第56話 過去と救いと私と姉

 朝。部屋を出るお姉ちゃんの気配で目が覚めた。私も起きようとのろのろ体を起こして、眠気眼をこすりながらリビングに向かう。


 リビングに続く廊下に出ると、リビングに入ってすぐのところにお姉ちゃんが背中を向けて立っていて、その先におばあちゃんが向かい合って座っていた。


 何かお話でもしてるのかな?私も混ざろっと。そう思って少し足を速めようとしたそのとき――


「私とお母さんのこと、小景こかげが知りたいって言ったら話してあげるべきなのかな?」


 お姉ちゃんの言葉に思わず足が止まった。お姉ちゃんは後ろにいる私に気が付いていないみたい。私はその先のおばあちゃんと目が合った。


「こかげちゃんはもう知りたいって言ってるんでしょ?」


 お姉ちゃんに向けつつ、私にも向けたその言葉に私は首を縦に振った。


「うん。小景には一度断ってる。そのうえもう聞かないって約束までさせた。もう小景からは聞いてこない。だから、私が小景に話してもいいのか迷ってる」

「ひなちゃんが言いにくいんだったら、私が伝えたっていいのよ」


 おばあちゃんの提案にお姉ちゃんは深く考え込んでいるみたいだった。おばあちゃんはその隙に視線で私に退出を促した。私はそれに従って、気配を消したまま寝室に戻る。後ろでお姉ちゃんの答えが聞こえた。


「いや、そのときは私から言うよ」


◇ ◇ ◇


 部屋に戻り改めて横になって目を閉じる。さっきまでは二度寝してもいいかななんて思ってたけど、もうそれどころではなくなっていた。


 これまで優里ゆうり先輩を利用して知ろうとしていたことを直接お姉ちゃんから聞けるかもしれない。お姉ちゃんにとって、つらいはずの話を教えて貰うというのに、私の中にはこれまで調べてきたことの答え合わせができるという、最低なワクワクが同居してしまっている。


 私は不誠実な興奮を落ち着かせるために、深く息を吸って呼吸を整えていた。聞けると分かってもあんまりがっつき過ぎてもよくないだろうし、いつ頃聞こうかな。本当は明日にでもおばあちゃんに探りを入れようと思ってたんだけど、お姉ちゃんが話してくれるんだったらもう少し待ってもいいのかも。


 もうちょっと待ってから何食わぬ顔でリビングに向かおうかな。そう思っていたら廊下から足音が聞こえてきた。その音の主はお姉ちゃんで、どうやらここに戻って来るらしい。


 扉を開ける音と共にお姉ちゃんが部屋に入ってきて、私の向かいに寝転ぶ。私はうっすらと目を開けてお姉ちゃんを観察する。さっきの話でまだ考え込んでいるのか、眉間にしわが寄っている。


 ふとお姉ちゃんと目が合った。私はいたずらがばれてしまったような気まずさを感じて、目をそらしながら挨拶をする。


「あ、おはよ、おねえちゃん」

「おはよう、小景」


 お姉ちゃんは私のために表情を緩めてくれようとしていたけど、険しい表情はあまり崩れていない。きっと今もお姉ちゃんの過去に私を巻き込むことを躊躇ってるんだろう。でも、私はそれでも知りたい。


「お姉ちゃんはさ」

「ん?」

「お姉ちゃんは、私のために話したくないんでしょ?」

「……うん」


 頷いてはいるけど、あんまり納得してないみたいな表情。


「じゃあさ、お姉ちゃん。お姉ちゃんのためだったら、話したい?」

「私のため?」

「そう。もしお姉ちゃんが一緒に傷ついてくれる人が欲しいんだったら、私を選んでほしい。一緒に立ち向かってくれる人が欲しいんだったら、私を選んでほしい。一緒に別の記憶で埋めてくれる人が欲しいんだったら、私を選んでほしい」


 後で思い返したら恥ずかしさで悶えてしまうような、告白みたいな言葉を私は必死に紡いだ。もっと近づかせてほしい。その一心で。


「小景は傷つかない?」

「分からないけど、多分傷つくよ。でも一緒に傷つかせてよ」


 そう、絶対傷つくに決まってる。だってお姉ちゃんが悲しい目に遭った話なんだから。でも、私はその苦しみも共有したい。


「……まだ、全部話せないよ」

「うん、ゆっくり教えて」


 そう、私たちの時間はまだまだたっぷりある。学校だけが私たちのすべてじゃない。私たちはかけがえのない姉妹なんだから。


「じゃあ、小景」

「何?お姉ちゃん?」

「話す間、手を握ってて」


 そう言って、お姉ちゃんは手を差し出してきた。私はその手を包み込む。昨日の夜みたいに指は絡めなくても、昨日よりも深くつながっている気がする。


 そしてお姉ちゃんはゆっくり話し始めた。


「中学の頃ね、私はお母さんに暴力を振るわれてたの。小景が知らないのはね、それが小景の部活とクラブチームの練習で帰るのが遅い日に行われていたから」

「……」

「そもそもなんで暴力を振るわれるようになったのかは、まだ言えない。これはもっと先にしか言えないかもしれないし、最期まで言えないかも。ごめんね」

「うん」

「それで、もう限界だってときに助けてくれたのが優里なの」

「え!」

「知らなかったでしょ?優里は私の親友で、恩人でもあるんだよ」


 知らなかった。優里先輩がお姉ちゃんの事情を知っているのは単に仲がいいからだと思ってた。


「優里が私を家に匿おうとしてくれたんだ。最終的におばあちゃんに連絡をして、助けを求めたのも優里なの。そう!これが今にしてみれば面白い話でね、優里が急に『そういえば、おばあちゃんの連絡先持ってる?』とか言い出して、私も特に疑わずにスマホで連絡先見せたらね、優里が私のスマホを奪って逃げ出したの。で、そのままそのスマホでおばあちゃんに走りながら電話して、おばあちゃんが知ることになったってわけ。変な話でしょ」


 過去を語るお姉ちゃんは、つらいことであるはずなのに、どこか楽しそうに話している。お姉ちゃんからしてみれば、つらい過去の話というより優里先輩の武勇伝みたいになってるんだろうか。私としてもつらそうに話されるよりはよっぽどいい。


「だからおばあちゃんが代わりに私の面倒を見てくれるようになったの。私が今話せることはこんなところかな」

「ふたりとも~ごはんよ~」


 リビングからおばあちゃんの声が聞こえてくる。まるでお姉ちゃんの話が終わるのが分かっているかのような完璧なタイミング。これが年の功ってやつなんだろうか。私はもう少しひとりでさっきまでのできごとについて考えたくてお姉ちゃんにお願いする。


「お姉ちゃん先に行って。私ももう少ししたら行くから」

「うん、分かった」


 了承したお姉ちゃんは、その手を解いて立ち上がると、そのままリビングに向かった。取り残された私は大きなため息をついてつぶやく。


「とりあえず、優里先輩には謝らないとな」

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