第4話

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 五月五日──辰也はいつものように〈キャッスル・コロシアム〉で設営の仕事を終えた。

 まだ舞衣には会っていないが、場内で青柳とルミを見かけて目で挨拶を交わす。

 開場と同時にロビーには観客が殺到し、物販ブースも大混雑だ。混乱のさなか、辰也はコロシアムを見てまわった。選手の控室にはさすがに入れないが、それ以外はくまなく調べてみた。

 ハグアル・ネグロと思しき人物も、それにつながるようなものも見つからなかった。

(あとは……)

 辰也は三階に通じる階段を見上げた。『関係者以外立入禁止』のロープが張られている。

(今はダメだ。試合が始まって、人がいなくなれば……)


 六時半に試合が始まると、ロビーは嘘のように静かになった。階段のまわりに人がいないことを確かめてから、辰也は三階に通じるロープをくぐり抜けた。

 三階は〈キャッスル〉のオフィスだが、社員も出払っているようだ。

 不気味なほど静かな廊下を、物陰に隠れながら辰也が進んでいくと、ふいに足音がした。

 あわてて辰也はトイレに隠れ、巡回している警備員をやり過ごす。

「──ちょっと君、こんなところで何してるの?」

「うわッ!」

 様子をうかがいながら廊下に出たとき、背後から声をかけられて背筋が凍った。

 恐るおそる振り返ると、そこには黒いジャージを着た亜門ショコラの姿があった。

「君、バイトの子でしょ? もぉ……ダメなんだからね。怒られちゃうよ?」

 そう言って頬を膨らませるショコラは、蕩けそうになるほど可愛い。見つかったのが彼女でよかったと辰也は思う。

「す、すみません! 下のトイレがいっぱいで……す、すぐに降ります!」

 言い訳しながら通り過ぎようとした辰也の腕を、ショコラがつかんで言った。

「まあいいわ。こっちも君を探してたところだし」

「……えっ?」

「こないだ、一緒に来ていたバイトの女の子……今日は来てないの?」

「……!」

 辰也は振りほどこうとしたが、いくら非力と言われているにせよ、ショコラはレスラーだ。抵抗できるはずもなかった。

 

 辰也が連れてこられたのは、バイトが決して入ることのできない部屋──VIPルームだった。

 豪華なペルシャ絨毯に、磨き上げられたマホガニーの調度。酒棚には高級酒が並んでいる。

 その奥──場内が一望できるガラス窓の前、革張りのソファーに坐っている男が振り向いた。

 〈キャッスル〉社長の城マコトだ。

「おお、見つけてくれたか──ヘイユー、落ち着きなさい」

 城は辰也に笑顔で近づいてきた。小ぎれいな顔に高い声で、少年が無理に大人ぶっているようだ。

「──それにしても、まさかバイトに紛れて、彼女を潜り込ませるとはね」城が続ける。

「な、何の話か……」

 はぐらかそうとする辰也に、城はため息をついて首を振った。

「前回のチケットはファンクラブ限定販売だ。転売対策も完璧さ。入念に調べたが、会員にブオ・ブランコらしい人物はいなかった。入口の防犯カメラにも映っていない。つまり、彼女はチケットを買って入場したわけじゃない──とすると、スタッフの誰かだ。それも、長年勤務しているような人物じゃない。日雇いでバイトに入った誰か……違うかな?」

「……」

 辰也は今すぐにでも逃げ出したかったが、両腕はがっちりとショコラに押さえられている。

「いやいや、怒っているんじゃない。むしろ感謝してるぐらいだ。見なさい、あの満員の客席を……急遽、当日券を出したくらいだ。すばらしい興行価値じゃないか!」

 城は窓から場内を見まわして、満足気にうなずいた。

「ミーは〈キャッスル〉に迎えたいんだよ。ユーの友達──ブオ・ブランコを! ベビーでもヒールでもない第三勢力……これは売れるぞ! もちろん、それ相応のギャラははずむつもりさ。ミーもユーもビッグ・マネーをつかんで、ハッピーになろうじゃないか!」

「勝手なことを……」

「だが、それには問題が二つある。ひとつはブオ・ブランコをどうやって説得するか。もうひとつは、どれだけストーリーを長引かせられるかだ……今夜、赤羽が負けでもしたら非常に困るんだよ」

 城は口元をゆがませて言った。

「──その二つを解決できる人間が、ここにいる」

「……!」

 辰也の首にショコラの腕が巻きついた。可愛い顔からは想像もできない力で頸動脈を絞め上げる。

「うっ……ぐっ……」

 辰也の目に映る城の姿が霞んでいき──やがて真っ白になった。


「──ブオ・ブランコはまだ来てないのか?」

「もうセミファイナルが始まってんぞ!」

 控室では、黒いジャージの練習生たちが駆けまわっていた。

 想定外のケガで、出場レスラーが変更になるのは珍しくないが、連絡すらないのは前代未聞だ。そんなレスラーは二度とリングに立てない。

 しかし、ブオ・ブランコは素性の知れないレスラーだ。突然ボイコットされる可能性がないとは言い切れない。メインイベントがキャンセルになれば、観客がどれだけ暴れるか想像もつかなかった。

「アタシ、もう一度外を見てきます!」

 練習生の一人がドアから飛び出そうとしたとき、彼女──ブオ・ブランコは戸口にあらわれた。

 目深にかぶったパーカーのフードの下は、すでにマスクで覆われている。荷物は紙袋に入れたリングシューズだけだ。

「ブオ・ブランコ……」

「てめえ……!」

 向けられる怨嗟の視線を気にも留めず、ブオは無言でリングシューズに履き替えた。

「こんな時間に来て、挨拶もねえのかッ!」

 声を荒げる練習生を、ブオはフードを下ろして睨みつける。

「うっ……」

 氷のような視線に射貫かれて、練習生は思わず引き下がった。

「どきな。そいつの面倒はオレたちが見る」

 ルミと青柳が控室にあらわれると、練習生たちはそれぞれ散っていった。

 ルミも青柳も、すでに試合を終えている。

 前回の敗戦で二人の序列は下げられていた。青柳は第三試合に、ルミは新人相手の第一試合。セミファイナルでベテランの〈大怪獣〉・トルトゥーガ緑川と試合が組まれているショコラとは大違いだった。

「──坂本君は?」

 隣に腰かけたルミに、ブオは小声で聞いた。

「試合前に見かけた。どこかにいるはずだ。おまえは試合に集中しろ」

「彼にも、君が到着したことを伝えておこう」

 青柳がブオの肩に手を置くと、その肩がかすかに震えているのがわかった。


 場内から大きな歓声が聞こえてきた──セミファイナルが終わったようだ。

「……行くぜ!」

 ルミにうながされて、ブオはパーカーを脱いで立ち上がる。

 リングに向かうブオの背中を見送りながら、青柳は拳を握りしめた。

(もし、彼女が負けるようなら──乱入してでも、私がハグアル・ネグロを引きずり出す!)


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「本日のメインイベント──青コーナー……ブオ・ブランコ!」

 ブオはロープを跳び越えてリングに上がった。コーナーに背中をあずけて花道を見すえる。

 照明が点滅し、派手なオーケストラの入場曲が鳴り響いた。

「赤コーナー……一七三センチ・一六〇パウンド、アンヘル赤羽!」

 割れんばかりの歓声に迎えられ、赤羽が花道にあらわれた。赤い剣闘士風のコスチュームから覗く筋肉は汗に光り、顔には不敵な笑みを浮かべている。

 リングを埋めつくすほど投げ込まれた紙テープの中、赤羽はリングに上がった。紙テープが回収され、レフェリーのボディチェックを受ける間も表情を崩すことはなかった。

 コーナーに戻る直前、赤羽が握手を求めてきた。

 ブオはその手を無視してコーナーに戻り、ロープをつかんで軽い跳躍を繰り返す。

 ──ゴングが鳴った。

 ブオは振り返って身構えた。

 その目の前に、赤羽のシューズの靴底が迫っていた。

「──!」


 先制のドロップキックを食らったブオは、リング下に転落した。

 間髪を入れずにリングを降りた赤羽は、ブオの体を引き起こし、リングサイドの客席に投げつける。

 赤羽はさらにヘッドロックを極めると、ブオの頭をコーナーの鉄柱に叩きつけた。

「二人とも、リングに戻れッ!」

 レフェリーの指示に、赤羽は素早くリングに戻った。

 ブオはクラクラする頭を振りながら、自分を悔いていた。

(何て甘いんだ、私は……あいつがハグアル・ネグロなら、このくらいのことはする!)


 転がるようにリングに戻ったブオを、赤羽は逆さまに抱え上げた。

「フンッ!」

 ブレンバスターが決まった。背中から叩きつけられたブオを、赤羽が片エビ固めにとらえる。

「ワン! ツー……」

 カウントをツーで返したブオは、ふらつきながら立ち上がった。

 それを待っていたかのように、赤羽のトラ―スキックが襲いかかってくる。

 ブオはキックを腕で弾き返し、カウンターで後ろ回し蹴りを放った。

 赤羽はバックステップでキックをかわす。

 間合いが開いた。すかさず倒立したブオの両脚が、赤羽の頭を挟み込んだ。

「!」

 ブオのヘッドシザース・ホイップが、赤羽をマットに投げ飛ばす。

 追い打ちをかけるように、ブオは空中回転しながら倒れている赤羽の上に落ちた。

 腹部を強打された赤羽をブオがフォールする。

 ブリッジでフォールを返した赤羽は、間合いを取ってブオと睨み合った。

「……」

「……」

 二人はそれぞれロープに向かって走った。

 ロープの反動を使い、打点の高いドロップキックを同時に放つ。

「セヤッ!」

「ハァッ!」

 キックが空中で激突した。同時にマットに落下した二人は、転がりながら同時に立ち上がる。

 客席のまばらな拍手が次第に大きくなり、場内の静寂を埋めつくした。


(一発が、重い……!)

 赤羽は、今しがた受けたブオのキックの重さに驚いていた。

 赤羽の体重は七三キロ──ブオの体重はコールされなかったが、六十キロあるかないかだろう。

(この体重差で打ち負けることはないはず。しかし、彼女は……フフ、相当な練習を積んでいる!)

 赤羽は思わず笑みをこぼした。

(打撃戦は不利! ならば、組んで仕留めるのみッ!)

 距離を詰めた赤羽は、ブオと正面から組んだ。逆さに持ち上げて再度ブレンバスターを狙う。

 ブオは、それを空中で切り返して赤羽の背後に立った。バックドロップで逆に投げ返す。

「ク、クソッ……」

 赤羽は立ち上がろうともがいたが、背中を強打して思うように動けない。

 その間にブオはトップロープに上っていた。

「──!」

 高く跳躍したブオのボディプレスが、上空から赤羽に襲いかかってきた。


 赤羽の足はどうにか反応した。両膝を立ててブオを撃墜する。

「グフッ!」

 腹部に膝を突き立てられて、ブオはマットに転がった。立ち上がった赤羽がブオに歩み寄る。

「これで終わりにしてやる……」

 赤羽がブオを抱え上げようとしたとき、その右足にブオの足がからみついた。

「──何ッ?」

 踵を抱え込まれた赤羽がマットに倒れる。その膝に激痛が走った。

 先日、ブオが威力を痛感したばかりの技──ヒールホールドが極まったのだ。

「よっしゃあああ!」

 リングサイドのルミが、自分のことのように声を上げた。


「グウッ!」

 鍛えることができない靭帯の痛みに、赤羽は必死でローブに手を伸ばした。

 ブオは位置を変えながら、赤羽をロープから遠ざけようとする。

 その耳に、甘いささやき声が聞こえてきた。

「──あなた、強いわね」

「……?」

 リングサイドのすぐそばに、亜門ショコラの姿があった。

「私としては赤羽さんに勝ってもらいたいなあ……そうすれば、あなたの友達も無事に帰れるのにね」

「なっ……!」

 ブオの両手が一瞬ゆるんだ。赤羽はすかさず足を引き抜いて、ブオをリング下に蹴り落した。

 ショコラの姿はすでに見えなかった。

「何やってんだ! 逃がすような技じゃねえだろッ!」

 ルミが駆け寄ってきて激を飛ばす。ブオは声を震わせて言った。

「坂本君が……捕まってる。この会場のどこかに……」

「な、何だって!」

「どこを見ている! こっちを見ろッ!」

 トップロープに上った赤羽がブオを見下ろしている。

 ロープを蹴った赤羽が、空中を回転しながらブオの真上に落ちてきた。


「ううっ……」

 辰也は意識を取り戻した。

 目に入ったのは殺風景な部屋の天井だ。壁のモニターには試合の様子が映し出されている。

 手足の自由がきかない。両手両足はロープでベッドに縛りつけられていた。

「──ユーの友達は、忠告を聞いてくれたようだ」

 シャツとスラックスのくつろいだ姿で、モニターを眺めていた城は満足気に言った。

 リングではブオが赤羽に、なすすべもなく痛めつけられている。

「これでブオ・ブランコは負ける。リベンジするまで、これからも〈キャッスル〉で戦い続けなきゃならないのさ。それには、ユーの協力が必要だけどね……」

「きょ、協力なんかするか! どんなに脅されたって!」

「何も脅す必要はないさ」

 城はポケットから分厚い札束を出して、辰也の目の前で振った。

「ほーら札束だ。いい匂いがするだろう? 彼女を説得してくれれば、これは全部、君のものだ」

 辰也は唾を吐きつけた。顔にかかった唾をぬぐう城の顔色が変わった。

「こんな手は使いたくなかったが……」

 城はテーブルに置いたビデオカメラのボタンを押した。辰也の耳元に口を寄せる。

「……ユーとミーの仲睦まじいところを見たら、彼女がどう思うかな?」

「……!」

 怖気がした。辰也は拘束を解こうともがいたが、ロープが手足に食い込むばかりだ。

 城の手が、辰也の腰のベルトに伸びてきた。


 ドスン!

 辰也がいる部屋のドアが軋んだ。

 二度、三度と激しく揺さぶられたドアが、音を立てて部屋の中に倒れてくる。

 ドアの向こうには、青柳とルミの姿があった。

「社長……!」

 ベッドに縛りつけられた辰也の姿を見て、青柳の怒りが込み上げてきた。

「な、何だねユーたちは! ここはミーのプライベートルームだぞ!」

 自らもズボンを下ろそうとしていた城が、手を止めて金切声を上げる。

「黙れ、変態ッ!」

 青柳の強烈なバックハンドを食らって、城は部屋の外まで吹っ飛ばされた。

 その間にルミは辰也のロープをほどいた。

 部屋を出ると、そこはVIPルームだった。酒棚の裏に隠し部屋があったのだ。


「こ、こんなことをして、タダで済むと思うな……」

 唇から血を流しながら、なおも凄む城に青柳は怒りをぶちまけた。

「構わん! 今日限りで私もルミも〈キャッスル〉を辞める! 新しい団体を作って、〈キャッスル〉を叩き潰してやるッ!」

「な、何だとッ!」城は激昂した。「できるものか! 〈キャッスル〉に逆らえばどうなるか……会場は借りられず、メディアの取材もない! プロレスしか知らないおまえらは路頭に迷うことになる!」

「貴様……!」

 青柳は城の胸ぐらをつかんだ。ワイシャツのボタンがはじけ飛び、素肌があらわになった。

 青柳は目を疑った。

 城の胸にはサラシが巻かれ、豊かな胸のふくらみを隠していた。

「き、貴様……女だったのか! どうりで男性的魅力がないはず!」

「くっ……」

 青柳の手を振りほどき、城はマホガニーのデスクに手を伸ばした。

「寄るなッ!」

 城は引出しから何かを取り出した。プロレスのマスクのようだ。

「それはっ……!」

 青柳はそのマスクを忘れたことがなかった。

 獣の耳を持つ、目の粗い生地で作られた漆黒のマスク──。

「──ハグアル・ネグロのマスク!」


 12

 リング上のブオはあきらかに動きが鈍っていた。

 場外でセントーンを食らってからというもの、赤羽に一方的に投げられ、蹴られ続けている。

「不甲斐ない……」赤羽は苛ついて言った。「その程度か、ブオ・ブランコッ!」

「卑怯な……」ブオが血走った視線を向ける。「人質さえいなければ、貴様など……!」

「──人質だと? おかしなことを言うな! 侮辱する気かッ!」

 赤羽は怒りの表情で、ブオの顎にアッパー式ラリアットを叩き込む。

 崩れ落ちるブオの体を仰向けにして両肩に担ぐと、ロープに向かって走った。

「アンヘル・マルティ―リョッ!」

 三段のロープを一気に駆け上がり、宙を飛んだ赤羽は、全体重を乗せてブオをマットに叩きつけた。

「グハアッ!」

 ブオの全身から力が抜けていく。あとはフォールされるのを待つばかりだ。


「赤羽ーッ! そ、そいつを叩き潰せ! 〈キャッスル〉の怖さを思い知らせてやれッ!」

「なっ……?」

 突然の声に赤羽が振り向くと、サラシを巻いた素肌もあらわな城が走ってくるのが見えた。

「この野郎ッ!」

 追いかけてきたルミが、タックルで城を押し倒す。

 直後に青柳と、見覚えのあるバイトの青年が姿を見せた。

「ブオ、聞こえるか! 坂本君は無事だ! そして──」

 青柳は床に黒いマスクを叩きつけて言った。

「この社長が、ハグアル・ネグロの正体だッ!」


「……」

 赤羽はルミから逃れようともがいている城を見た。

 青柳に肩を借りている、焦燥しきった辰也の姿を見た。

 最後にマットに倒れているブオを一瞥すると、ロープをくぐってリングを降りた。

「赤羽、どこに行くんだ! まだ試合は終わってないぞ!」

 レフェリーの言葉に、赤羽は吐き捨てるように答える。

「真剣勝負に邪魔が入った。こんなものは勝利じゃない」

「リングアウトを取るぞ!」

「勝手にしろッ!」

 赤羽は城に歩み寄ると、軽蔑の眼差しで見下ろした。

「まだ状況は飲み込めないが……試合に水を差されたのは確か! 〈キャッスル〉のため、多少の汚れ仕事は黙認してきたが、今度ばかりは許せん! 人質など……卑怯な手を使わなければ、私が勝てないとでも思ったか!」

 ルミの体を払いのけ、赤羽は城の髪をつかんで引き起こす。

「ヒィーッ! た、助けてーッ!」

 泣きわめく城の顔面に向かって、赤羽は拳を振りかぶった。

 ──その拳は縫いつけられたように動かなかった。

「……?」

 赤羽の手首は、亜門ショコラに握りしめられていた。


「何してるんですか、赤羽さん。早くリングに戻って!」

「ショコラ、おまえには関係ない! 離せッ!」

 ショコラを振りほどこうとしたとき、赤羽の体が宙に浮いた。放物線を描いて客席に投げ飛ばされる。

「なっ……!」

 赤羽にはダメージよりも、衝撃のほうが大きかった。ショコラにこんな実力はないはずだ。

「図に乗るなよ、赤羽ェ……」冷たい声でショコラは言った。「おまえがエースでいられるのは? 大金を稼げるのは誰のおかげだ? 私と〈キャッスル〉が引き立ててやったからだ! わかったらリングに戻って、ブオ・ブランコにとどめを差せッ!」


「ショ、ショコラ……貴様ッ!」

 赤羽は立ち上がり、ショコラに向かって猛然とダッシュした。

 数多くの敵をマットに沈めてきた、必殺のラリアットを放つ。

 ショコラはその剛腕をあっさり受け止めると、ハンマーロックで切り返した。

 鈍く不快な音がして、赤羽の右肩は脱臼した。赤羽の絶叫が場内に響く。

「ガアアアアーッ!」

「黙れッ」

 ショコラの鋭いキックがこめかみに叩き込まれ、赤羽は昏倒した。

「チッ……使えない奴だ。私の後継者になれると思っていたが」

 ため息をついたショコラが、集まってきていたレスラーに呼びかける。

「トルトゥーガ緑川! セントーン桃瀬! 誰でもいい、ブオ・ブランコにとどめを差せ! それができる奴が、次のエース・レスラーだッ!」

「……」

 答えるレスラーは誰もいなかった。ショコラは首を振って、あきれたようにつぶやいた。

「どいつもこいつも、そろって意気地のない……自分でやるしかないのか。フフッ、アイドル・レスラーの収入をフイにするのは惜しいが……」

 ショコラは落ちていた黒いマスクを拾い上げ、頭からかぶった。

 その姿を見た青柳の背筋が凍りつく。左目を潰されたときの恐怖がよみがえった。

「社長じゃなかった……」青柳の声が震えた。

「あいつが……あいつがハグアル・ネグロだッ!」


 観客は困惑していた。

「赤羽がショコラにやられたぞ!」

「仲間割れ? ショコラがヒールターンかっ?」

「そんなことより、社長は女だったのかよ!」

「これはアレだぜ、社長がレスラーとしてデビューするんだ。アメリカじゃよくある話さ……」

 様々な観客の反応をよそに、ハグアル・ネグロはロープをくぐってリングに上がった。

 あわててレフェリーが止めに入る。

「何をしている! 試合がまだ……」

「とっくに赤羽のリングアウト負けだ」ハグアルは鼻で笑った。「これから特別試合を始めたい」

「──特別試合?」

「こんな不完全燃焼の試合では、お客さんも不満だろう」

「いいぞーッ! やらせてやれ!」

「ショコラ―ッ! 応援してるぞ!」

 場内から歓声が巻き起こる。レフェリーは心配するようにブオを振り返った。

 ブオの体力は回復していた。全身をアドレナリンが駆けめぐり、その目に闘志がみなぎっている。

「ハグアル・ネグロ……!」


「どうやら、向こうもやる気らしいな──おい、ゴングを鳴らせ! 無制限一本勝負だッ!」

 ハグアルはアナウンサー席に命じると、ブオに近づいてささやいた。

「……一応、試合という形式にしておかないとな。おまえを処刑したあとが面倒だ」

「貴様ッ……!」

「──ファイッ!」

 場内の歓声に押され、レフェリーが試合開始を宣言する。ゴングが打ち鳴らされた。

 次の瞬間、ハグアルのキックはレフェリーの喉元に炸裂した。

「ゲホッ!」

 場外に転落したレフェリーが、白目をむいて気絶する。

「フフ……これで邪魔なレフェリーはなし! スリーカウントもギブアップもなし! ルール無用のデスマッチだッ!」

 間合いを詰めながら、ハグアルは邪悪な笑みを浮かべた。

「悪魔め……」ブオは歯を噛みしめた。「貴様は神聖なリングを汚し、ルチャ・リブレの名を汚した! 絶対に許さん!」

 マスクの奥で、黒い瞳が怒りに燃えた。

「ブオ・ブランコ、参る!」

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