読者側からすれば未知でも、
作者が何度も箱を開けてるというのがせつないですね。
えぇ。創作に真剣に向き合っている方なら、きっと誰でも覚えがある感覚だと思います。
「流すこと自体に意味がある」と言うと、正直、私には少し綺麗ごとに
聞こえてしまう部分もあります。
やはり作品は、誰かに読まれて初めて、静かに息をし始めるものだと思うからです。
せっかく作ったたい焼きも、誰にも食べてもらえなかったら、やっぱり寂しいですからね。
書いた事、作ったこと自体に成長はあれど、文章として紡がれた言葉は、人に触れて、そっと花が咲いていくものなのかもしれません。
それにしても、「自分も知らない形で、作品が歩いていく」というような書き方はどこか詩的で、素敵な表現だと思います。
作者様らしいなと思ったのは、カクヨムのアルゴリズムや、その日の偶然に出会った作品に、意味を見出している部分でした。この“偶然性”こそが、カクヨムという場所にある人の繋がりの一つであり、面白さでもあるのだと、私もとても共感します。
強く光る部分を持った作品なら、星の数に関係なく、誰かが照らし出す事も、案外少なくないのでしょう。仰る通り、運も関係すると思います。
私はどなたかに取り上げられたわけではありませんが、
自分の作品でも、あまり良くない作品は埋もれると反応が一切なくなります。
その一方で、★は多くなくても、”何かが少し違う”作品には、
どこからともなく人が現れ、時々びっくりするくらい熱量のある反応をいただくことがある。そういう実感もありますね。
個人的には、人気ジャンル以外を書いている作家ほど、「読まれる」とは何か、他人に届くとはどういうことかを、どこかで考え続けることになる気がしています。
そして、その問いにどう向き合うかという部分に、
創作者自身の姿が、もっとも強く映るのかもしれません。
作品だけでなく、物事の受け取り方そのものに、
作者様らしい柔らかな光が滲んでおり、文章が静かに歩いていくような、そんな作品でした。