第158話 製造を痩せさせない

 量産展開支援が8週目に入った金曜日、森川修一は作業場の予定板を見たまま、倉田からの電話に答えていた。


 継続して注文を受けている定番品を、予定より20個増やし、その日の便へ載せられないかという相談である。


 加工機だけを見れば、空いている時間は残っていた。別の品を外して段取りを替えれば、20個を削るところまでは進められる。


 ただし、品物は削り終われば出荷できるわけではない。


 寸法を測り、記録を残し、洗浄と梱包を終えたうえで、誰かが出荷してよいと判断しなければならない。金曜日には北河向け既存品と小池向けの確認があり、森川の時間はすでに埋まっていた。


「機械は空いてるんやろ?」


 倉田の声が、受話器からわずかに漏れた。


「動かせる時間はあります。ただ、今日の便へ載せるための確認時間がありません」


「前やったら、土曜にやってくれたやないか」


「前回の土曜は、平日の予定を作り直すために1回だけ使ったんです。追加注文を受けるために、毎月使うつもりはありません」


「急ぎの分を払う言うても無理か」


「料金を増やしても、確認する人の時間までは増えません。月曜の午後なら、今の数量のまま出せます」


 森川は、作業場の予定を崩さずに出せる最短の日を伝えた。


 倉田はしばらく黙っていたが、最後には月曜日の午後で構わないと答えた。


 電話を切った森川は、追加20個を月曜の欄へ書き込んだ。金曜日と土曜日の予定には、何も足さない。


「ほんまに月曜でよかったんですか」


 伝票を見ていた宮田悟が尋ねた。


「急ぎ言うても、向こうの都合が全部今日明日とは限らん。こっちが金曜で受けたら金曜の仕事になるし、月曜まで掛かると言えば、向こうも月曜で組み直すことはある」


「怒られませんでした?」


「少しは言われた。ただ、割り込ませた20個のせいで、先に約束した品を遅らせる方が困る」


 森川は予定板から離れ、出荷前の区画へ置かれた北河向けの箱を確認しに向かった。


 直人が北河から戻ったのは、午後4時前だった。


 佐野真紀から倉田の追加依頼を聞き、予定板を見る。追加20個は月曜日に書かれ、金曜日にも土曜日にも割り込みはなかった。


「月曜に回したん?」


「はい。今日出すのは無理やと伝えました」


「機械は少し空いてたやろ」


 直人がそう言うと、森川は手にしていた作業票を机へ置いた。


「直人さん。機械の空きだけで受けたら、確認する俺の時間がなくなります。今週は北河向け既存品の確認もありますし、小池さんの分も閉じなあきません」


 森川の声は穏やかだったが、譲るつもりはないらしい。


 直人は予定板の下に掛けられた確認表を見た。


 宮田が加工途中で止められる範囲は増えた。森川が自分で判断できる品も、以前とは比べものにならないほど多くなっている。


 それでも、最終的な出荷可否を決める仕事は森川へ集まっていた。


 自分が戻ってから手伝えばよいと思いかけたが、直人の帰社時刻は北河の進み方次第で変わる。予定表に書けない助けを前提に注文を詰めれば、森川は毎週、直人が何時に帰るかを待ちながら工程を組むことになる。


「分かった。月曜のままでいこう」


「お願いします」


 森川は作業票を持ち、作業場へ戻っていった。


 同じ日の夕方、事務所では美智子と佐野が、量産展開支援を始めてからの時間記録を集計していた。


 北河から受けた注文額は、追加分を含めて222万円。契約は9週目の終わりまで延長されており、残りは1週間あまりある。


 黒瀬精機の規模から見れば、大きな売上だった。


 美智子は、直人、森川、佐野の名前が書かれた時間表を順にめくった。


「直人が北河へ行った日だけ数えたらあかんのやな」


「行く前に資料を読む時間と、戻ってから記録を整理する時間も入っています」


 佐野は集計表を指した。


 直人が量産展開支援へ使った時間は、移動を含めて延べ58時間。森川は候補工場への同行、試作品の確認、作業票の読み合わせで延べ27時間。佐野は書式作成、原本管理、見積もり、時間集計で延べ41時間を使っている。


 支援業務へ直接使った3人の時間は、合計126時間だった。


「第2土曜に出た時間は?」


 隆夫が、事務所の入口から尋ねた。


「直人さんと森川さんの分は、それぞれの記録へ入っています。宮田さんが既存品を進めた4時間は別にしています」


 あの土曜日、宮田は北河の支援業務をしたわけではない。


 直人と森川が平日に外へ出る時間を作るため、前倒しで黒瀬精機の製造を進めていた。支援の仕事がなければ発生しなかった勤務であり、無関係とも言えなかった。


 佐野は宮田の4時間と、3人分の休日勤務割増を別紙へ加えた。


「これに、車、ファクス、コピー代も掛かっています」


「外へ出た日に断った仕事は?」


「別にまとめています。ただし、断った見積額を、そのまま損失にはしていません」


 佐野は2枚目の集計表を出した。


 量産展開支援を始めてから、黒瀬精機へ入った新規または追加の製造相談は7件。そのうち3件は納期を調整して受注し、2件は希望納期に合わず断った。残る2件は、相手側が見積もりの途中で保留している。


 断った2件の見積総額は、合わせて64万円だった。


 もっとも、64万円がそのまま利益になったわけではない。材料費と外注費が掛かり、無理に受ければ既存品の納期や休日勤務へ影響していた可能性もある。


「北河の222万円から、人の時間や費用を引いても、採算は合うんやろ?」


 美智子が尋ねた。


「今のところはプラスです。ただ、まだ契約が終わっていませんし、終了後の問い合わせを無料で続ければ、数字は変わります」


 佐野は、黒瀬精機が加工見積もりに使ってきた社内用の時間単価表を開いた。


 加工者の賃金だけではない。機械の償却、電気、工具、事務、工場の維持費も含め、1時間を製造へ使った時に必要となる額を出している。


 直人や森川が工場を離れれば、その時間に別の加工や確認はできない。


「北河の仕事を、社内では別の仕事として扱う」


 隆夫が言った。


「同じ黒瀬精機の仕事やのに?」


 直人が尋ねると、隆夫は製造と支援の集計表を並べた。


「同じ財布やから分けるんや。支援の売上が大きいから言うて、製造から人を好きなだけ持っていったら、工場の方が痩せても気づけん」


 美智子は新しい台帳を1冊取り出した。


 表紙へ「量産展開支援」と書き、その下へ「社内振替」と加える。


 北河の仕事で直人を使った時間。森川が候補工場や確認へ出た時間。佐野が専用書式や原本を扱った時間。宮田が予定を空けるために働いた時間。車両、通信、コピー、休日勤務の割増分。


 外へ請求する金額とは別に、支援業務が製造側から借りたものとして記録する。


「支援の売上で工場の赤字を隠すんやないで」


 美智子は赤鉛筆で線を引いた。


「製造から借りた時間を、支援の側へ付け直すんやな」


 佐野は担当別の時間へ社内単価を掛け、車両費、通信費、宮田の4時間、休日勤務の割増分を加えた。


 現時点で、量産展開支援から製造側へ振り替える額は70万2000円になった。


 契約終了までの作業は、まだ残っている。


 222万円から現時点の振替額を引いても、支援業務の採算はプラスだった。ただし、これを最終利益と呼ぶことはできない。


 残り期間の作業、書類の保管、契約後に発生する問い合わせ。どこまでを契約内とし、どこから追加料金にするかで、最後に残る額は変わる。


「次に同じ仕事が来たら、北河と同じ222万円では受けられへんな」


 直人が言うと、佐野はうなずいた。


「今回作った書式を使える分は減らせます。でも、直人さんや森川さんの時間が安くなるわけではありません。それに北河さんは、自社で片岡さん、西川さん、購買担当者を出しました」


「相手側に担当がおらんかったら?」


「黒瀬が記録係や進行役までやることになります。最初から倍近く手が掛かってもおかしくありません」


 隆夫は、次の量産展開支援を受ける前に、社内の条件を決めることにした。


 直人が外へ出るのは、原則として週1日まで。森川が同行するのは、候補工場の最終確認や初回試作確認のうち、見積書と契約書に明記した日だけとする。


 それを超える案件は、期間を延ばすか、追加料金を取る。


 外部支援のために、黒瀬精機の製造予定へ突発の割り込みは入れない。急ぎで呼ばれても、正式な依頼と、製造側から借りる時間の金額が決まるまでは出向かない。


「相談の電話くらいは受けますよね」


 直人が尋ねると、佐野は答えた。


「用件と困っている内容までは聞きます。ただ、図面を見て判断したり、解決方法を考えたりするところから有料です」


「ちょっと見るだけでも?」


「その『ちょっと』を集めたら、126時間になりました」


 直人は言い返せなかった。


 そこへ森川が戻り、決まった内容を聞いた。


「製造の予定は、俺が先に閉じてええんですか」


「既存品と今の範囲なら、今まで通り森川が組んでくれ」


 直人が答えた。


「支援の予定は、空いてる日に入れるようにする」


「逆の方が助かります」


 森川は予定板の写しを机へ置いた。


「支援の日を先に固定してください。その日を直人さん不在として、残りで製造を組みます。週1日でも、月曜になったり木曜になったりしたら、確認の順番を毎週変えなあきません」


 直人は、予定表を見ながら考えた。


「火曜で固定しよう」


「火曜が祝日か、相手の都合で無理な時は?」


「その週は行かんか、前の週までに動かす日を決める。急には変えん」


 佐野は、契約が終わるまでの予定表で、火曜日の欄へ薄い斜線を引いた。


 直人の外部支援日。


 製造納期は、その日を直人不在として組む。森川の同行が必要な週だけ、契約上の同行日として別に記入し、それ以外は黒瀬精機へ残る。


 翌週の月曜日、倉田から頼まれた追加20個は、約束通り午後の便へ載せられた。


 休日勤務はなく、小池向けと北河向けの納期も変わっていない。倉田から、遅いという苦情も入らなかった。


 火曜日の朝、直人が北河へ向かう準備をしていると、佐野が1枚のファクスを持ってきた。


 差出人は、北河と取引のある旭電装という会社だった。


 北河から黒瀬精機の名前を聞き、自社の協力工場3社で品質が揃わず、現場を見てもらえないかと相談してきたのである。


 ただし、対象品種の数、現行図面の有無、使用区分、3つの協力工場の所在地、どこまでの支援を求めているのかは書かれていなかった。


「北河の時みたいに、先に話を聞きに行きますか」


 直人が尋ねると、佐野は新しく作った受付用紙を机へ置いた。


「無料では行きません。まず、対象品種数、現行図面数、使用区分数、協力工場数、各工場の所在地、希望する支援範囲を書いてもらいます」


「書けへん言われたら?」


「書けない状態を調べるところから、見積もります」


 訪問日数は、旭電装へ決めさせなかった。


 工場の数と所在地、図面や使用区分の状態を確認したうえで、必要な日数を黒瀬側が出す。


 佐野は回答用紙を旭電装へファクスした。


 その相談は、製造の予定板には書かれなかった。


 量産展開支援の台帳に、新しい受付番号だけが加えられた。


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