その③

「――隆俊さん」

「ん?」

「お願いがあります」

 いまでさえ隆俊にしてみれば十分負担をかけている。その自覚はある。だからこれ以上お願いごとを言うのはわがままでしかない。それでもこの人なら叶えてくれる。そう思える人だから伝えよう。

「ずっと行きたかったところがあるんです」

「どこだ」

「場所は……よくわからないんです」

「は?」

 行きたい場所の場所がわからない。正直、意味がわからなかった。

 仕事柄ある程度の情報があれば行きたい場所の特定くらいすぐ出来る自信はある。だが場所がよくわからないとなればスタートラインにも立てない。

「ごめんなさい。小さい頃に行ったところに行ってみたいんです。でもあまり覚えてないんです」

「少しくらい覚えてないか。なにを食べたとかなにを見たとか」

「食べたもの……お蕎麦を食べました」

「蕎麦?」

 蕎麦が有名なところにもでも行ったのか。いや、何処かの食堂かなにかでたまたま食べただけかもしれない。もっと有名、せめて名物料理がわかれば候補を絞ることができる。そう思っていると一気に候補を絞れるキーワードがさくらの口から出てきた。

「瓦の上に乗ったお蕎麦でした。あとは……麺が緑色で――」

「それって蕎麦の上に卵とか肉が乗ってなかったか」

「え? よく覚えてないんですけど、いろんな具が乗ってたと思います」

 隆俊の問いに朧げな記憶を手繰り寄せるさくらは「意外と思い出せないものですね」と苦笑する。

「最初で最後の家族旅行だったのに思い出せないって、案外記憶っていい加減なんですね」

「家族で行った場所に行きたいのか」

「はい」

 当時を懐かしむように頷くさくらは「昔のことです」と幼い頃に一度だけ行った家族旅行の話を始めた。

「5歳の時でした。当時はまだ幼稚園に通える程度には元気でした――」

 それでも体調を崩すことがあり、一度崩せば1~2ヶ月は病室で過ごす日々が続いたと言う。家族旅行に行ったのは体調が安定していたと言う5歳の初夏で唯一の遠出らしい。

「体調が急激に悪くなったのはその年の冬でした。以来病室暮らしが続き遠出はしたことありません。外出できても行先は学校の保健室です」

「だからまた行きたいのか」

「はい。前にも言いましたけど、いまは凄く調子が良いんです。だから体調が良い時にもう一度行きたいなって」

 彼女にとっては本当に大冒険なのだろう。もう一度行きたいというさくらの言葉には覚悟に似たものを感じる。これが原因で体調を崩しても後悔はないと言わんばかりに強い目をしている。

 恐らくだが遠出をすればその疲れから一気に体調を崩すだろう。もしかしたらそのまま病院送りとなり、今度は二度と抜け出せないように厳重な管理下に置かれるかもしれない。さくらはそこまで考えた上で言っている。

「……さくら」

「すみません。やっぱり忘れて下さい。いまでも十分幸せですしやりたいことも叶えられています。だから――」

「たぶん川棚だな」

「川棚……?」

「山口だ。ここからだと……高速使って2時間ちょっとってところだな」

 さくらの体調がどの程度かわからないが片道2時間半の移動は負担になるだろう。けれど本人がそれを覚悟で言っているのだ。ならば可能な限り叶えてやりたい。幸い候補はほぼ一つに絞れている。ここまで来れば細かい部分を詰めればすぐにでも行ける。

「話を聞く限りさくらが行ったと言うのは山口の川棚温泉だと思う。あそこは瓦蕎麦が有名だからな」

 専用の瓦を熱してその上に茶そばを乗せ、さらに錦糸卵と牛肉それに刻みのりなどをトッピングした変わり種の蕎麦だ。たしか元祖は県内の別の地域だと聞いているが有名料理であることに間違いはない。

「温泉とかには行ってないか」

「温泉……行ったかもしれません」

「ほぼ確定だな」

「あの、本当に良いんですか」

「行きたいんだろ?」

 なら行くべきだ。あとから後悔するくらいならやりたいことをやるべきだ。さくらにはあいつと同じ思いをしてほしくない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る