死に戻り公女は、王宮の“未解決事件”だけを覚えている
影守 玄
第1章 死んだ宰相と毒の杯 第1話:処刑台で、死んだはずの男を見た
◇◇◇
首が落とされるまで、あとわずかだった。
処刑台の上で、エルディアナ・オルタナ=ヴァルシェルトは、群衆の中に一人の男を見つけた。
「……嘘」
声は、風に溶けるほど小さかった。
けれど隣に立つ神官は、それを聞き逃さなかったらしい。
「何か言ったか、罪人」
「いいえ。ただ、ありえないものを見ただけです」
「この期に及んで神を冒涜するか」
「神ではありませんわ」
エルディアナは群衆の奥を見つめたまま、静かに答えた。
「死者です」
王都グランディアの中央広場は、人で埋め尽くされていた。
槍を構える兵。黒衣の神官。口を閉ざした民衆。王城へ続く大通り。その反対側にそびえる白い聖堂。
すべてが、あまりにも整いすぎている。
人々の並びも。
兵の配置も。
鐘楼から落ちる影の向きまでも。
「罪人、エルディアナ・オルタナ=ヴァルシェルト」
読み上げ役の神官が羊皮紙を広げた。
だが、その目は一度も文字を追わない。
「貴様は王太子セオドリック殿下の毒殺を企て、国家を混乱に陥れようとした」
「しておりません」
エルディアナは即座に言った。
神官の眉が動く。
「黙れ」
「黙る理由がありませんもの。わたくしは、王太子殿下を殺そうとしていない」
「証拠はそろっている」
「誰がそろえた証拠ですか?」
「神の記録だ」
「便利な言葉ですね」
広場がざわめいた。
神官の指が、羊皮紙の端を叩く。
一度。
二度。
三度。
合図。
エルディアナはその指を見ていた。
震えている。
怒りではない。恐怖でもない。予定が乱れたときの、人間の小さな動揺。
処刑台の下にいる黒衣の神官たちが、同じ瞬間に視線を動かした。
外周へ。
鐘楼へ。
そして、聖堂へ。
やはり。
これは、ただの処刑ではない。
「最後に言い残すことはあるか」
処刑人が低く言った。
顔は黒布で覆われている。
だが、右肩がわずかに下がっていた。
斧を扱い慣れた者の姿勢ではない。
剣士でもない。
兵でもない。
「あなた、本職ではありませんね」
処刑人の動きが止まった。
「何?」
「斧を持つ手が硬すぎます。処刑人なら、もっと自然に構えるはずです」
「……黙れ」
「神官ですか? それとも、神殿騎士?」
「黙れと言っている」
「なぜ?」
エルディアナは首を傾げた。
縄が手首に食い込む。絹の袖は泥と血で汚れていた。公爵令嬢にふさわしい姿など、もうどこにも残っていない。
それでも、声は震えなかった。
「わたくしが何かを言うと、不都合なのですか?」
神官が一歩近づく。
「エルディアナ・オルタナ=ヴァルシェルト。貴様の罪は明白だ」
「なら、なぜそんなに急ぐのです」
「何?」
「罪人の戯言なら、聞き流せばよろしいでしょう。ですが、あなた方は焦っている」
神官の呼吸が浅くなった。
エルディアナはそれを見逃さない。
視線。
指。
呼吸。
人は嘘をつくとき、必ずどこかが乱れる。
「それとも、今でなければならない理由があるのですか?」
「刑を進めろ」
「まだ、言い残すことを許されたはずです」
「反逆者に慈悲などない」
「反逆者にしたのは、あなた方でしょう」
ざわめきが、さらに広がった。
そのとき、群衆の最前列から声がした。
「エルディアナ」
王太子セオドリック・ヴァルディス。
金の髪。白い軍服。青ざめた顔。
十年前、まだ少年だった頃から、彼はいつも品行方正な王太子だった。冷静で、優しく、少しだけ不器用な人。
だが今の彼は、エルディアナを責めていない。
怒ってもいない。
怯えていた。
「殿下」
「本当に……君なのか」
「それは、どういう意味でしょう」
「僕は、君がこんなことをするとは思えない」
広場が静まり返る。
神官が即座に割って入った。
「殿下。罪人の言葉に耳を貸してはなりません」
「私は彼女に聞いている」
「ですが」
「下がれ」
王太子の声は震えていた。
それでも、命令だった。
神官は一瞬だけ唇を引き結ぶ。
その視線が、聖堂へ向いた。
エルディアナも同じ方向を見る。
聖堂前の白石の階段。
そこに、マグナス・レマルディアが立っていた。
神殿の頂点。
慈愛の聖者。
国民の祈りを一身に受ける男。
彼は静かに微笑んでいた。
「エルディアナ」
セオドリックが言う。
「もし本当に違うのなら、なぜ何も言わなかった」
「言いました」
「なら、なぜ届かなかった」
「記録が変わったからです」
セオドリックの瞳が揺れた。
「記録……?」
「証言が変わり、文書が変わり、昨日まで存在した名前が消える。誰も疑わない。誰も覚えていない。けれど、わたくしだけが違和感を覚える」
「何を言っている」
「殿下。あなたの毒杯も、毒杯ではなかったのかもしれません」
神官が叫んだ。
「それ以上、口を開くな!」
やはり。
そこだ。
エルディアナは息を吸う。
頭の奥が痛み始めた。
半年前の宰相ローデリックの病死。
三ヶ月前の王宮書庫火災。
一ヶ月前の神官失踪。
王太子の毒杯。
消えた証言。
入れ替わった記録。
そして、いま自分が立つ処刑台。
ばらばらだったはずの出来事が、音を立てて並んでいく。
「……ローデリック卿」
エルディアナは群衆の東側を見た。
果物売りの屋台の影。
そこに、男が立っている。
痩せた頬。
左目の下の黒子。
右手の薬指を親指でこする癖。
「どうして、そこにいらっしゃるのです」
セオドリックが振り返る。
「誰に言っている?」
「ローデリック・ハルヴァーン宰相です」
その名を出した瞬間、周囲の空気が変わった。
セオドリックが息を呑む。
「ローデリックは、半年前に病死した」
「ええ。王宮葬も行われました」
「なら、いるはずがない」
「だから、申し上げています」
エルディアナは、男から目を離さない。
「死んだはずの人間が、生きている」
ローデリックは何も言わない。
ただ、帽子を深くかぶった。
隠すには遅すぎる。
エルディアナは、彼の指先を見た。
薬指を親指でこする癖。
記憶と同じ。
間違いない。
「殿下。あの男をご覧ください」
「どこだ」
「東側、屋台の影です」
「……誰もいない」
セオドリックは本当にそう言った。
嘘ではない。
彼の呼吸は乱れていない。視線も泳いでいない。
つまり、見えていない。
エルディアナには見えている。
だが、セオドリックには見えていない。
ぞくり、と背筋が冷えた。
これは幻ではない。
見える者と、見えない者がいる。
「そういうこと……」
思わず、声が漏れた。
「何がだ」
神官が詰め寄る。
「あなた方は、殺したいのではない」
「何?」
「消したいのですね」
神官の顔色が変わった。
エルディアナは続ける。
「人を殺すだけなら、死体が残る。死の記録が残る。恨みが残る。けれど、存在そのものを消せば、誰も疑わない」
「黙れ!」
「ローデリック卿は死んだのではない。死んだと記録された。あるいは、死んだことにされた」
「刑を執行しろ!」
処刑人が斧を持ち上げる。
だが、エルディアナの言葉は止まらない。
止められない。
一度繋がったものは、もう切れない。
「王城」
彼女は呟いた。
「聖堂」
鐘楼。
広場。
処刑台。
宰相。
王太子。
神官。
そして、自分。
人の配置が、線になる。
王城と聖堂を結ぶ。
広場を中心に円を描く。
鐘楼の影が、処刑台へ伸びる。
東側だけ、人の密度が薄い。
そこに死んだはずの宰相がいる。
聖堂の階段に、マグナスがいる。
白い壁に、黒い亀裂がある。
見えた。
見えてしまった。
「これは、処刑ではない」
エルディアナは言った。
「裁きでもない」
マグナスの微笑が、ほんの少しだけ深くなる。
「事件でもない」
鐘が鳴った。
一度目。
群衆が肩を震わせる。
二度目。
セオドリックが「やめろ」と叫ぶ。
三度目。
神官が祈りの言葉を唱え始める。
四度目。
黒衣の神官たちが一斉に頭を垂れる。
五度目。
ローデリックが、帽子の下で目を細める。
六度目。
エルディアナの視界が白く滲む。
七度目。
王都そのものが、陣なのだと理解する。
八度目。
ならば、自分の役割は何か。
「……反逆者として記録するため」
エルディアナの唇が動いた。
「わたくしを、罪人として固定するため」
神官が叫ぶ。
「落とせ!」
斧が振り上げられる。
その刹那、セオドリックが一歩踏み出した。
「待て! 私はまだ――」
「殿下」
エルディアナは穏やかに言った。
セオドリックが止まる。
「あなたは、生きてください」
「エルディアナ!」
「そして、疑ってください」
「何を」
「記録を」
彼の目が見開かれる。
それが届いたかどうかは分からない。
けれど、言わずにはいられなかった。
エルディアナは最後に、聖堂を見た。
白い壁。
黒い亀裂。
見えないはずの傷。
誰も見ようとしなかったもの。
そこに、確かにあった。
「見つけた」
刃が落ちる。
痛みはなかった。
音もなかった。
ただ、世界が一度、裏返った。
暗闇の中で、声がした。
誰の声かは分からない。
男か、女か。
人か、それ以外か。
ただ、その一言だけは、はっきりと残った。
――気づいた。
違う。
これは終わりではない。
全部、まだ繋がっている。
「……お嬢様」
誰かの声がする。
「エルお嬢様、お目覚めですか?」
目を開ける。
そこには、白い天蓋があった。
絹のカーテン。
柔らかな毛布。
薬草の香り。
窓から差し込む朝の光。
エルディアナは動こうとして、違和感に気づいた。
手が、小さい。
細い指。
傷のない手首。
縄の痕もない。
「お嬢様? 具合が悪いのですか?」
侍女が覗き込んでいる。
若い。
十年前に病で亡くなったはずの侍女だ。
エルディアナは息を呑んだ。
「……ミラ」
「はい。ミラでございます。どうなさいました? 怖い夢でも?」
「今は、何年?」
「何年、でございますか?」
「白暦で答えて」
侍女ミラは困惑したように瞬きする。
「白暦二百十四年でございます」
十年前。
エルディアナは、ゆっくりと身を起こした。
鏡台の向こうに、八歳の自分が映っている。
幼い顔。
細い肩。
まだ何も知らないはずの少女。
けれど頭の奥では、八回の鐘が鳴り続けていた。
「お嬢様、熱があるのでは……」
「ミラ」
「はい」
「今日は誰が来る予定?」
「旦那様のお客様でございますか? ええと……確か、王宮からローデリック・ハルヴァーン宰相閣下が」
その名を聞いた瞬間、胸の奥が冷えた。
死んだはずの男。
処刑台で見た男。
十年前の今日、まだ生きている男。
「お嬢様?」
エルディアナは、小さな手を握りしめた。
まだ始まっていない。
王太子の毒殺未遂も。
神官の失踪も。
書庫火災も。
自分の処刑も。
何も始まっていない。
けれど、もう知っている。
「ミラ」
「はい」
「紙とインクを用意して」
「まあ。お熱があるのに、お勉強ですか?」
「違うわ」
エルディアナは鏡の中の自分を見つめた。
幼い顔の奥で、十八歳の記憶が静かに燃えている。
「記録するの」
「何をでございます?」
エルディアナは答えた。
「この世界が、書き換えられる前のことを」
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あとがき
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
本日より、新連載をスタートしました。
本作は、処刑された公爵令嬢エルディアナが十年前に戻り、王宮で起きる未解決事件と、王国に隠された大きな真実を追っていく物語です。
ただの死に戻りではなく、
「なぜ記録が変わるのか」
「死んだはずの人間がなぜ現れるのか」
「王都で起きる事件は本当に偶然なのか」
という謎を、少しずつ解き明かしていく形で進めていきます。
第1話では、処刑台の上でエルディアナが“死んだはずの宰相”を見つけるところから物語が始まりました。
ここから彼女は、過去を変えるためではなく、世界に隠された違和感を記録し、真実へ近づいていくことになります。
簡単に、今回登場した人物を紹介します。
■登場人物紹介
【エルディアナ・オルタナ=ヴァルシェルト】
本作の主人公。ヴァルシェルト公爵家の令嬢。
王太子毒殺未遂の罪を着せられ、処刑される直前に“ある違和感”に気づく。
冷静で観察力が鋭く、物事の繋がりを見抜く力を持つ。
【セオドリック・ヴァルディス】
ヴァルディス王国の王太子。
エルディアナが毒殺を企てたとされる相手。
処刑の場では、エルディアナを完全には疑いきれていない様子を見せる。
【ローデリック・ハルヴァーン】
ヴァルディス王国の宰相。
エルディアナの記憶では、すでに病死しているはずの人物。
しかし処刑場の群衆の中に、その姿があった。
【マグナス・レマルディア】
神殿の頂点に立つ人物。
国民から深く信仰される聖職者だが、処刑場では不気味な存在感を放っている。
【ミラ】
エルディアナ付きの侍女。
死に戻ったエルディアナが目覚めたとき、最初にそばにいた人物。
これから、エルディアナは八歳の自分として、もう一度王都グランディアで起きる事件に向き合っていきます。
「記録」と「記憶」、そして「真実」をめぐる物語になります。
少しでも続きが気になると思っていただけましたら、フォローや応援をいただけると嬉しいです。
次回もよろしくお願いいたします。
影守 玄
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