第11話

☆山本癒月☆


 これは私が初めて立花君と出会った日の記憶だ。


 ついに就職試験の日を迎え、私は少し早めにアパートを出た。今日受ける会社が私にとって記念すべき最初の挑戦となるためそれはもう緊張しすぎておかしくなりそうだったのを今でも覚えている。


 会社へ向かう道の途中、私はなにか困っているおばあさんと出会った。どうやらバッグを落としてしまった際に中に入っていた財布を失くしてしまったらしい。


 おばあさんは本当に焦っている顔をしていて、私はなんとしても力になりたいと思った。でもそれには一つ問題が。あまりもたもたしていると試験時間に遅れてしまうという重大な問題が。


 今日はこれからの人生がかかった大事な日。見ず知らずのおばあさんの手助けか自分の人生。どちらを選択するべきか。普通ならおばあさんに謝って自分のことを優先するべきだ。


 そんなことは百も承知しているはずなのに、結局私にはおばあさんを見捨てることは無理だった。


「おばあさん、私探すの手伝いますよ」


「とってもありがたいけど忙しいでしょ?」


 現に私の横をスーツを着たサラリーマンや制服に身を包む学生が何人も通り過ぎていく。この時間はちょうど通勤・通学の時間で多くの人達にとって大変忙しい時間だ。そしてそれは私も同じ。


「大丈夫ですよ。今日は時間に余裕があるので」

 

 私はおばあさんを心配させないように精一杯の嘘をついた。おばあさんには多分ばれなかったと思う。


「ありがとう」


 意気揚々と手伝うといったものの、なかなか財布は見つからなかった。本当にこの辺りでバッグを落としたのだろうか。


 そうこうしているうちに刻一刻と時間は過ぎていく。時間に余裕があると強がったもののそろそろ本当に試験に間に合わなくなる可能性が出てきた。


 その時だ。彼に出会ったのは。


「どうしたんですか?」


 スーツに身を包む若めの男性が私達に声をかけてきた。今でも鮮明に思い出せるが、彼の声は優しかった。


「おばあさんがこの辺りで財布を失くしてしまったみたいで探してるんです」


「それは大変だ。おばあさん、財布の色とか教えてもらえますか?」


「ええ、茶色の財布です」


「茶色の財布ね」


 そう言うと彼は私達が探していた場所から少しだけ離れた場所を捜索し始めた。それから数分経ったときのことだ。


「財布見つかりましたよ」


 彼の手には茶色の財布が。彼がおばあさんに財布を渡すと、おばあさんはありがとうと何度も感謝の言葉を口にしていた。


 結局私はなんの役にも立てなかったが、そんな私にもおばあさんはお礼を言ってくれて、それがとても嬉しかったのだ。


 彼が手伝ってくれたおかげでみんなが幸せになれた。束の間の幸せを噛み締め、今度は直面する現実と向き合うことに。


「いけない、急がないと」


 私は時間を確認し焦っていると、彼も同じことを言ったのだ。


「俺もだよ。今日は試験があるからそろそろやばいかも」


「試験?」


 忙しくてそんな余裕はないはずなのに、私はついつい気になってしまった。そして彼の口から出た返事に運命を感じたのだ。


 彼はこれから私と同じ会社を受けに行くのだという。これはなにか神様のいたずらなのか。そう思わずにはいられないほどの偶然。


「こんな大事な時に私の手伝いしてくれて大丈夫だったの?」


「それを言うなら君だってそうでしょ?」


「私は好きでおばあさんの手伝いをしてただけだから」


「それなら俺も好きで手伝っただけ」


 私は彼と顔を見合わせると、急にお互いおかしくなり思わず笑ってしまう。これから私にとって初めての就職試験が待っているというのに、緊張感はすっかりどこかへと消え去っていた。


「いや、さすがに笑ってる場合じゃないよね。君走れる?」


「は、走れるけど」


「じゃあ一緒にダッシュするよ。さすがに急がないと遅刻確定だし」


 私は黙ってうなづき彼と猛ダッシュした。こんなに全速力で走ったのはいつぶりだろうか。それくらいの全力だった。


 正直私は足がそれほど速くはないが、それでも彼は私のスピードに合わせて一緒に走ってくれていたのだろう。おかげで私だけ置いてかれることなくなんとか二人とも時間に間に合った。


「なんとか間に合ったね」


「うん。でも試験前からすでにくたくただよ」


「俺も同意見。まあお互い合格できるようベストを尽くそう。それじゃあまたね」


 彼は私に手を振り別れようとする。就職試験で一緒になったからといって、就職してからも彼と一緒だとは限らない。そんなことは分かっているけれどどうしても私は聞きたかったのだ。


「ねえ、名前なんていうの?」


「俺の名前? 俺の名前は立花颯太です。それじゃあまたね」


 彼——立花颯太君は私に名前を教えるとすぐにいなくなってしまった。


「立花君か……」


 また立花君に会えるかな。そう思いながら私も急いで試験会場へと向かう。


 そういえば私は立花君の名前を聞いたけど、逆に立花君からは私の名前を聞かれなかった。


 たとえ私に興味がなかったとしても、一応名前を聞き返してくれたっていいのに。私はどこか嫉妬心を抱きながらも立花君のことが気になっていた。


 あくまで私が立花君のことが気になった理由は、今時こんなに親切な人がいるのかと思ったから。それ以外に理由はない。


 ないはずなのにこの感情はいったいなんなのだろうか。もし立花君と再会できたなら、まずは今度こそ私という存在を意識させたい。いや、させるんだと固く心に誓ったのだった。

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