第5話「笑顔の牽制」
「……何してるの?」
保健室の空気が凍る。
入口に立つ結城美羽は、笑っていなかった。
その視線は、春人の耳元に顔を寄せていた白峰綾乃へ向いている。
「あら、美羽ちゃん」
綾乃はまるで気にしていない様子で微笑んだ。
「ノックくらいしないとダメだよ?」
「先生こそ、生徒に何してるんですか」
「お話?」
「耳元で?」
怖い。
完全に修羅場だった。
「み、美羽、落ち着けって」
春人が間に入ろうとすると、美羽は春人の腕を掴んだ。
ぎゅっ、と強く。
「帰ろ」
「え、昼休みまだ――」
「帰ろ」
圧がすごい。
綾乃は面白そうに二人を見ていた。
「結城さんってほんと独占欲強いね」
「……普通です」
「普通の子はそんな顔しないよ?」
ピクリ。
美羽の眉が動く。
「先生には関係ないです」
「あるよ?」
綾乃はにっこり笑った。
「だって春人くん、可愛いし」
教室なら悲鳴が上がっていた。
だが今は静かな保健室。
だから余計に、その言葉が重かった。
「……先生」
美羽の声が低い。
「生徒に手出したら問題ですよ」
「ふふ」
綾乃は笑うだけ。
その余裕が、美羽をさらに苛立たせていた。
すると突然。
コンコン。
保健室の扉がノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、朝霧雫だった。
「あれ?」
空気を見た瞬間、雫は小さく首を傾げる。
「なにしてるの?」
全員黙る。
綾乃は楽しそうに笑い、美羽は不機嫌そうに目を逸らした。
そして雫は、春人を見た。
「春人くん」
名前を呼ばれた瞬間。
なぜか背筋が伸びる。
「は、はい」
「ちょっと職員室まで来てくれる?」
「え、また?」
「また、って何?」
にこっ。
笑顔。
でも妙に圧がある。
綾乃が肩をすくめた。
「雫ちゃん、独り占め禁止だよ?」
「綾乃先生こそ」
雫は笑ったまま答える。
「生徒に近づきすぎです」
「嫉妬?」
「違います」
即答。
だが空気は重かった。
春人だけが完全に置いていかれている。
「春人くん、行こ?」
雫は自然な動作で春人の手首を掴む。
細い指。
冷たい感触。
その瞬間。
美羽と綾乃、両方の視線が雫へ向いた。
「……朝霧先生」
「なに?」
「近いです」
美羽が言う。
だが雫は微笑むだけだった。
「先生と生徒なら普通だよ?」
昨日も聞いた台詞。
なのに今日は、妙に怖く感じた。
結局。
春人は雫に連れられて保健室を出る。
廊下を歩きながら、春人は小さくため息をついた。
「なんなんですか今日……」
「人気者だね、春人くん」
「絶対からかってますよね」
「ふふ」
雫は楽しそうに笑う。
だが。
職員室の前まで来た時、不意に立ち止まった。
「……春人くん」
「はい?」
雫はゆっくり振り返る。
その瞳は、いつもの優しい教師のものじゃなかった。
「白峰先生には、あんまり近づかないでね?」
ぞくっ。
背筋が冷える。
「え……」
「春人くん、優しいから」
雫はそっと春人のネクタイを整える。
恋人みたいな距離。
「すぐ騙されちゃいそうで心配」
その声は甘い。
でも。
どこか壊れそうな独占欲が滲んでいた。
「先生はね」
雫は小さく笑う。
「春人くんを、誰にも取られたくないの」
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