第5話「読めない選択」

 実習室。


 いつもより、少しだけ空気が重い。


 モニターの音が、一定のリズムで響いている。



「じゃあこのケース、誰やる?」



 指導医の声。


 少しの沈黙。



「……やります」



 ラーナが手を挙げる。


 前に出る。


 視線が集まる。


 いつも通り。


 でも。



(……少し違う)



 今回のケースは、単純じゃない。


 所見が揃わない。


 判断を誤れば、悪化する。





 問診。


 確認。


 情報を拾う。



(……二択)



 頭の中で整理される。


 安全な選択。


 リスクのある選択。



(普通は、こっち)


(……でも)


(助けるなら)



 迷わないはずだった。


 でも。



(……違う)



 ほんの一瞬だけ、止まる。





 後ろで見ているレオ。



(……迷ってる)



 珍しい。


 ラーナが。



(でもまあ)



 次に取る行動は、分かる。



(安全側)



 そう思った瞬間。



「……こっち、いきます」



 ラーナが選んだのは。


 逆だった。



(……は? そこ切らないのかよ)



 レオの思考が止まる。



「理由は」



 指導医が問う。



「リスクはあります」


「でも、原因はこっちの可能性が高いです」



 淡々と。



「今処置しないと、遅れます」



 迷いはない。



(いや、それ――)



 レオの中で計算が走る。


 成功率。


 リスク。


 全体のバランス。



(普通は切る)



 その選択肢は。



(……今じゃない)



 でも。


 ラーナは、動く。


 手が止まらない。


 判断も、速い。


 時間が、進む。


 一瞬の緊張。


 モニターの音が、わずかに変わる。



「……安定してきた」


 指導医が短く言う。


 空気が、ほどける。



(……通した)



 レオは、動けないまま見ていた。



(……なんで)





 実習が終わる。


 ラーナは、何も言わずに一歩下がる。


 いつも通り。



 周りのざわめき。



「今の判断やばくない?」


「普通そっち行かないでしょ」



 声が遠い。


 レオだけが、動かない。



(……なんでそっち選ぶんだよ)



 帰り道。


 廊下。



「……ねえ」



 レオが声をかける。


 ラーナが振り返る。



「……何」



 いつも通りの顔。



「なんでそっち選んだの」



 直球だった。


 一拍。



「……正しいから」



 即答。



「……は?」



 思わず、声が漏れる。



「成功率、低かったでしょ」


「リスクもあった」



 詰める。


 止まらない。



「普通は切る」


「普通は、ね」



 ラーナは、少しだけ視線を逸らす。



「でも」



 戻す。



「それじゃ、間に合わない」



 静かな声。


 でも。


 揺れない。



「……」



 レオが、言葉を失う。



「助けるなら、こっちだった」



 それだけ。


 理由が、単純すぎる。


 でも。



(……それで選ぶのかよ)



 計算じゃない。


 でも。


 間違ってもいない。



「……それさ」



 レオが、ゆっくり口を開く。



「俺、それ選ばないわ」


「リスクでかすぎる」



 ぽつりと落ちる。



「そう」



 ラーナは、それだけ返す。


 否定しない。


 押し付けない。


 ただ。


 そこにあるだけ。



(……なんだそれ)



 レオは、初めて戸惑う。



(読めない)



 思考の外にある。



(なのに――)



 納得している自分がいる。



「……ラーナ」



 名前を呼ぶ。



「ん」



 一歩、近づく。


 でも。


 いつもみたいに軽く言えない。



「……お前さ」



 一瞬、言葉が止まる。



「何」



 見てくる。


 真っ直ぐ。


 逃げ場がない。



(……なんなんだよ)


「……いや」



 レオは、小さく息を吐く。



「やっぱいい」



 珍しく、引いた。



「……?」



 ラーナが、わずかに眉を動かす。


 そのまま、すれ違う。


 数歩進んでから。


 止まる。


 振り返らないまま。



「……次、負けねえから」



 低く落ちる。


 ラーナは、何も言わない。


 でも。



「……負けない」



 小さく、返した。


 レオは、そのまま歩き出す。



(……面白いじゃん)



 口元が、わずかに上がる。



(ちゃんと崩さないと、無理だなこれ)



 今までとは違う。



(……知りたい)


(崩すんじゃなくて)



 初めて。


 感情の向きが変わった。

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