この物語の主人公は、最愛の家族を一瞬にして奪われた、あるひとりの男。
彼は復讐に燃えて立ち上がったのか。
否である。男の心に穿たれた深い空洞は、父として夫として息子としての悲嘆の感情をも呑み込んだ。
彼にとって生き延びることは救いではなく、生き残った己の身に下された罰だったのかもしれない。
ふたろ・なち氏の巧みな筆は、世界秩序の崩壊を背景に描きながら、ひとりの男の心の喪失とその虚無に封じられた人としての大切なものを示唆している。
その象徴が、モノクロの世界に唯一、カラーを射す紫陽花である。
雨に映えるその色彩は失われた感情の残滓か、はたまた男が二度と触れることのできない温もりを表わすのか。
「死の訪れを前にしたとき、自分は絶望に苛まれるのか、それとも安らぎを感じるのか」
作者によるこの問いは、主人公の生き様にそのまま投影され、ラストに答が示される。
この『紫陽花たちの残映』は、読み手自身の死生観を照らす鏡である。