第2話 侵食される日常
安藤刑事との電話を切った後、私はしばらく震えが止まらなかった。
「オンラインインタビューの後に、対象者が変死した」
その事実は、単なる偶然で済ませるにはあまりに重すぎた。私は反射的にパソコンの電源を落とし、コンセントを引き抜いた。
「もうやめよう」
そう自分に言い聞かせた。これは特ダネなどではない。触れてはいけない、本物の「何か」だ。
だが、その決意はあまりに脆かった。呪いはすでに、ネットワークという血管を通じて私の日常に流れ込んでいたのだ。
そうとも知らず、頭まで布団を被った私のスマホにメッセージアプリの通知が飛んできた。恐る恐る通知を確認した私は、「ホッ」と安堵の溜息をついた。
同僚の編集者からだ。
『前に言ってたインタビュー、マイキーさんから何か面白い話聞けた? 締め切り近いから、プロットだけでも送ってよ』
私は返信を打ち込もうとした自分の指が、震えている事に気がついた。
落ち着け。もう自分は退いたんだ。あのインタビューと、被害者と思しき作者達の近況報告を見ただけ。そうそれだけだ。
自分に言い聞かせ、私は返信のために指を動かす。
「あの件はもうやめる。マイキーさんは亡くなった」と。
だが、画面の中のキーボードが、私の意志を拒絶した。
「あ・の・け・ん・は」
とフリック入力した瞬間、キーボード上部の予測変換の候補に並んだのは、これまでに見たこともない文字列だった。
[あの件は][メㇼツㇴ][ゾㇿテヰㇰ][死死死死死]
「……っ!」
喉の奥から悲鳴が漏れる。慌ててスマホを投げ出した私の元に、最悪な知らせが舞い込んできた。
それはかつての知人である鑑識関係者に頼み込み、非公式に「ノベル■■」関連の変死事件の状況を、共有してもらえないかお願いしていた事への回答だ。
『記事にするにしても、絶対に出処は伏せてくれよ』
オンラインインタビュー直後に頼んでいた調査結果が、最悪のタイミングで私の元に現れた。……だが開かずにはいられない。
―――――――
【資料01-E:変死体に関する調査メモ(独自入手)】
ケース1:サトウ カズマ(死因:急性心不全)
第一発見者は職場同僚。夜勤を連絡無しの連続欠勤を不信に思い訪問。
発見時、自室のデスクの前で固まっていた。
死因は急性心不全だが、奇妙なのはその指先だ。キーボードを叩きすぎたためか、両手の指先が皮膚が剥けるほど摩耗し、それでもなお空中でタイピングを続けるような硬直を見せていた。
手元には様々な領収書が置かれ、パソコンの検索履歴にも確定申告関連が見られる。
だがモニターに映っていたのは、青色申告の計算ソフトの代わりに、真っ黒な背景に白い文字で『あいつが来る。戦わないと』という謎の文字列。それらが画面を埋め尽くすほど入力されていた。
ケース2:ミシマ ミキ(死因:溺死)
自宅マンションの洗面鏡の前で母親が発見。
洗面台に頭を突っ込んだまま、友人宛てに『向こうの世界に行くの』というメッセージが、1秒間に数十件という異常な速度で連投されていた。
溺れていたにもかかわらず、その表情はどこか安息を得たようであった。
ケース3:トウドウ ケンゴ(死因:多発外傷)
職場である▲▲高校の職員駐車場にて、血を流して倒れている所を同僚が発見。
全身を強く打った形跡と、コンクリートの状況から飛び降りと推察。
一人娘の有名大学進学、自身も県教育委員会への栄転が決まっていた矢先での突然の飛び降り。
自殺するには不自然な状況で、事件と事故両方を視野に操作がなされたが決定的な証拠はない。
唯一の遺留品であるスマホには、小説投稿サイト『ノベル■■』の投稿画面に、「私が私ではなくなっていく」と書かれていた。
―――――
「……嘘だろ」
私は暗い部屋で一人、やたらと明るいスマホの画面から目が離せなかった。文字が書き換わるバグに会っていた作者達は、皆一様に謎の死を遂げているのだ。
マイキーさんが言っていた言葉が反響する。
――……もし本当にその文字列を見つけたら、絶対にブラウザのタブは開いたままにしない方がいいって言われてましたね。『向こう』に特定されるからって。
私は慌ててパソコンの電源を入れる。
呑気に顕れるおなじみのロゴに貧乏揺すりが止まらない。即座にパスワードを入力し、ブラウザを立ち上げ開いたままのタブを落としていく。
[このサイトを離れますか?]
丁寧な案内が今だけは癪に障る。それでもタブを落としきり、「フー」と息を吐き出した私の中に再びマイキーさんの声が響く。
――自分が書いた文字が、全部『それ』に書き換わっちゃうとか。
それ……。つまりあの謎の文字列が、彼らの言っていた誤字ということなのだろう。
私の全身が粟立つ。先程スマホに現れた謎の文字列。アレがそうなのだとしたら……。
恐る恐る私はブラウザを立ち上げ直し、検索窓に「四〇代ファッション」と当たり障りない事を入力してみる。
まただ。今度は検索候補にあの文字が現れた。
[メㇼツㇴ・カ゚・ゾㇿテヰㇰ]
ハッキリと浮き出た文字に、私の喉の奥が鳴る。
「私は小説投稿サイトと関係ないじゃないか」
やり場のない恐怖に、震える指を握りしめてブラウザを睨みつける。
小書文字の配置に鼻濁点、旧い規格の文字まで。こんなもの、どうやって発音するのか。
「め・り・つ……」
無意識に声に出して読もうとした瞬間だった。
私は激しい吐き気に襲われ、口元を押さえてむせた。
喉奥に残るまるで舌の根が硬直し、無理やり引き剥がさたかのような痛み。言語の論理から外れた文字列を、喉が発音することを強烈に拒絶しているみたいだ。
人間の口で発音出来ないなら、機械ならどうだ。
私は手元のスマホを操作し、翻訳アプリの「テキスト読み上げ機能」にその文字列を入力し、再生ボタンをタップした。
スマートフォンのスピーカーから合成音声が流れる。だが小さい? 聞き取れぬそれに、私はスマホを耳に近づける。
『……セイシンフゼン。ミシマミカ。シイン、デキシ――』
「うわぁあああ!」
鼓膜にこびり付く無機質な音に、私は思わずスマホを床に放り投げた。
これはただの文字ではない。何か……開いてはならぬ扉のようだ。
私は悟った。
パソコンの電源を切っても。タブを閉じても意味などない。
あの文字列は、一度認識してしまった人間の周囲をゆっくりと汚染していくある種の呪いなのだと。
私は再び、震える手でパソコンのコンセントを差し込んだ。
逃げることはできない。ならば、この文字列の「続き」を読み解くしかない。
次に私がアクセスしたのは、「ノベル■■」の運営会社が極秘裏に削除したとされる、管理者専用の「エラーログ」だった。
そこには、サイトが閉鎖される数時間前、サーバー内で起きていた「あるはずのない現象」が記録されていた。
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