第4話 はじめての発熱
その夜、異変に気づいたのは午前1時過ぎだった。
「……ん……」
隣で寝ていた康が、 苦しそうに寝返りを打った。
瞳は薄く目を開ける。
いつもなら布団を蹴飛ばして寝る康が、 今日は妙に静かだった。
「康?」
額に手を当てた瞬間、 瞳は一気に目が覚めた。
熱い。
びっくりするくらい熱い。
慌てて電気をつけ、 体温計を探す。
震える手で測る。
——39.2度。
「えっ……」
思わず声が漏れた。
康はぼんやりした目で、 「ママぁ……」と弱々しく呼ぶ。
「大丈夫、大丈夫だからね」
言いながら、 いちばん大丈夫じゃないのは自分だった。
どうしよう。
病院は? 救急? 朝まで待っていい熱なの? インフルエンザ? 肺炎? 脱水は?
頭の中で不安が暴走する。
瞳はスマホを握りしめ、 深夜の救急相談窓口へ電話した。
震える声で症状を説明する。
『水分は取れていますか?』
「はい、でも少しぐったりしていて……」
『呼吸は苦しそうですか?』
「いえ、でも熱が高くて……」
電話口の落ち着いた声に、 瞳は少しずつ呼吸を取り戻していく。
『今すぐ救急搬送が必要な状態ではなさそうです。朝になったら小児科を受診してください』
その言葉に少し安心した瞬間、 今度は別の不安が浮かぶ。
——明日、仕事どうしよう。
休めるだろうか。
休んだら迷惑じゃないか。
でも康を置いてはいけない。
考えが止まらない。
「……ママ」
康が小さく手を伸ばしてきた。
瞳は慌てて握り返す。
「ここにいるよ」
その小さな手は、 熱くて、弱々しかった。
夫が生きていた頃を思い出す。
高熱を出した康を、 交代で抱っこした夜。
「大丈夫かな」 「明日には下がるよ」
そんな会話をしていた。
でも今は、 その「大丈夫」を言ってくれる人がいない。
瞳は氷枕を替えながら、 ひとりで不安に耐えていた。
朝5時。
康の熱はまだ下がらない。
瞳は会社へ欠勤の電話を入れた。
申し訳なさで胃が痛くなる。
「すみません、子どもが熱を出してしまって……」
電話口の上司は、 少し間を置いて言った。
『わかりました。今日は休んでください』
責める声ではなかった。
なのに瞳は、 電話を切ったあと深く頭を下げていた。
誰も見ていない部屋で。
午前9時。
小児科の待合室。
ぐったりした康を膝に乗せながら、 瞳は順番を待っていた。
周囲には同じように子どもを抱く親たち。
夫婦で来ている人を見るたび、 ほんの少しだけ羨ましくなる自分がいた。
名前を呼ばれ、 診察室へ入る。
「喉が赤いですね。風邪でしょう」
医師のその言葉だけで、 全身の力が抜けた。
命に関わる病気じゃなかった。
それだけで十分だった。
帰宅後、 薬を飲んだ康は夕方には少し元気を取り戻した。
「ゼリーたべたい」
その一言に、 瞳は泣きそうになるくらい安心した。
「食べよう。いっぱい食べよう」
康はゼリーを半分食べると、 眠そうに目をこすった。
「ママ」
「ん?」
「ずっといたね」
瞳は少し笑った。
「当たり前でしょ」
「おしごと、いいの?」
昨日も聞かれた言葉だった。
瞳は康の髪を撫でる。
「今日は康のほうが大事」
康は安心したように目を閉じた。
寝息が少しずつ深くなる。
瞳はその横顔を見つめながら、 静かに息を吐いた。
怖かった。
本当に怖かった。
この子に何かあったらどうしようって。
自分ひとりで守りきれるのかって。
母親になってから、 心配は増える一方だ。
熱が出るだけで怖い。
咳をするだけで不安になる。
でもきっと、 それが親なのだろう。
瞳は眠る康の額にそっと触れた。
さっきより、少しだけ熱が下がっている。
その小さな変化に、 世界を救われたみたいな気持ちになった。
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