元体育大生の俺、異世界で聖剣をベンチプレスしたらヤンデレ聖女と女騎士に執着された 〜重すぎる愛も筋肉なら持ち上がる〜

他力本願寺

第1話 聖剣は、抜くより挙げろ

王都の中央にそびえ立つ、荘厳なる大聖堂。


百年に一度、魔王討伐の使命を帯びる『勇者』を選ぶ神聖なる儀式の最中。


進行役を務める神官長は、己の目を疑い、全身をわななかせていた。


「お、おい……! あいつ、神聖なる祭壇の上で何をしているんだ!?」


神官長の視線の先。


伝説の『聖剣』が突き刺さる大理石の台座の真下に潜り込み、一人の巨漢が仰向けに寝転がっていたのだ。


「ふむ……肩甲骨の寄せはこんなものか。大理石の台座は背中が滑らなくて、思いのほかやりやすいな。これならブリッジも崩れないだろう」


巨漢は、誰の目から見ても明らかなほど不敬な姿勢で、ぶつぶつと謎の呪文を唱えている。


大聖堂を埋め尽くす群衆や騎士たちは、パニックに近いざわめきに包まれていた。


「頭がおかしいのか! 聖剣はただの物理的な力任せに動かせるような代物ではない!」


「高度な『魔力励起』と、神に選ばれし気高き魂の輝きがあってこそ、初めて引き抜けるものだろうが!」


「魔法の適性すら皆無の筋肉馬鹿が、あんなふざけた姿勢で神聖なる剣に触れるなど神への冒涜だ!」


「早くつまみ出せ! 儀式が穢れるぞ!」


周囲から飛んでくる、容赦のない嘲笑と怒号。


彼の名はマッスル・グレイン。

聞くところによれば、彼は『ニホン』という異世界の『体育大生』だった前世の記憶を持つらしい。運動生理学と筋トレ理論という未知の学問に全青春を捧げ、転生した今もなお、筋肉への探求心を一切ブレさせない常軌を逸した男である。


この剣と魔法の世界において、肉体そのものを極限まで鍛え上げるという文化は存在しない。


だからこそ、群衆は彼の行動が全く理解できなかった。


聖剣とは『厳かに柄を握り、天に向かって引き抜く』もの。


それがこの世界の常識だ。


だが、マッスルの鍛え抜かれた筋肉理論は、別の暴力的な最適解を導き出していた。


地面にがっちりと固定された超重量物を動かしたい時、人体は『引く』よりも『押す』方が、大胸筋と全身の連動によって圧倒的な高出力を生み出せる。


彼は聖剣を抜こうとしているのではない。


聖剣を『ベンチプレス』しようとしているのだ。


「き、貴様! 何をふざけている! 早く立って剣を引き抜かんか!」


神官長が顔を真っ赤にして怒鳴り散らすが、マッスルは一切動じない。


高重量に挑む前は、極限まで集中力を高める必要があるからだ。


「すぅぅぅ……っ」


マッスルが深く息を吸い込み、強靭な腹圧をかける。


両手で聖剣の柄の下部をしっかりとグリップし、手首の角度を微調整した。


肩甲骨を下制し、胸郭を広げる。


「な、なんだあの不気味な構えは……!」


「魔法の詠唱すらしていないぞ! いや、あれを見ろ! 彼の腕の筋肉が異常に膨張している!」


彼にとって、この神聖なる祭壇は最高のベンチ台であり、抜けぬ聖剣は極上のバーベルに過ぎなかった。


「フンッッッッッ!!」


マッスルが持てる全ての筋力を動員し、聖剣を真上へと力一杯押し上げた。


ぶちぶちと、筋繊維が歓喜の悲鳴を上げる音が聞こえてきそうなほどの異常な収縮。


全身の血管が太く浮き上がり、鍛え抜かれた肉体がミシミシと軋む。


常識外れの筋出力が、剣の柄を通して台座へと伝わっていく。


「……ぬおおおおおおおおっ!」


数秒間にわたる、極限の拮抗。


大聖堂の空気がビリビリと震えるほどの、圧倒的な物理の暴力。


しかし――聖剣は、一ミリたりとも動かなかった。


「……そこまで! マッスル・グレイン、不合格! 勇者の適性なし!」


神官長の冷徹な、そしてどこか安堵したような声が大聖堂に響き渡る。


周囲からは「やはりな」「罰当たりめ」「力技で抜けるわけがないだろう」と、呆れ混じりのため息が漏れた。


普通なら、人生最大の晴れ舞台で失敗し、絶望して泣き崩れるか、恥のあまり逃げ出す場面だろう。


「ふぅ……」


だが、マッスルは爽やかな汗を拭いながら立ち上がり、大胸筋をピクつかせながら満足げに頷いた。


「いい重量だ。今の俺には、少しばかり重量設定が早かっただけだな」


彼の顔に、怒りや悲しみは一切ない。


あるのは『まだまだ自分は強くなれる』という、異常なほどの前向きさだけだった。


マッスルは足取りも軽く、周囲の白い目を一切気にすることなく大聖堂の出口へと歩き出した。


「よし、まずは森に行ってバルクアップからやり直しだ」


「広背筋の強化と、良質なタンパク質の摂取が急務だな。乳清(ホエイ)の代わりになるものを探しつつ、卵と豆粉と蜂蜜を集めて、自家製のプロテインを作るとしよう」


未知の単語を羅列しながら、堂々と祭壇を後にする狂人。


残された神官長や群衆は、ただポカンと口を開けてその背中を見送るしかなかった。


***


嵐のような男が去り、再び静寂を取り戻した大聖堂。


神官長が咳払いをして、次なる挑戦者を呼ぼうとした、その時だった。


カタ……カタタタタッ……!


大理石の台座に突き刺さった聖剣が、ごくわずかに震え始めたのだ。


「え……?」


「おい、聖剣が……!」


いや、違う。剣そのものが震えているのではない。


マッスルの異常なベンチプレスによる圧倒的な物理負荷に耐えきれず、絶対に壊れないはずの台座の岩盤の奥深くに、目に見えない亀裂が走っていたのだ。


そのかすかな異変、そして彼が残した規格外の力に気づいた者は、大聖堂の中でほとんどいなかった。


ただ一人、祭壇の最奥から儀式を見下ろしていた少女を除いて。


銀色の美しい長い髪に、神秘的な紫の瞳。


純白の聖衣に身を包んだ彼女――この国の希望の象徴である聖女セレスティアは、信じられないものを見るように目を丸くしていた。


幼き頃より『聖女』という特異な存在に選ばれ、国中の祈りと不安を一身に背負い続けてきた彼女。


「聖女様がいてくだされば安心だ」


そんな民衆の勝手な期待と依存が、重圧という名の見えない鎖となって彼女の心を縛り付けていた。


絶望的な孤独の中で、一人きりで生きてきた。


誰も彼女の本当の重さを分かち合ってはくれない。


いつか心が壊れてしまう。


そんな恐怖に怯えながら、絶対に自分から離れない、自分だけの存在を狂おしいほどに渇望していた。


だが、今。


彼女の瞳には、あの底知れぬ男の背中が焼き付いていた。


決して動くはずのない聖剣の台座を、魔法など一切使わず、ただ己の肉体の力技だけで揺るがした男。


周囲からどれだけ嘲笑されようと、自ら進んで重圧(負荷)を求め、それを楽しんでさえいた異常な精神性。


(あの人なら……)


私の、この重すぎる想いすらも、軽々と受け止めてくれるのではないか。


私のすべてを委ねても、決して壊れないのではないか。


初めて感じた未知の熱が、彼女の胸の奥底で渦を巻き始める。


「見つけた……」


セレスティアの桜色の唇から、甘く、そして酷く重たい声がこぼれ落ちる。


彼女の紫の瞳の奥で、決して消えることのない異常な執着の炎が、静かに、そして確実に灯った瞬間だった。

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