第18話 監視下のワンルームと魔導スモークの夜

 帝都・第一居住区、第4ブロックの404号室。

 それが、教団のネットワークから俺たちに割り当てられた「偽装のマイホーム」だった。


 「……うわぁ。なんていうか、すごく……白いわね」


 重厚な金属扉を開け、部屋に足を踏み入れたリィルが顔をしかめた。

 彼女の言う通りだ。1LDKほどの広さの部屋は、壁も床も無機質な白い魔導樹脂でコーティングされており、生活感というものが一切存在しない。中央には簡素なテーブルと、部屋の奥には――ご丁寧に、二人用の狭いベッドが一つだけ置かれていた。


 「病院の無菌室(クリーンルーム)か、あるいは独房だな」


 俺は部屋の隅々へ視線(スキャナー)を走らせ、天井の四隅に埋め込まれた半球状の水晶体に目を留めた。


 「気をつけろ、リィル。あれは『環境監視ノード』だ。室内のマナ変動はもちろん、俺たちの心拍数、呼吸音、さらには『二人の物理的な距離』まで常時スコアリングしている。一定時間、2メートル以上離れればアラートが鳴る仕様だ」


 「に、2メートル!? じゃあ、トイレやお風呂はどうなるのよ!」


 「当然、どちらかがドアの前で待機(スタンバイ)して同期(シンクロ)を保つ必要がある。……新婚なんだ、それくらい離れがたいという設定でいけ」


 「最悪……っ。プライバシーの欠片もないじゃない……」


 リィルが絶望したようにテーブルに突っ伏した。

 そのテーブルの上には、教団から支給されたらしい「本日の配給食」が置かれていた。灰色の、レンガのような固形物(ニュートリション・ブロック)だ。


 「……なにこれ。匂いもしないし、石みたいに硬いんだけど」


 「完全管理社会における最適化の末路だな。味覚という『不要な処理(オーバーヘッド)』を削り落とし、カロリーと栄養素だけを圧縮した粗悪なデータだ」


 俺は灰色のブロックを手に取り、軽く叩いてみた。コンコンと乾いた音がする。

 極度の緊張と疲労でリィルの魔力は底をつきかけている。こんなエラーの塊のような代物では、彼女のシステムは修復できない。


 「少し待っていろ。俺がこのデータを『再コンパイル(調理)』してやる」


 俺は部屋に備え付けられていた魔導式の温風ヒーターのカバーを外し、内部の出力回路を端末でハッキングした。ヒーターの熱線を過負荷(オーバーロード)状態にし、即席の「燻製器」へと作り変える。

 そこに、配給ブロックを薄くスライスして並べ、荒野(デッドゾーン)で採取しておいた「香草(スパイス)」を熱線の上に散らした。


 数分後。

 無臭だった部屋の中に、強烈に食欲をそそるスモーキーな香りが充満し始めた。


 「わぁ……っ! なになに、すごくいい匂いがする!」


 目を輝かせるリィルの前に、俺は改造したヒーターから取り出した皿を置いた。

 灰色の石のようだったブロックは、高熱と煙で炙られたことにより、表面にカリッとした焦げ目がつき、内部にわずかに含まれていた動物性の脂が溶け出して艶やかな黄金色に輝いている。

 名付けて、**「乾燥肉の魔導スモーク・スパイス仕立て」**だ。


 「食べてみろ。脂の融点を計算して、最も旨味を感じる温度(クロック)で処理してある」


 リィルは恐る恐るスライスされた肉片を口に運び――小さく「んっ!」と声を上げた。


 「……サクサクしてる! なのに、噛むとお肉の味がじゅわって広がって……それに、この煙の匂いとスパイスがすっごく合う!」


 「香草の成分が、粗悪な脂の臭みをマスキング(隠蔽)しているからな。噛み応えのあるテクスチャが、脳の満腹中枢を正常に作動させるはずだ」


 さっきまでの絶望はどこへやら、リィルは「おいしい、おいしい」とリスのように頬張って皿を平らげた。

 最低限のインターフェース(食事)は整った。だが、本当の試練(デバッグ)はここからだ。


 「さて。エネルギーを充填したところで、本日の最終タスク(睡眠)に移行するぞ」


 俺が部屋のメインライトを落とすと、リィルの動きがピタリと止まった。

 薄暗い室内。天井の監視ノードが、赤い光を不気味に点滅させている。

 部屋の奥にある、狭いベッド。

 

 「……あの、監督。やっぱり私、床で寝るんじゃダメ……?」


 「システム要件を満たせない。監視ノードは『睡眠時の密着度』を最も高く評価する。ベッドの上で、互いの体温(サーマル)を完全に同期させなければ、明日の朝には衛兵が踏み込んでくるぞ」


 「うぅ……っ」


 観念したように、リィルはゆっくりとベッドに潜り込んだ。

 俺も上着を脱ぎ、彼女のすぐ隣――寝返りを打てば肌が触れ合うほどの至近距離に横たわった。

 狭い。一人用よりはマシだが、大人二人が寝るには明らかに設計ミス(キャパシティ不足)だ。


 「……動くな。同期プロトコルを開始する」


 俺はリィルに背を向けさせ、彼女の背後からその細い腰に腕を回した。

 俺の胸板に、リィルの華奢な背中がぴたりと重なる。彼女の体温が、薄い衣服越しに直接伝わってきた。


 「ひゃうっ……! ちょ、冷たっ、監督の手、冷たい……っ」


 「すぐにお前の熱と中和(バランシング)される。我慢しろ」


 俺は彼女の腰を抱き寄せたまま、もう片方の手を伸ばし、彼女の首筋――翼の付け根の魔力結節点にそっと指先を添えた。

 日中の無理な偽装で乱れた彼女のマナ波形を、俺の微弱な魔力で整えるためのメンテナンスだ。


 「あ……んっ……」


 指先が触れた瞬間、リィルが甘い吐息を漏らし、俺の腕の中でビクッと身体を震わせた。

 翼の付け根は、天界の因子を持つ彼女にとって最も敏感な「むき出しのポート」だ。俺の魔力が流れ込むたびに、彼女の体温が急上昇していくのがわかる。


 「……監督、そこ……っ、やだ、変な音、出ちゃうから……っ」


 「声を抑えろ。監視ノードのマイクが環境音を拾っている。……だが、波形は安定してきたな。この距離(レイテンシ)なら、一晩中パケットロスなしで同期できそうだ」


 俺はあくまで冷静に、エンジニアとしての声色を保った。

 しかし、腕の中に収まるリィルの柔らかさ、暗闇の中で微かに聞こえる彼女の早い鼓動、そして首筋から立ち上る甘い匂いが、俺自身のバイタルに「予期せぬ負荷」をかけ始めていることを、俺は自覚せざるを得なかった。


 (……俺の心拍数も、平常値を7パーセント上回っている。これが、人間としてのハードウェアの限界か)


 「……ねえ、監督」


 沈黙の中、リィルが俺の腕に自分の小さな手を重ねて、ぽつりと呟いた。


 「なにが『同期プロトコル』よ。……ただ抱きしめてるだけじゃない」


 「……」


 「でも……あったかい。あんたの心臓の音、背中からすごく聞こえる」


 その声は、昼間の反発が嘘のように、無防備で柔らかかった。

 俺は答える代わりに、彼女の腰に回した腕の力を、ほんのわずかだけ強めた。


 天井の監視ノードの赤い光を睨みつけながら、俺はゆっくりと目を閉じる。

 息の詰まるような帝都の夜。だが、この狭いベッドの上だけは、世界のどんな強固なシステムにも干渉させない、俺たちだけの「絶対領域(セーフゾーン)」だった。

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