第4話「動くケンタウロス④」
森のにおいは苦手だ。あの日を思い出して吐き出しそうになる。
むかし──前世、
六歳のとき、森の中に置いていかれた事がある。
僕はただ、「キャンプに行く」とだけ聞いていた。
キャンプ場として連れてこられた場所は、わずかに
「えーじ、キャンプファイアに使う枝。集めてこい」
「わかった!」
そう言われ、樹々を掻き分け探し出す。
とりあえず十本ぐらい掴んで元いた場所に戻れば、両親と車の姿が消えていた。
僕は────遠くへ枝を探しに行ったのだと思うことにした。
捨てられた、という発想から目を背けた。
年齢が年齢なので、言語化はできない。
けれどなにか、両親を信じないことが何かを失うような気がしていた。
暗くなるまで待った。
月が出るまで待った。
涙が枯れるまで待った。
けれど、誰も迎えに来てくれない。怖い。
でも──何が怖いのだろう。
辺りが暗いこと?
動物の声が聞こえること?
森の中に一人で居ること?
親に捨てられたこと?
それとも、この状況に"妙な納得感"を得てしまっていること?
分からなかったし、もう分かりたくもなかった。
それを紛らわすよう、出かける前に見ていた教育番組を思い出す。
犬のパペットぐぅぐぅと、うたのおねえさんが出てくる番組。
『ぐぅぐぅとうたおう!』
「ほぉら、ぐぅぐぅ。南のお空にお月様が出てきたよ! 満月に向かって走れ~」
「わわんわーん」
決して安らぐことがないリビング。唯一の安寧は、小さなテレビだけだった。
「♪ぐぅぐぅと一緒に お月様に行こう
南のお空の満月と 北のお空のお星さま
いつもみんな笑ってる きみと一緒に笑ってる」
その日は、とても綺麗な満月だった。
僕は初めて大声で歌った。満月を目指して歌い続けた。
そうするだけで、二人が見守ってくれているような気になれた。
幸か不幸か、その先は小道に繋がっていて──気付けば、誰かの車中だった。
見知らぬ車窓から見えた満月は、僕を見て微笑んでいた気がする。
本来であれば、夜中に遭難したときは動かない方が良いだろう。
でも確かに、テレビは僕を救ってくれた。
今度は僕が、この目と足で世界を救う番だ。
まぁ……その足をすくわれ、背を地に付けた僕が言うことではないかもしれないが。
すっかり暗くなった森の中、
その星々を隠すように、ケンタウロス達が僕を見下ろした。
「ニンゲン……お前は一体、何がしたいんだ」
僕の後ろ走りを一番近くで見ていたケンタウロスが言った。
今からそれを見せてやるよ。ズボンのポケットから、手鏡を取り出す。
「テ・レヴィジョ──」
その瞬間。ひしめくケンタウロスたちの隙間を縫って、一本の矢が放たれた。
それはまるで、意志を持った蛇。うねるような軌跡を描いて僕の手元に迫る。
パリン──僕の手鏡が割れた。
「ンっぁぁぁぁあああああああああ゛!?」
僕の絶叫が森に響く。
その声に驚いたのか、木に留まっていたゲインツバードたちが一斉に飛び立つ。
やつらは虹色のゲロをまき散らし、それが僕の顔を直撃した。最悪。
「その手鏡でまた、何か攻撃をするつもりだったのだろう? そうはいかないぞ」
してやったりという顔で悠々と現れるオーサ。上がった左口角が憎たらしい。
「いや、そんなつもりじゃ──」
言葉を交わす価値すらないというのか。
彼は僕を押し倒すようにして、両腕をその前足で踏みつける。
「黙れニンゲンッ、貴様らの狙いなど百も承知だッ!」
クッ……痛いし、重い。
競走馬の重さは大体500kgだと言うから、この巨体だと700kgだろうか。
しかし。
だとするとやはり──
「優しいな」
「……なに?」
たしかに痛い。
だがそれは、500~700kgの重さを感じるほどではない。
例えるなら、成人女性に踏まれているほどの痛み。
つまりはある程度、あちらが体重を後ろへ逃がしているということ。
それに、手鏡に刺さった弓矢だってそう。
パップロップを狙った鋭い弓矢とは違い、先端が細い針になっていて狩りには不向き。
矢筒は二つ──殺傷用と捕獲用で分けている?
さしずめ捕獲用の針には、痺れ薬や眠り薬などを
ならば、ことさら伝えない訳にはいかない。彼らの真実を。
「テ・レヴィジョン!」
彼らの不意を突くよう魔法を唱える。
たしかに手鏡は割れてしまった。
だが〈テ・レヴィジョン〉は、反射する物に映像を映し出す魔法だ。
オーサが遅れて、しならせた弓を僕の頭部へ突き付ける。
「貴様、また変な魔法を唱えたなッ!」
ぎらつくその目には、僕が撮影した映像が流れていた。
オーサだけではない。
僕含めた〈テ・レヴィジョン〉の効果範囲内にいる全ての生物の目、割れたガラス片にも映っている。
カメラレンズだって例外ではない。
光を反射する全ての物体が、勇猛に狩りをするケンタウロスを映し出している。
まぁ、その狩りの対象は僕なのだけれど。
「僕の目を見てください! なにか、気付きませんか?」
必死に目を見開き、僕の目的を伝えようとする。
だが怒り狂ったオーサに、その声は届かない。
「やかましいッ、あの商人も同じことを言った。『私の目が、嘘を吐いている目に見えるか』とな!」
いや、そういう意味じゃない。
彼もなにかワケアリのようだが、僕はシンプルに目を見てほしいだけ。
だが、誰も気付く気配がない。
ならばカメラレンズを──って、カメラもレンズも言葉として通じない。
それにまた、何かの攻撃だと勘違いされかねない。
なら、割れた手鏡。弾き飛んだガラス片に目をやる。が、ダメ。
小さすぎたり、裏返ったりしていて見づらい。
それらを裏返そうにも、腕が動かせない。
……。
…………?
あれっ──。
絶対絶命では?
そう思われたとき、ケンタウロス群から声があがる。
「お~い!」
ケンタウロスたちが声の方へ振り返る。オーサの股下から見える顔。
あれは、僕の指に矢をかすめたケンタウロスじゃないか。
「なんだ、バルクス」
彼は左手に水筒を握りしめ、右肩に僕のリュックを下げていた。
そして、そのリュックを手元まで降ろし、掲げる。
「これ、君のだろお? 置きっぱなしだったから、持ってきたぞ」
………………しらけた空気が張り詰める。
たぶん、そういうキャラなんだろう。
空気の読めない、場をしらけさせる天才というキャラ。
なんだか中学時代の僕を彷彿とさせるようで、見てて恥ずかしい。
「ニンゲン……あ、名前なんだっけ。あっ」
リュックの側面に書かれた文字。それに気付く。
確かにそこには、名前と住所が刺繡されているけど。
「バルクス、それはもういい。あとで──」
オーサの制止も構わず、バルクスはそれを割って文字を読み進めた。
「ピーカント1丁目1番地……。あっ、フィルムって名前なのかあ」
そんなことしてる場合か。
そう思った反面、彼のどこ吹く風といった振る舞いに少し安心感を覚えていた。
この場の空気が、変わったことにも気づかずに──
「ピーカント……?」
その単語に反応を示すオーサ。彼の弓はたるみ、矢が投げ捨てられる。
そこで、ようやく気付く。今までのしらけていた空気とは違うなにか。
張り詰めた空気、それを凌駕するほどの殺気。
その答え合わせをするかのように、彼は右の矢筒から矢を引き抜いた。
「あれ、そっちは──」
血走ったオーサの眼光。
向けられる剛弓。
するどく光る矢じり。
これは──────殺傷用では?
「貴様ァッ! ピーカントの、まわし者かッッ! ならばッ話は別だアッ」
遠慮なく食い込む蹄。限界まで引き上げられる矢。
なにが彼をそうさせたのか分からないまま、僕は叫んだ。
「あ゛、あ゛、い゛、い゛た゛い゛ッ! き゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛っ」
喉を掻くように叫んだ。
バキボキと鳴る腕の音を、絶叫が消し去る。
しかし、幸か不幸か。
その光景はケンタウロスたちの同情を買った。
「オーサ、落ち着いて!」
「そっちは狩り用だろう!」
彼らが束になり、オーサの巨体を必死に抑える。
たくさんの蹄。僕の周囲でバコバコと土を踏み荒らす。
オーサが抵抗を繰り返すたび、僕の腕や手が何度も踏みつけられた。
激痛の中、その痛みから逃れるように思路が回る。
どうしていつも上手くいかないんだ。
それなりに、頑張ってやってきたはずなのに。
遊ぶことも諦めて、テレビに心血注いだ。
バイト代も全部、開発につぎ込んだ。
やるべきことはやってきた。
お酒だって買ったのに────
(ん? お酒……)
僕が贈答用に持ってきた、ケロ
いわゆる芋焼酎。
ふっくらとした甘み。野の花を思わせる爽やかな芳香。
そして、どこまでも透き通った透明な液体。
『光を反射する物体』
「ざげッ、さけぇえっ! お、酒!」
絶叫に合わせるように口を動かす。
この声が届けと願いながら叫ぶ。
「なにが酒だッ。そんな物で、和平が築けるとでも思ったかッ」
違う、そうじゃない。
オーサ、君じゃない。
この場をしらけさせてくれ、バルクス──
「うぉおおおお?」
その願いは、届いた。
かすんでゆく視界、ケンタウロスたちの脚の隙間。
バルクスが酒入りの水筒を手に、中を覗き込んでいるのが見えた。
その大きな水筒の口から、柔らかい光が飛び出す。
届いていた。
僕の声も、〈テ・レヴィジョン〉も。
「なあー。そんなことはやめて、みんな見てくれよお。 すごいぞお、コレ!」
バルクスは零れないような角度で、ケンタウロスたちに向けて水筒を傾けた。
「やかましいぞバルクスッ! そんなものは捨てて──」
オーサが振り向き──止まった。
彼だけではない。その場の時間が吸い込まれたかのように、すべてが静止した。
水筒の中に映し出される、「僕が撮った世界」だけを残して。
「な、なんだそれは……?」
水筒の中から出でる微かな灯りに、まず二頭が顔を寄せた。
「おい……中でなにか動いているぞ?」
「ほんとだ。あれは、絵……いや、俺達?」
その一言がきっかけ。周囲の数頭も半信半疑で覗き込み──やがて、群がる。
「おい、これお前じゃないか?」
「はぁ? 俺こんな変な走り方か」
「アハハ、いつもこんなんだって」
「おいらにも見せてくれよぉ」
正直、僕からは画面も彼らの顔だって見えない。
というか、もう目を開くことさえ難しい。
けれど、僕は知っている。
画面に張り付く人たちの笑顔を。
撮って良かったと思えるような笑顔を。
遠のく意識の中、オーサの蹄が離れた気がした。
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