第20話 切り離された世界

「…えっ……。」

 

 私はその状況を全く飲み込めませんでした。…当然ですよね。まだ小学生ですから、人が死ぬ。…死ぬともうその人には会えない…。

言葉では分かっていても、いざそれが自分に近しい人、大好きな人がそうなったなんて飲み込める訳がないんです。

 そして、それはお兄ちゃんも同じでした。誇張でも何でもなく、お兄ちゃんにとって茜さんは文字通り生きる希望そのものだったんです。それが無くなれば、どうすればいいか分からない。どうやって生きて行けばいいか分からない。そんな存在だったんです。


「お兄ちゃん……。」

「御免ね…香織ちゃん…。一人にしてくれるかい……。」


 何時も駄々をこねる私もその言葉を跳ね除ける事は出来ませんでした。

 その日からお兄ちゃんの容態がどんどん悪くなっていったんです。

 後から聞いた話では、当時、一緒に病室に居た二人組は茜さんの両親だったそうです。茜さんはいつも通りに学校から病院に来る途中で事故に遭って亡くなった…。その事をお兄ちゃんに伝えに来てくれたようです。

 茜さんは家庭でもお兄ちゃんの話題をよく出していて、茜さん自身にも影響を与えていたと…、ですが、それが逆にお兄ちゃんを追い詰めてしまったと嘆いていたそうです。


「君のせいではない!」

「でも、見舞いになんて来なければ、茜は死なずにすんだんです。なんでこんな僕が生きているんだ…。元気な茜が生きて、僕が死ぬべきだったんだ…。」

「馬鹿を言ってはいけない。茜も君から力を貰っていた。君が頑張っている姿を見たら、自分も頑張れる。よく口にしていた。」

「…もう放って置いてくれませんか。もう…僕は……。」

「……そうだな…。席を外させてもらうよ…。でもいいかい?早まってはいけないよ。」

「……なんで俺が…。」


 茜さんが亡くなってからはお兄ちゃんは、私と話す事が無くなりました。病室に行っても追い返される毎日。好きな演劇の話をしても関心を示してはくれない。

 私は唯、お兄ちゃんに昔みたいに戻って欲しい…。そう願っていました。けれど、その願いとは裏腹に、お兄ちゃんはどんどん衰弱していきました。

 行く度に増えている管の数に、この人は何か別の生物になってしまうのではないか…。心も身体も自分の記憶しているものから変わっていく事に私は恐怖を感じていました。その時はもう私に対して口を開く事も無くなっていました。


 ……そして……。


「…香織ちゃん…お兄ちゃんの所に行こうか…。」


 突然、母から切り出されました。私は変わってしまったお兄ちゃんに会いたくない…、見たくない…そう思っていました。


「えっ…。やだよ……。会いたくない…。」

「いいから……。今日だけだから…。お兄ちゃんが呼んでいるそうよ…。」

「えっ…、うん…。分かった…。」


 有無を言わせない母の気迫に押され、私は渋々承諾しました。母はお兄ちゃんの所へ遊びに行くのをあまり快く思っていませんでしたから…。

 でも、本当は私もお兄ちゃんに会いたかったのかもしれません…。私を呼んでいるならあの時の、優しいお兄ちゃんに戻っているのかもしれない…。そんなほんの少しの希望を胸に母と手を繋ぎながら、病室に向かいました。

 病室に行く廊下の感触を今でも憶えています。いつも通っていたはずなのに、酷く無機質で自分の足音がよく響いていました。病室が近づく度に重力が増し、息をするのがとても苦しかったです。

 

 「着いたよ…。」


 母の声で顔を上げると、いつの間にかお兄ちゃんの病室へとたどり着いていました。

 私は意を決して扉を開けると、そこには酷く痩せ細った、今にも倒れてしまいそうな男の人がいました。

 …そうです…。私は最初見た時にそこに居る人をお兄ちゃんと認識する事が出来なかったんです。


 「やぁ…久し振りだね…。香織ちゃん…。」


 弱々しい声で呼ばれて、漸く気付きました。もう…私の知っている…私が好きだったあの人は何処にも居ないのだと…。彼だけじゃない…茜さんも…二人が形作ったあの世界はもう何処にも無いのだと…。

 それに気付いた瞬間、私の眼には涙が溢れて止まりませんでした。


「おいで…香織ちゃん…。最期にお話をしよう…。」


 手招きしているお兄ちゃんの側に近寄って、手を取ると信じられない程に冷たかったんです。丸で冷凍庫に冷やされていたように…。


「御免ね…約束を守ってあげられなくて…。」

「やだ…!お兄ちゃん言ってたでしょ…。私が凄い俳優さんになったら、一番に観に来てくれるって…。だって、お兄ちゃんは私のファンだもんね…。お兄ちゃんは嘘つかないもん…。」「御免ね…。嘘つく事になって……。」

「やだ…!いいよ…!嘘ついたって…だから私を一人にしないで…!」

「御免……ね…。」

「お兄ちゃん…お兄ちゃん!」


 ビー、とけたたましい音が機械からなりました。看護婦達が一斉にお兄ちゃんを取り囲みました。


 離した手が、意志無く、無情にベットに倒れ込んだ瞬間、私とお兄ちゃんは世界を切り離されたんだと知りました。




 


 


 


 


 

 


 


 




 






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