第13夜 幽花の庭
花夜町の奥は、昼でも薄暗い。
あの夜、國光から逃げ出した時貞は——気づけば町の奥へ迷い込んでいた。
進むほどに人の気配は消え、大門近くとはまるで違う臭いが漂っている。
時貞は思わず口元を押さえる。
「なんだここは……」
あの赤で彩られた建物や華やかな提灯は一つも見当たらない。
今にも崩れそうな薄汚れた建物ばかりが並ぶ。
初夏だというのに、空気は冷たく、時貞は肩をさすった。
早く大通りへ戻った方がいい――そう本能が告げていた。
進むほど花の甘い香りと、腐ったような異臭が強くなっていく。
鼻を押さえても、異臭はまとわりついたまま離れない。
まるで皮膚の奥へ、じわじわと染み込んでくるようだった。
時貞はとうとうその場にしゃがみ込んだ。
嗚咽を噛み殺しながら、顔を上げる。
そこには、季節を無視するかのように花が咲き乱れていた。
その臭いに誘われ、無数の蝶が花の蜜を吸っている。
よろめきながら立ち上がり、花に近づいた瞬間、時貞は目を見開く。
花は、朽ちた着物から生えていた――
異様なほど咲き誇り、散った花弁は一枚もない。
仄かに光る花が、蝶を誘う。
中には真新しい着物や、まだ花の咲いていない着物も混ざっていた。
「……なんだ……これ……」
時貞が一歩足を踏み入れると、蝶が一斉に羽ばたいた。
視界が白に埋め尽くされ、時貞は思わず後ずさる。
逃げようとした瞬間、足がもつれる。
地面に転がる着物が、足に絡みついた。
奥の暗がりに、かすかに提灯の灯りが揺れると、強い力で引っ張り上げられた。
「っ……!?」
「大丈夫か?」
引き上げられた時貞は振り向く。
少し白髪の混じった髪に眼鏡をかけた男が立っていた。
「な、なぁ、ここはなんなんだ……」
「ここか……?」
男は咲き乱れる花を一瞥し、静かに告げる。
「ここは……
「幽花……」
嫌な予感だけが、胸の奥にじわりと広がった。
「じゃあ……つまりここは……」
「行き着いた花の末路だ」
「でも、なんで、ここの花は枯れてないんだ……」
「あまり近づくなよ……花は、死んでも毒を残す」
男が言い終わると同時に、鐘の音が町に響く。
「今度はなんだ……」
「大門が開く知らせだ、お前さん、この町の者じゃないだろう?」
「あ……ああ」
「まったく、好奇心も行き過ぎると、身を滅ぼすぞ。とりあえずついてくるといい」
男は提灯を持ち、闇の奥へ消えていく。
時貞は、蝶が集まり始めた幽花の庭を尻目に男を追いかけた。
しばらく男について行くと、庭から少し離れたところにある建物の前で男が立ち止まる。
「お前さん、名前は?」
「東時貞だ」
「東……そうか、東様の……」
「親父を知っているのか?」
「俺は元々、町の外で暮らしてた。訳あって今は、ここで暮らしているがな」
「あんたの名前は」
「夏目だ、夏目旭、この町の医者だよ」
「医者……」
「時貞さん、今から見るものはどうか他言無用で、それからあまり見ないでやってくれ……」
そう言い残し、夏目が戸を開ける。
「これは……」
時貞は薬品の匂いと、中で身を寄せ合う人影に声を失った。
***
時貞が入ると、広い部屋に寝具が並べられていた。
夏目の後を時貞がついて行く。
汚れた想衣を着た人たちが怯えたようにこちらを見る。
かつてはこの町の花だったのだろう。
しかし今ではその影もなく、身体は痩せ、髪は乱れ、目には生気が感じられなかった。
「……」
「怖がらなくていい、彼は君らに危害を与えたりはしない」
怯える人たちに夏目が声をかける。
それだけで、彼らの鋭い目付きが柔らかくなる。
「夏目さん、これは……」
「……かつて花だった者たちだ」
そう告げた夏目が奥に進む。
診察室のような個室に入っていく。
夏目に勧められ椅子に腰掛けるが、時貞はしきりに首を動かし落ち着かない。
夏目が火鉢に置かれた急須を取り、お茶を入れていく。
時貞の前に湯気の立ったお茶が置かれる。
「飲むといい、少しは気分が楽になる」
時貞は一口お茶を飲む。
薬草で作られているのか、少し苦みがある。
しかしクセになりそうで、もう一口飲み進める。
「さっきの、かつて花だった者たちって?」
「そのままの意味だ、花としての役目を終えた人がここに集まる」
時貞はさっき見た人たちを思い出す。
夏目の言葉が何故か引っかかる。
「夏目さん、この町は何を隠しているんですか?」
綺麗な花に、豪華な建物、贅を尽くし客を楽しませる。
それは表の姿なのだと時貞は気づき始めていた。
これ以上知れば、戻れない──
そう感じながらも、時貞は好奇心を抑えられない。
「それを知ってどうする?」
夏目の声が低く冷たくなる。
時貞の好奇心を見透かすような、視線を向けられる。
「……あの庭は、花の行き着く先、つまり花が死ぬとあの庭に行くってことだろ?」
「……」
「ここにいるのは、使い捨てられた花……でも……」
そう言って時貞が考え込む。
入ってきた時に見た花は、痩せてはいたが病気で苦しんでる様子はなかった。
「君は一人で危険な方に行きそうだな……」
時貞のその姿に夏目が苦笑する。
「知って後悔だけはするなよ……」
時貞が力強く頷くと夏目が静かに話し出す。
「時貞君は、どうして花に花紋が刻まれているか、疑問に思ったことは?」
「花紋って花の身体に出る、花の印ですよね?」
時貞は、そもそも花夜町の花に花紋が刻まれてることを当たり前だと思っていた。
「そういうものだと思ってたけど……違うんですか?」
「花は外から連れてこられたり、捨てられてた子たちの集まりだ」
「あ……」
夏目にそう言われて、時貞がようやく気付く。
「元々はないのか……だとしたらこの町に来てから……花紋が刻まれるのか」
「その花紋が、花以外にも出来るとしたら……?」
「花以外……?」
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