第39話「宴が始まる音」

 ガタンッ!! 


 「マジかよ!!」

 「本当に出たのか!?」

 「初回で、あの『赤酔いの谷』で琥珀を拾って帰ってきたのかよ、こいつら!?」

 怒号に近い驚きがギルド内に響き渡り、酒を飲んでいた冒険者たちが一斉に椅子を蹴立てて立ち上がった。


 「おい、ちょっと待て、査定席を空けろ!」

 「押すな、俺が見えねぇだろうが!」

 「誰だ、もう酒を持ってきたのは!?祝杯を挙げるのが早すぎるだろ!」


 現場の空気は一瞬で沸騰し、割り込もうとする者、野次を飛ばす者でごった返す。もはや受付カウンター周辺は暴動寸前の熱気に包まれていた。


 「ちょ、ちょっと待ってください!皆さん落ち着いて!!」

 受付嬢はパニックになり、目を白黒させながら必死に両手を振るが、その声は怒涛の喧騒にかき消されていく。


 「無理でしょ、この空気は……」

 ゆうこは混乱の渦中にありながら、他人事のように淡々と呟いた。実際、熱狂する男たちを止める術など今のギルドには存在しなかった。


 カウンターに置かれた、琥珀色に透き通るその結晶。

 ギルドの魔法灯を受けて静かに、しかし力強く輝くそれは、荒くれ者たちの理性を焼き切るには十分すぎる代物だった。


 「ええと……か、確認しますね……?」

 受付嬢は震える指で書類をめくり、半ば現実逃避のような形相で内容を読み上げ始めた。


 「まず、依頼内容は『赤酔いの谷周辺の簡易調査および素材採取』……」

 「はい」

 「帰還者三名、全員生存。……はい。採取物は、赤酔いスライム、そして――」

 そこで一度言葉が途切れる。彼女の視線が、再び吸い寄せられるようにカウンターの上の結晶へと落ちた。

 「……“琥珀のカケラ”」


 ざわっ。

 その一言が宣告された瞬間、周囲の空気が重質に変貌した。


 「おい、今なんて言った……?」

 「琥珀のカケラ、だと?」

 「嘘だろ、初回で、あの谷の奥深くにあるはずの……」


 疑念が確信へと変わり、驚愕が畏怖へと変わっていく。クルスはその視線の痛さに身を縮め、小声で呻いた。

 「うわぁ……めちゃくちゃ嫌な注目浴び始めましたよ、これ……」


 「浴びるでしょ、そりゃ。当たりを引いたんだもの」

 ゆうこはあっけらかんと言い放つ。その隣で、サクは誇らしげに、これ見よがしに胸を張ってみせた。

 「まあ、私たちだからね。これくらい当然かな?」

 「サクさんも調子に乗らないでくださいよ!火に油を注ぐような真似を!」

 クルスのツッコミも虚しく、情報の波はギルドの隅々まで波及していく。


 「おいマジかよ、ちょっと見せろッ!!」

 一人の冒険者が身を乗り出したのを皮切りに、防波堤が決壊した。

 「初採取で持ち帰りだと!?あそこは危険域でしか出ないはずだぞ!」

 「しかもこのサイズ、上物じゃねぇか!換金額を考えたら……おいおい、とんでもねぇぞこれ!」

 だるい午後の時間は終わりを告げた。たった一個の鉱物が、ギルドを狂熱の酒場へと作り替えてしまったのだ。


 「……先生」

 「何」

 「思った以上にヤバい代物を持って帰ってきてませんか、僕たち?」

 引きつった顔で尋ねるクルスに、ゆうこは無表情のまま頷く。

 「まあ、そうみたいね」

 「他人事みたいに言わないでくださいよ!!」


 「いいじゃない、分かりやすく成功者って感じでさ!」

 能天気に喜ぶサクに、クルスは頭を抱えた。

 「それが一番目立つし、狙われるんですよ!!」

 「み、皆さん下がってください!まだ査定前です!触らないで!」

 受付嬢が必死に応戦するが、群衆の勢いは止まらない。

 「ちょっと触るだけだって!」

 「ダメです!」

 「匂いだけ!匂いを嗅がせろ!」

 「鉱物に何を求めてるんですか、変態ですか!」


 その時だった。

 奥のテーブル席で昼間から酔い潰れていたはずの、顔を真っ赤にした髭面の巨漢が、ガタンと音を立てて立ち上がった。

 「おいおいおい!!めでてぇじゃねぇかァァ!!」

 男は空のジョッキを高く掲げ、野太い声で宣言する。

 「赤酔いの谷から無事帰還!おまけに琥珀のカケラを仕留めた!こんなもん、祝わねぇ理由がどこにあるんだよォォォォォ!!」


 「いや何を急に――」

 ゆうこが制止するよりも早く、ギルド全体が地響きのような大歓声に包まれた。


 「「「おおおおおおおおお!!!」」」

 「乾杯だァァァ!!今日は飲むぞ!!」

 「誰か裏から樽を持ってこい!全種類だ!!」

 「いやなんでそうなるのよ!!?」

 ゆうこの本気のツッコミも、宴の開始を告げる怒号にかき消された。


 カウンター横では常連たちが手慣れた様子で机を動かしてスペースを作り、どこからか木箱や追加のジョッキが魔法のように増殖していく。

 「えっ、なにこれ。最高じゃない?」

 目を輝かせて拍手するサクの肩を、クルスが激しく揺さぶった。

 「乗るな!おかしいでしょ、なんで納品が宴会に直結するんですか!?」

 半泣きの受付嬢が、絶望的な表情で補足する。

 「この町……めでたいことがあると、とにかく理由をつけて飲むんですぅぅぅ!!」

 「文化が、文化が終わってる……!!」

 「否定はしませんけど、これが日常なんですぅぅぅ!!」


 混乱が加速する中、さらなる追い打ちがかかる。

 「おい嬢ちゃん、どこで見つけた!?」

 「護衛が必要なら次は俺を雇え!安くしとくぞ!」

 「採掘権の調整はどうなってる?」

 「加工職人を呼んでこい!それと酒造組合にも連絡だ!」

 「えっ、待って、ちょっと待って!!」

 クルスは押し寄せる情報量と人の波に飲み込まれ、アップアップとあえいだ。


 「……これ、ただの納品じゃ済まない流れね」

 ゆうこが冷静に分析していると、ギルドの奥から一際巨大な影がぬっと現れた。

 重厚な筋肉。赤く焼けた鼻。汚れひとつないエプロン姿。そして凶器と見紛うほど巨大な木べらを持った男。

 酒場肝臓よ、永遠なれの店主――通称、マスター・ガンゾーである。


 「聞いたぞォォォォォ!!!」

 「でっか!!」

 クルスが素で引くほどの威圧感を放ちながら、ガンゾーは地響きを立てて歩み寄ってきた。

 彼はカウンターに鎮座する琥珀を凝視し、その鋭い眼光を見開く。


 「本物か……」

 ごくり、と喉を鳴らした彼は、伝説を語る語り部のような神妙な面持ちで口を開いた。

 「赤酔いの谷の琥珀結晶にはな……稀に上質な“発酵核”が含まれることがあるんだ」

 その言葉に、周囲が水を打ったように静まり返る。


 「運が良けりゃ、そいつは最高の酒を造るための“芯”になる。……本物なら、町ひとつを挙げて騒ぐだけの価値がある代物だ」


 「「「うおおおおおおおおおお!!!」」」

 先ほどを上回る、本日最大級の爆発的な歓声が沸き起こった。

 「騒ぐ価値ありだってよ!マスターのお墨付きだ!!」

 「宴だ、宴だァァァ!!」

 「樽を追加だ!全部開けちまえ!!」


 「もう誰か止めてよぉ……」

 悲鳴を上げるクルスを余所に、ゆうこはある一点に気づいて思考を切り替えた。

 ギルドがこれだけ騒いでいる。酒場の主人が目の色を変えている。加工職人、果ては酒造組合の名前まで出た。

 (……待って。それってつまり)


 「……これ」

 「ん?」

 サクが不思議そうに覗き込むと、ゆうこは静かに、しかし深い欲望を湛えた笑みを口元に浮かべた。

 「思ったより、とんでもない金になるわね」

 一拍の沈黙。

 直後、サクの顔もまた、いやらしく、そして邪悪に歪んだ。

 「……でしょ?」

 「今この瞬間に商売人の顔しないでくださいよ!!二人とも!!」

 クルスのツッコミはもはや、宴の騒音の一部と化していた。


 ゆうことサク、二人の目は既に、輝く琥珀の先に積み上がる金貨の山を捉えて離さない。

 そんな喧騒の真っ只中。


 ゆうこの白衣の右ポケットの奥から、小さく、しかし妙に陽気な音が響き始めた――。

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