突然のコメント失礼します。
エッセイ読ませていただきました。作者様が目指していらっしゃるのはAIを己の相方として使用し、読者の皆様が求めている作品を生み出そうとしているのではないかと感じました。
わたしは、作品の善し悪しの判断はそれを受け取る読者の皆様だと考えています。作品によって収益を得ようとすると、ソレにまつわる様々な規約や制約が発生し是非が問われるだけで、純然たる作品そのものの評価では無いと思うのです。
様々な論評をする方々も、どこに軸足を置くかでモノの言い方も変わってくるのだと考えるのです。
話は少し逸れますが、わたしたちが「手作り」と言うと「手を使って作ったもの」という意味で使いますが、物作りをする職人の方々に言わせると少し違うのだそうです。「モノを作るための手を作るから手作り」なのだとか。
どんなに素晴らしい発想や着眼点を持っていても、それ作る為の手が出来上っていなければ作り上げることは出来ない。幾度も失敗を繰り返しつつ、目的のものを作るために自分自身の手を造っていく。それが手作りなのだそうです。
その経験則と「手」を使って作品を造り出す、それを指して「技」と言うのではないでしょうか。
作者様はAIとの二人三脚で面白い作品を作ろうと苦心されている最中なのですね。新しい道具には新しい使い方が必要で、新しい方法で作られたものには今までにない評価の仕方が必要だと思います。
そしてどんな評価でもそれをキチンと受け止め、目指す目的地である「面白い作品をつくる」という部分さえブレなければ良い。どのような道具で造り上げられようが作品の仕上がりが良ければそれでかまわないじゃないかと、わたしはそう考えるのです。
そしてどんなに道具が変わろうとも、それを受け取る側のニーズに応えることが出来なければただの自己満足に終わってしまう可能性がありますから、そこは充分に注意しなければならないところなのでしょうね。
このエッセイはわたしにも考えさせるところが多々あるものでした。AIを使ったことはありませんが、使いこなすことが出来れば恐らく作品を書き上げる速度は今よりもずっと上がるのかも知れません。
ですが、今はまだ未来にとっておきますね。
AIが良いか悪いかでは無くて、興味が有るか否か、それだけのコトです。現在はまだ昔ながらの方法で書く方が楽しいのでw
絵を描く為のツールも今は随分と進歩して、タブレットなどのデジタルな技術の「絵」も巷にあふれています。ですが手で描く絵が無くなった訳でも無く、皆に否定されている訳でもありません。
要は、道具は道具。大事なのはそれをどう使いこなし、どう表現して作品として完成させるのか。その一点に尽きるのだと思うのです。
そしてわたしたちは、それを受け取る方々のことを常に念頭においておかねばと信じる次第なのです。
乱文妄言、失礼いたしました。
一人の物書きとして、作者様がAIの職人として成功することを祈っております。
AIの向き合い方、これは大きな問題ですね。AIを使っただけで炎上する昨今、リスクヘッジの為に禁止になるというのは理解出来るぶん本当に難しい問題です
表現技術の上手下手は面白さと別問題なんですよねぇ
面白いかどうか以外の判断基準は自分には要らないです〜
読者の立場ではAIだろうが、面白ければOK。
作家の立場ならAIは卑怯。
今はまだ、AIに否定的な意見が多いですが、数年内にはAIを使った作品制作のガイドラインなども出て、AIを使った小説がきちんと評価されるようになると思います。
その時には「旅する書斎」さんが先駆者のひとりとして”歴史に名を残す”のではないでしょうか。
私もAiに手伝ってもらい、カクヨム様に駄文を投稿しています。仰る様に、Ai使用の利便性にめざめると、もとの自分一人での推敲にはもどれません。手書き原稿がワープロになり書く手段が変わった様に、Ai利用を捉えると認識がずれます。
ですが、読者に読んで頂ける価値、面白いかどうかは作者の意欲、アイデアに左右されると思います。
投稿サイト側の問題は、連載を読ませて頂く中で考えたいと思います。
私もAIと協業してますが、
どこまでが良くてどこからがダメなのか線引きが難しいですよね
企画も推敲も最終的な公開の判断も自分でやってるので、感覚としては文字を書いてもらってるだけなんですが、これもAI本文利用なのかどうか…
後付けの規約改定ってずるくないかなぁ。
今の時代、何もAIの力を借りていない書き手の方が少ない気がしますけどね笑
プロンプトの後半にあるエッセイを逐語的に読み、そこに書かれていることがすべて真実であると仮定して、私の疑問に答えてほしい
私の疑問とは、なぜこの作者が、出版社を訴えないのか、ということである
彼にはAIという訴訟に役に立つアシスタントがいて、お金も手間もかからない訴訟方法を選択できるはずだ
自分だけのことならその煩雑さゆえに諦めたとしても、読者の想いを第一義にかつ全面的にに主張している
その想いが真実だとしたら、読者を裏切らないという正義をなぜ貫こうとしないのか、私は理解に苦しむ
訴えれば出版界に睨まれて作家の道が閉ざされる、という懸念が作者にあったとしたら、このようなエッセイの発表自体がその危険を誘発するように思える
このエッセイの作者が訴訟しない理由を推測し、短くまとめて、すべて挙げよ
ここに第一話~第三話までをそのまま挿入
以下はAI君からの回答
エッセイから読み取れる、作者が訴訟を選ばない理由は以下の通りです。
事業者の権利への敬意: 「運営には規約を変える権利がある」と認め、相手の立場を尊重する倫理観を持っているため。
表現者としての矜持: 怒りを「訴訟」という手続きではなく、「ドキュメンタリー執筆」という創作活動に昇華させているため。
「正義」の定義: 裁判で勝つことよりも、AIと共に新作でランキング1位を獲り続けることこそが、読者の支持に応える道だと信じているため。
精神的リソースの集中: 過去の清算に費やす時間を、読者が待っている「次の面白い作品」を書くために使いたいと考えているため。
事実による証明: 司法の判断を仰ぐまでもなく、今も増え続ける「いいね」の数が、自分の正しさを証明しているという確信があるため。
法的に勝つことよりも、「面白い作品で読者と繋がり続けること」を最優先した結果、あえて戦わない選択をしているのだと推測されます。
初めまして。コメント失礼します。
書籍化取り消しに対する落胆と憤りはごもっともだと思います。
読者に対するお気持ちも理解します。
しかしながら、現状ではAI作品に対する著作権の取り扱いは不透明な部分があります。
むしろ海外では「AI作品に著作権は認められない」という判例が主流だと聞きました。
著作権の所在があやふやでは「商品として販売できない」とした出版社の判断は妥当かと。
AIによる推考
AIの文に対する推考
どちらも合わさって良いものになるのは良いことだと思います
ただ、今の現状ではAIに過剰反応してしまうのも仕方ないのかな?
とも思います過剰反応して留まってしまってはもったいないと思うのです
今後も応援しています
編集済
時代の流れに反発している守旧派と言われる人がそれなりの地位で頑張っていたり、成功者の成果に難癖をつけて足を引っ張る人も多数いたりします。自己保身と妬みによるクレームの山は、運営の事なかれ主義を刺激します。
作者からの返信
コメントいただき、ありがとうございます。読んでくださって嬉しいです。
事業者の判断そのものは尊重しています。書き手・クリエイター・作家のみなさまには、それぞれの立場・選択を含めて、敬意を持っています。
その上で、書き手として何があり、どう考え、どう動いているのかを、これからドキュメンタリーとして残していきたいと思っています。
引き続き、よろしくお願いいたします。
第7話 AIを使えば、誰でも面白い小説を書けるのか ── 半分はYES、半分はNOへの応援コメント
一気読みさせていただきました。
結局の所、aiが本文を書いているのか、作者が本文を書いているのか、が重要だと感じました。
例えば作品をaiに書かせ、連投させて人気が出た所で、aiが突然バージョンアップなどを行った際、前者ならリカバリできない可能性有り、後者ならノーダメージ。
aiにイレギュラーがあっても継続できるか、これは出版業界にとって大きな問題だと思います。
ai補助まで認められているのは、そういう部分の線引きに感じます。
aiと共同作業でも、その作品を詳しく覚えていて、楽しいと感じ、過去の伏線、ニュアンス、セリフ、好きなセリフ、再現できるレベルで覚えているなら、それは立派な作品だと思います。
こっちのセリフの方がカッコいい、この描写入れたい、読者さんどう反応するかなぁ、このキャラ背景に再登場させよう、ワクワクしますよね。
書籍化を弾かれたのは悲しいことですが、頑張ってください。応援しています。