第1話の冒頭が刺さった。
「二十年以上積み上げた研究材料が、一瞬で廃棄物になった。」
この一文だけで、転職という名の喪失の重さが全部伝わってくる。長年の研究人生に終止符を打つ夜の、アルコールで隙間を埋めた感覚。そして研究所の正門に並ぶ桜——「他の誰か、新入社員に向けた花向け」という視線が、主人公の疎外感と孤独をさりげなく、しかし鮮烈に表現している。
文体がユニークだ。「疲れて何もしたくない/でも何か食べなきゃ」という箇条書き的なリズムで主人公の内心を刻んでいくスタイルが、研究者という論理的な職業の人間の、整理しきれない感情の断片を上手く再現している。
「魚はいる。わかっている。それを釣り上げるルアーやロッド、リールが思いつかない。」という比喩も秀逸だ。研究者として「解くべき問い」の存在は感じながら、手段が見えないもどかしさがそのまま言葉になっている。
創薬研究者という職種の専門性と、普遍的な「生き直し」のテーマが交差する、静かで深みのある一作。