第2話


「……承知いたしました。では、単刀直入に申し上げます」



 私は震える手で泥を払い、冷徹なギルバートの視線を真っ向から受け止めた。


 漆黒の髪に、絶対的な力を持つ者特有の凄絶な金色の瞳。

 人の姿をとった黒龍ギルバートの容姿は、恐ろしいほどに整い、そして冷たかった。


 だが、見惚れている余裕などない。彼から発せられるプレッシャーは、先ほどの巨大な龍の姿だった時と何一つ変わっていない。少しでも言葉選びを間違えれば、すぐに消されてしまうだろう。


 落ち着け。これは理不尽なクレーマーじゃない。正当な怒りを持つ、ロイヤルカスタマーの対応だ。


 大切にしていた財産を泥棒に盗まれたのだ。怒って当然である。

 前世の経験上、完全に非がこちら(人間側)にある重大なトラブルにおいて、焦って言い訳や命乞いから入るのは三流の悪手だ。

 まずは相手が最も欲している情報――『結論』を簡潔に提示し、問題解決の糸口を示すのが鉄則である。



「貴方様の『黒曜の龍星晶』を盗み出したのは、【光の勇者】レオンとその一行です」


『……勇者、ですか』


「はい。彼らは東の街道を馬車で逃走中ですが……おそらく、貴方様が追いつく頃には、王都へ逃げ込んでいるでしょう」


『なるほど。少々手間はかかりますが、王都ごと灰にするまでのこと。……有益な情報でした。褒美として、貴女は苦しませずに一息に殺してあげましょう――と言いたいところですが』



 ピタリと、私に向けられていた死の気配が止まった。

 ギルバートの黄金の瞳が、微かに細められる。

 彼は面白そうに私の顔を覗き込み、静かに告げた。



『貴女のその目……まだ何か、私に提示できる「策」があるようですね?』


「……ご慧眼、恐れ入ります」



 私は内心の冷や汗を隠し、顔に貼り付けた営業スマイルを一段階深めた。



「王都は強固な結界に守られております。そして、今すぐ貴方様が王都を強襲すれば、奴らはどう動くか。……先ほど私にしたように、迷わず王都の騎士や数万の民を『盾』にして逃げることでしょう。彼らはその混乱に乗じて、跡形もなく逃げおおせてしまうリスクがあります」


『……』


「貴方様が求めているのは、一時的な報復よりもまず『宝の回収』のはず。彼らをただ力で襲撃したところで、狡猾なネズミを逃がす結果になりかねません。……そこで、私からのご提案です」


「私を、貴方様の手駒として雇っていただけませんか」


『手駒、ですか。……身の程を弁えない、愉快な提案ですね』



 ギルバートは微かな微笑を湛えたまま、一歩、音もなく私との距離を詰める。

 見下ろす瞳には、底知れない冷酷な光が宿っていた。



『ただの非力な人間の小娘が私に下ったとして、私に何のメリットが? 窮地に陥った勇者が力ずくで貴女を殺そうとすれば、それで終わりではないですか』



 ギルバートは冷ややかに目を伏せ、さらに言葉を続けた。



『それに、『黒曜の龍星晶』はただの石ではありません。あれは、ひ弱な人間には過ぎた代物。強大すぎる魔力に当てられ、彼らはいずれ否応なく力に呑み込まれるでしょう。力に魅入られた勇者に生身の貴女が挑めば、一瞬で塵にされる』


「ええ、おっしゃる通りです。私一人の力では、彼らの暴力には到底勝てません。だからこそ――」



 私は彼の圧倒的な威圧感から目を逸らさず、はっきりと告げた。



「牙を剥いたその瞬間。貴方様の圧倒的なお力で、確実に『制圧』と『回収』をしていただくのです。追い込みは私が。物理的な制圧は貴方様が。私は、彼らに最もふさわしい対価を与えることに貢献できます」



 私の言葉が、静まり返った森の冷気に溶けていく。

 数秒の、永遠にも似た沈黙。



『……ふ、』



 ギルバートの口から、極めて静かな、冷たい吐息が漏れた。



『……狂っていますね。己の命が風前の灯火だというのに、この私に「商談」を持ちかける人間がいるとは』



 怒りでも呆れでもない。その黄金の瞳の奥底に、わずかな「興味」の光が点るのを私は見逃さなかった。

 ギルバートは一瞬で私の目の前まで距離を詰めると、ひんやりとした長い指で、泥に汚れた私の顎をすっと持ち上げた。

 親指の腹で微かに震える私の唇をなぞりながら、逃避を許さないように視線を絡めてくる。


 至近距離で交わる視線。

 肌に触れる指先から、圧倒的な魔力の奔流が伝わってくる。



『いいでしょう。人間の小娘。その見事な狂気と度胸に免じて、認めてあげましょう』


「……っ、ありがとうございます。必ずやご期待に沿う成果を」


『ええ、大いに期待していますよ。ですが、口約束だけでは互いに心許ない。貴女が私を裏切らないよう、そして、有象無象の羽虫どもに私のものが容易く壊されないよう……証を刻んであげましょう』



 ギルバートが一歩踏み込み、逃げ道を塞ぐように私の腰を抱き寄せた。

 大きな手が背中を滑り、私の耳元の髪を冷たい指先でそっと払う。


 ぞくりと背筋が震えるのと同時に、彼の吐息が耳たぶを撫でた。

 そして、彼の冷ややかな唇が、私の首筋に吸い付くように押し当てられた。



「……っ、あ……!」



 ちくりと、微かに鋭い牙が立てられる。甘い痺れと焼けるような熱が皮膚を突き破り、全身の血管を駆け巡る。

 腰が砕けそうになるのを彼の腕に支えられながら、その熱はすぐに心地よい温もりへと変わり、栄養失調と疲労で重かった身体が、羽のように軽くなっていく。前世から引き継いでいたストレス性の頭痛も、嘘のように消え失せていた。


 恐る恐る自分の首筋に触れると、そこには微かに熱を帯びた、龍を模したような流麗な紋様が浮かび上がっているのがわかった。



『黒龍の加護であり、絶対的な【契約印】です。それがある限り、貴女が私の目から逃れることはできません』


「……ご配慮、感謝いたします」


『さて、私の優秀なパートナー。まずは何から始めますか?』



 ギルバートが静かに問いかける。

 私は首筋の刻印を押さえながら、一度深く息を吐いた。

 先ほどまでの怯えは、もう必要ない。気持ちを切り替えよう。



「まずは王都へ戻ります。奴らのことです。ギルバート様がお怒りになり、宝を取り戻しに追ってくることを見越して、国や教会の戦力を盾にする等何らかの対策の準備を始めるはずです。私が王都に戻り、裏から彼らの根回しを瓦解させてやります」



 かくして、私は黒龍と契約を結び、最悪の勇者一行と敵対することになった。


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