、机の中央に置かれた数枚の紙だった。


 昨日届いた、匿名の長い感想。


 美琴が印刷したものだ。


 視聴覚室のノイズ。

 フィルムの収集順。

 泣き顔を描かなかった屋上。

 一本ではない屋上への道。

 最後の一文。


 俺たちが作品の奥に沈めたものへ、知らない誰かが手を伸ばしてきた文章だった。


 賞状は、外の世界から名前を呼ばれた証だった。


 コメントは、作品の奥まで誰かが降りてきてくれた証だった。


 その二つが同じ部室にあるだけで、空気が少し変わる。


 完成したものが、外から戻ってきた。


 そんな感じがした。


「額縁、買った方がいいよね」


 絵麻が賞状を見ながら言った。


「安いやつじゃなくて、ちゃんとしたやつ。ほら、なんか木の枠で、ちょっと重いやつ」


「重量で価値は決まりません」


 理子先輩が即答する。


「でも軽いとありがたみ減らない?」


「賞状の価値は紙の重量ではなく、発行主体と内容で決まります」


「理子っち、そういう話じゃないんだよなあ」


 絵麻は不満そうに言いながらも、少し嬉しそうだった。


 まどか先輩は、印刷されたコメントを丁寧に揃えている。


「これも、保管したいですね」


「コメントも額縁に入れる?」


 ルナが軽く言う。


「それは、さすがに重くない?」


 絵麻が笑った。


 美琴は机の前に座り、印刷されたコメントをまた読み返していた。


 昨日から、何度目かわからない。


 でも、読み返すたびに表情が少し変わる。


 泣きそうな顔ではなくなっていた。

 今は、何かを確かめるような顔だった。


 俺はホワイトボードの前に立った。


「じゃあ、始めよう」


 全員の視線がこちらへ向く。


「『放課後エンドロール』の振り返りをする」


 絵麻が椅子に座り直す。


「もう? 昨日賞取ったばっかだよ?」


「だからだよ」


 俺はペンを取った。


「嬉しい時にやらないと、たぶん都合の悪いところを見なくなる」


「うわ、代表っぽい」


「代表だからな」


「自分で言った」


 絵麻が笑う。


 俺はホワイトボードに大きく書いた。


放課後エンドロール 振り返り


作れたこと

届いたこと

届かなかったこと

次の地図


 四つの項目。


 それを見た瞬間、部室の空気が少しだけ引き締まった。


「まず、作れたこと」


 俺は言った。


「これは単純に、完成した。提出した。展示した。賞ももらった」


「単純って言うには、わりと大変でしたけど」


 理子先輩が淡々と言う。


「そうですね。最後の扉が開かない問題は、単純ではありませんでした」


「そこは本当にすみません」


「謝罪ではなく記録です」


 理子先輩は手元のメモを開いた。


「探索型ADVとして、最低限必要な機能は完成しました。セーブ、フラグ管理、フィルム収集、手紙閲覧、視聴覚室再生、屋上遷移。会場展示中に致命的な停止はなし。軽微な導線問題は複数」


 言いながら、理子先輩はすでに次のページを開いていた。


 彼女の中では、受賞の余韻より修正項目の方が先に動き出しているらしい。


 でも、それでいい。


 理子先輩がそうしてくれるから、俺たちは夢だけで足場を失わずに済む。


「次。届いたこと」


 俺はホワイトボードの二つ目を丸で囲む。


 美琴が、机の上のコメントを見た。


「読んでくれる人には、届きました」


 彼女はゆっくり言った。


「最後まで遊んでくれた人がいて、屋上まで行ってくれた人がいて、あの一文を受け取ってくれた人がいました」


 そこで一度、言葉を切る。


「でも、読まれる前に通り過ぎた言葉もありました」


 俺は頷いた。


 コンテスト会場で、美琴は見た。


 説明カードを読まない人。

 冒頭文を飛ばす人。

 部室で迷って、手紙の意味に辿り着く前に席を立つ人。


 それも、作品が外に出たから見えたことだった。


「だから次は、文章を増やすんじゃなくて……」


 美琴は少し考えながら続けた。


「読まれなくても、画面の中で伝わる置き方を考えたいです。読んでくれる人にだけ届く文章じゃなくて、読まれる前に足を止めてもらえる言葉を」


「それ、めっちゃ難しくない?」


 絵麻が言う。


 美琴は小さく笑った。


「はい。でも、やりたいです」


 その言葉に、俺は胸の奥が少し熱くなった。


 出会った頃の美琴なら、たぶん「私の文章が悪かったんです」と言っていた。


 今の美琴は違う。


 怖がっている。

 でも、次の課題として見ている。


 それは、かなり大きな変化だった。


「絵麻は?」


「私?」


 絵麻は自分を指差した。


「届いたことと、届かなかったこと」


「うーん」


 絵麻は椅子の背にもたれて、天井を見た。


「数字で見れば、めちゃくちゃ伸びたわけじゃない。スクショも、もっと強い絵を出せたとは思う」


 その言い方には、悔しさが混じっていた。


「でもさ」


 絵麻はスマホを取り出した。


 会場で撮った写真を開く。


 展示ブース。

 ポスター。

 試遊台。

 その端に、小柄な女の子の後ろ姿が写っていた。


 絵麻のフィルム横顔パネルの前に立っている。


「この子、やっぱりずっと見てる」


 絵麻は画面を見つめながら言った。


「名前も知らないし、声もかけられなかったけど。あんなふうに見られるの、初めてだったかも」


 数字ではない。


 リポストでも、いいねでも、保存数でもない。


 ただ、誰かが立ち止まって見ていた。


 それは絵麻にとって、かなり大きな出来事だったのだと思う。


「私、ずっと反応って数字で見るものだと思ってたんだよね。でも昨日は、目で見られた感じがした」


 絵麻は少し照れたように笑う。


「変な言い方だけど」


「変じゃないと思う」


 美琴が言った。


「私も、読まれたって感じがしました」


「じゃあ、変じゃないってことで」


 絵麻は軽く笑った。


 でも、その笑い方はいつもより柔らかかった。


「まどか先輩は?」


 俺が聞くと、まどか先輩は少し背筋を伸ばした。


「音は、作っただけでは聴こえないんだと思いました」


 彼女はゆっくり言う。


「会場では、私の音は簡単に埋もれました。イヤホンをつけてもらえなければ、ほとんど届かない場面もありました」


 まどか先輩は、そこで印刷されたコメントを見る。


「でも、聴いてくれた人には、ちゃんと残るんですね」


 視聴覚室のノイズ。


 フィルムを集めるたびに変わる、ほんの少しの音。


 まどか先輩が大きく主張せず、奥に置いたもの。


 それを見つけた人がいた。


「だから次は、音を作るだけじゃなくて、聴いてもらう場所まで考えたいです」


 まどか先輩は少し恥ずかしそうに笑う。


「あと……もう少しだけ、前に出てもいいのかもしれません」


 絵麻が目を輝かせた。


「いい! まどか先輩の音、もっと前に出していいと思う!」


「そんなに急には無理です」


「じゃあ半歩!」


「半歩なら……考えます」


 まどか先輩が困ったように笑う。


 けれど、否定はしなかった。


 それもまた、変化だった。


「理子先輩」


「はい」


 理子先輩はすでに準備していたらしく、メモ帳を開いた。


「届かなかったことを中心に整理します」


「中心に」


「作れたことは事実として達成済みです。次に必要なのは改善点です」


「理子っち、最終回みたいな空気でも容赦ない」


「何の最終回ですか」


「いや、なんでもない」


 絵麻が慌てて手を振る。


 俺は少しだけ苦笑した。


 理子先輩はホワイトボードを見ながら言う。


「迷わせたい箇所と、迷わせてはいけない箇所の分類。音量導線。初回説明文の読み飛ばし対策。屋上到達条件の可視化不足。会場展示時の操作説明不足。PVから試遊への導線」


 ペンが止まらない。


 俺はそれを横に書き足していく。


「それと」


 理子先輩は一瞬だけ言い淀んだ。


「会場で、妙な指摘をしてきた人がいました」


「あのアクアブルーの子?」


 絵麻がすぐに反応する。


「髪色で記録しないでください」


「でもアクアブルーだったじゃん」


「それは否定しません」


 理子先輩は少し不機嫌そうな顔でメモ帳を見た。


「戻り値の方じゃないですか、という指摘です」


 俺も覚えている。


 試遊台の横から突然現れて、理子先輩が見ていた挙動に対して妙に的確なことを言って、すぐに去っていった子だ。


「的確だったのが、余計に腹立たしいです」


 理子先輩が言う。


 絵麻が笑う。


「やっぱり天敵じゃん」


「天敵ではありません。正体不明の外部観測者です」


「言い方」


 ルナが笑った。


 理子先輩は不満そうだったが、その指摘をメモから消していなかった。


 腹立たしいと言いながら、ちゃんと情報として残している。


 それが理子先輩らしかった。


「ルナ」


 俺が声をかけると、ルナは椅子の上で足を組み替えた。


「私は、数字は見る」


 いきなりそう言った。


 絵麻が少し目を丸くする。


「開き直った」


「開き直りじゃない。役割の確認」


 ルナはスマホを机に置いた。


 画面には、PVの再生数と投稿の反応が表示されている。


「再生数も見る。いいねも見る。リポストも見る。投稿時間も、サムネも、最初の三秒も見る。そこを見ない広報担当は、ただの祈祷師だから」


「祈祷師」


「伸びろーって祈るだけの人」


 絵麻が吹き出す。


 でも、ルナは笑わなかった。


「でも、数字だけでは見えないものがあるって、今回ちょっとわかった」


 その声は、いつもより少しだけ低かった。


「昨日の長文コメントも、会場で立ち止まった人も、審査員の言葉も。数字にしたら小さいかもしれない。でも軽くはなかった」


 ルナは印刷されたコメントを指先で軽く叩いた。


「私は、入口を作る。でも、入口の先を信じられる作品じゃないと、連れてきた人に失礼なんだね」


 誰もすぐには返さなかった。


 それは、ルナ自身がようやく言葉にした答えだった。


 届かなければ意味がない。


 その考えは、今も間違っていない。


 でも、届かせることは、消費させることではない。


 入口を作ることは、人を釣ることではない。


 作品と誰かが出会うための、最初の約束を作ることだ。


「だから次は」


 ルナは続けた。


「入口だけじゃなくて、入口の先も一緒に考えたい」


「つまり?」


 絵麻が聞く。


「PV、スクショ、紹介文、試遊導線、最初の五分。本編と外側を分けない」


 理子先輩が頷いた。


「妥当です。外部導線とゲーム内導線を別物として扱うと、体験が分断されます」


「理子っちが乗った」


「乗っていません。合理性を認めただけです」


 ルナは少し笑った。


「それで十分」


 俺はホワイトボードを見た。


 作れたこと。

 届いたこと。

 届かなかったこと。


 そこには、思った以上に多くの言葉が並んでいた。


 成功の記録だけではない。


 失敗の記録もある。

 迷いの記録もある。

 誰かが見つけてくれた記録もある。


 これが、二作目で得たものだった。


「最後」


 俺はホワイトボードの四つ目を指した。


「次の地図」


 部室が少し静かになる。


 賞状をもらった。

 コメントも届いた。

 審査員に、次はもっと大きい場所を狙えると言われた。


 その言葉は、昨日からずっと俺の中に残っている。


 もっと大きい場所。


 それは、わかりやすく言えばチャンスだ。


 でも、それだけではない。


 人が増える。

 期待が増える。

 作業量が増える。

 数字が増える。

 責任が増える。


 届くことを知ったチームは、次に、もっと届かせたいと思う。


 それは自然な欲だ。


 けれど欲は、方向を間違えると、作品ではなく人を削る。


 俺はそれを知っている。


 四十二歳まで何もしなかったくせに、失敗例だけは山ほど見てきた。


 好きで始めたはずのものが、数字に追われる。

 仲間だったはずの人間が、役割だけで見られる。

 できる人に仕事が集中する。

 届かせたいという願いが、いつの間にか勝たなければという焦りに変わる。


 その怖さを、俺はまだ彼女たちにうまく説明できない。


 でも、見ないふりはできなかった。


「次、どうしたい?」


 俺は聞いた。


 最初に答えたのは、絵麻だった。


「もっと人に見られるやつ、作りたい」


 その言い方は、以前よりまっすぐだった。


「バズりたいって意味もある。正直ある。でも、それだけじゃなくて……もっとたくさんの人が、足を止める絵を描きたい」


 ルナが続ける。


「配信で映える形も考えたい。会場で遊ばれるのと、配信で見られるのはまた違うから」


 理子先輩が即座に言う。


「規模を上げるなら、体制を先に決めるべきです」


「出た、体制」


 絵麻が言う。


「審査員も言っていました。作れるチームと、作り続けられるチームは違うと」


 その言葉で、部室の空気が少し引き締まった。


 美琴が小さく手を挙げる。


「もっと短い言葉で、深く残るものを書けるようになりたいです」


 まどか先輩も続く。


「音も、もっと前に出てもいいのかもしれません。怖いですけど」


 ルナが笑う。


「怖いなら、半歩からだね」


「はい。半歩から」


 まどか先輩も笑った。


 俺は全員の言葉を聞きながら、ホワイトボードの端に小さく書いた。


次の地図


 まだ、何を作るかは決まっていない。


 でも、どこへ向かいたいかは少し見え始めている。


 完成させるだけでは足りない。

 届けるだけでも、まだ足りない。


 届いた先で、何をするのか。


 それを考える段階に来ていた。


 その時、美琴が印刷されたコメントをそっと手に取った。


「この人に、いつか会ってみたいです」


 昨日も聞いた言葉だった。


 でも今日は、少しだけ違って聞こえた。


 ただ会いたいのではない。


 自分の言葉を見つけてくれた人に、今度はこちらから何かを返したい。

 そんな響きがあった。


「会えるといいな」


 俺はそう言った。


 絵麻はスマホの写真を見ながら言う。


「私も、この子が誰だったのか気になる」


 画面の中の小柄な後ろ姿は、やっぱり絵麻のパネルを見ている。


「次の新歓とかで来たりして」


 ルナが冗談っぽく言う。


「そんな都合よく?」


 絵麻は笑った。


 でも、少しだけ期待している顔だった。


 理子先輩はメモ帳を閉じる。


「私は、あのアクアブルーの人とは再遭遇しなくて構いません」


「それ、フラグって言うんだよ」


「言いません」


「言うよ」


「言いません」


 絵麻と理子先輩のやり取りに、部室が少し和む。


 まどか先輩がそれを見て、静かに笑っていた。


 その光景を見ながら、俺は思った。


 ここまで来た。


 空き教室で始めた小さな制作は、最初の作品を完成させ、二作目を外に届けた。


 誰かに遊ばれた。

 誰かに見つけられた。

 誰かに名前を呼ばれた。


 でも、それは終わりではない。


 むしろ、ここから始まるものがある。


 夕方になり、反省会は一度終わった。


 理子先輩は修正項目をデータにまとめると言い、まどか先輩は音量導線について少し考えてくると言った。

 美琴はコメントの印刷を一枚だけ持ち帰りたいと言い、絵麻は会場写真を整理して次の資料に使うと言った。


 ルナは、なぜか少し残っていた。


 部室から一人、また一人と帰っていく。


 最後に美琴がドアの前で振り返った。


「創くん」


「うん」


「次も、ちゃんと怖いですね」


 その言い方に、俺は少し笑った。


「ああ。ちゃんと怖い」


「でも、今度は……怖いだけじゃないです」


「そうだな」


 美琴は小さく頷いて、部室を出ていった。


 扉が閉まる。


 部室には、俺とルナだけが残った。


 外の廊下から、遠くの笑い声が聞こえる。

 窓の外は夕暮れで、机の上の賞状が淡い色に染まっていた。


 ルナはホワイトボードを見ていた。


 作れたこと。

 届いたこと。

 届かなかったこと。

 次の地図。


「春日井くん」


「なんだ?」


 ルナはしばらく黙っていた。


 それから、こちらを見ずに言った。


「前に部室で一人でいた時、誰かに話しかけてるような顔してたよね」


 背中が冷えた。


 呼吸が、一瞬だけ止まる。


 部室には、俺とルナしかいない。


 オルドも、グロウも、ジェミナも、コパイも、クラウディアも、俺の中にしかいない。


 そのはずだった。


 ルナは振り返った。


「独り言って感じじゃなかった。何かを聞いて、何かに返事してる顔だった」


 俺は何も言えなかった。


 言えるはずがなかった。


 未来から戻ってきたこと。

 精密鑑定が見えること。

 脳内にAI評議会がいること。


 そんなものを、この場で説明できるわけがない。


 ルナは、俺の沈黙を見ても踏み込まなかった。


「聞かない」


 彼女はそう言った。


「でも、一人で全部背負ってる人間に、私はついていく気になれないから」


 その言葉は、責めるものではなかった。


 むしろ、線を引いてくれているように聞こえた。


「いつか、その“誰か”を見せてくれる日が来るなら、いいけど」


 ルナはそれだけ言って、鞄を持った。


「じゃ、お疲れ。代表」


「ああ」


 返事をするのが、やっとだった。


 ルナは部室を出ていった。


 扉が閉まる。


 静かになった部室で、俺はしばらく動けなかった。


『観察されていますね』


 ジェミナの声がした。


『月城ルナの洞察力は、当初想定より高い』


『おもしれえじゃん』


 グロウが笑う。


『バレかけてるぞ、おっさん』


『軽口で済ませる局面ではありません』


 クラウディアの声が、いつもより近く聞こえた。


『彼女は、真実を要求しているのではありません。孤独に背負うことを拒否しています』


 わかっている。


 ルナは聞かなかった。


 でも、何も知らないふりをするつもりもない。


 一人で全部背負っている人間についていく気はない。


 その言葉は、俺の胸に深く刺さった。


 俺は彼女たちを助けようとしている。


 でも、そのために何もかもを一人で抱え込めば、いつか俺自身が、彼女たちを遠ざける壁になる。


 未来を知っていること。

 鑑定で危険が見えること。

 AIが最適解を囁くこと。


 それは便利な力だ。


 でも、便利だからこそ危うい。


 俺が答えを持っていると思い込めば、彼女たちの選択を奪う。


 ルナは、その危うさを見ていたのかもしれない。


 俺はホワイトボードの前に戻った。


 四つの項目を見る。


 作れたこと。

 届いたこと。

 届かなかったこと。

 次の地図。


 その文字の下に、今日みんなが言った言葉が残っている。


 美琴の言葉。

 絵麻の言葉。

 理子先輩の言葉。

 まどか先輩の言葉。

 ルナの言葉。


 これは、俺一人の地図ではない。


 俺たちの地図だ。


 最初は、完成させるだけで精一杯だった。


 次に俺たちは、届けることを覚えた。


 届くとは、数字が跳ねることだけじゃない。


 誰かが最後まで遊んでくれること。

 知らない人が名前を呼んでくれること。

 作品の奥に置いたものを、見つけてくれること。

 そして、その声にこちらから返すこと。


 それが、届けるということだった。


 俺はホワイトボードの端に、もう一行だけ書き足した。



 次は、何を賭けるのか。



 ペンを置く。


 部室の電気を消す前に、もう一度だけ振り返った。


 賞状。

 印刷されたコメント。

 消し残したタスク。

 次の地図。


 俺たちは、もう知ってしまった。


 作品は、届く。


 だから次は、届いた先で何を賭けるのかを、選ばなければならない。

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