-17.〔記憶の瓶を巡る悩ましき旅のはじまりに、高評価を〕
※ ※ ※
自分自身の記憶に翻弄されることとなった時から、数日後。
私は王都セレスティアを離れて、港町にいた。
見上げる空は王都とは異なり、海からの湿った風に流されて、雲がやけに早い。
――市場の方からは魚介類が放つ独特の生臭さ、に混じり焼きたてのパンの匂い。
そして港に目を向ければ、大小さまざまな木造船と共にこれから乗る船が水面で不規則にその巨体を揺らしている……。
波の砕ける音がせわしなく。俗世で満ちた港の町。そんな絶え間ない所に、不自然なほど冷ややかな男が、隣で、ふり注ぐ陽光を手甲で遮り眉をひそめて眩しそうにし――。
「――実に、旅立ちの日に適した空模様です。これもまた女神様のお恵み、感謝なさい、聖女リーゼ。きっとアナタ達の旅は、実を結びますよ」
紺色の衣服、潮風で裾をはためかせながら神儀監のヴィクティム様が相変わらず無機質な笑みで述べる。
やはり、聞くべきかを悩む。
「……――マデリーンの事が、ご心配でしょうか?」
ぇ、なんで。すると、神儀監がふっと目を細める、どこか楽しげにして。
「彼女のコトであれば問題はありません。内情は王都の民に知れ渡りましたが、――ああ見えて聖女になれるほど根は純粋なのです。現にわたしが未だ神儀監であるのが、その確たる証拠です」
……だとしても。自身に起きた過去の出来事を、彼女のこれからに起こりうる想像と、あわせて想起する。
「このわたしが、問題はないと言ったのですよ。聖女リーゼ、アナタはアナタが為すべき事を為しなさい」
ヴィクティム様……。
彼の言葉に、きっと偽りは含まれていない。
以前、神儀監は言った。誰よりも、アナタたちを見てきた。と、なら私たちは何よりも彼の事を知っている。
心が底冷えする瞳の奥で、ずっと見つめ続けてきた想い人の存在――を、きっと彼女だけがまだ、知らないコトを。
「……ヴィクティム様は、マデリーン様に対して為すべきコトはなさらないのですか?」
相手の顔から、あの貼り付けたような笑みが消える。それは一瞬。そして波が一度砕けるだけのわずかな空白に、ふっと息を漏らす。
「女性を甘くみてはいけませんね。ですが、それも含めて問題はありません。彼女とはただの幼なじみです、それ以上でも以下でもありませんよ……」
嘘だ。けれど、そんな野暮なことを言うのは私の周りでは、たった一人、だけでいい。
「そろそろ出港の時刻ですね。道中の無事を、お祈りしてますよ」
それは船旅のみ、のコトだろうか?
「しかしながら、あの少年……いえ、カレの技法は現代の魔法知識をもってしても解明は不可能かと思われます。かの国がいかに空間魔法の牽引でも、恐らくアナタの記憶が封じられた瓶を、というのは……。――記憶を引き出す、努力をされたほうがよいのでは?」
「それだと1000年はかかると思います」
あるいは一生かかっても。
「……それは先の長そうな、おとぎ話になってしまいますね」
冗談に聞こえないのが末恐ろしい、現実。
「それでは当初の予定どおりに、わたし達、いえ王聖ルミナリアはアナタの記憶が戻るまでの支援をいたしましょう。と――ここまでは王のご意向です」
「と言いますと……?」
神儀監の薄い唇がいつもの、愉悦を隠しきれない滑らかな弧を描く。
「もしもアナタが旅の果てに、偉大な魔法使いの技法をルミナリアにもたらせば、きっと王はマデリーン様の罪だけでなく、あらゆる願いも聞き入れ、赦すこととなるでしょう」
な――。
「心の底から、帰国するのを楽しみにし、待っていますよ。聖女リーゼ」
――だから。一人で見送りに。
……まったく。
「期待していただけるのは、大変嬉しく存じます……。ただ、本人がアレなので」
事前の続き。呆れる声で言いつつ、視線を乗船予定の甲板へと移す。
そこでは先刻から我が道を行く自称ボ賢者が、出港前のせわしない空気を完全に止めていた。
「よいか、ワシは偉大なる賢者パウロンじゃ! 伝説の怪物などという幼稚な海洋生物なんぞは、ワシがドラゴンとなればひとたび、踏み潰してやるわィ!」
海の中に居る相手を、どうやって踏むつもりなのか。
と、緑のマントを大げさにはためかせ、買い与えた新しい長物を突き上げて船上で熱弁している十代の美少年から――、再び神儀監に。
「……。――すべては聖女リーゼ、アナタの手腕にかかっていますよ」
本当、この世界は可憐な乙女に頼りすぎではなかろうか。
とはいえ――。
「……それでは、行ってまいります。ヴィクティム様、見送りの御足労感謝いたします」
――私たちの行く末は、そうはならない。
私は、自称元聖女としての完璧な所作で一礼を返し。船へと足を向けて、歩を進める。
そうはならない。何故なら、私たちの物語はここで終わりだからだ。
だって、小生意気な娘と阿呆使いの物語なんて、誰も見たがらないでしょ?
だから次、もしもこの世界でのお話がはじまるのなら、それは私たちではない他の誰かの物語にしてほしい。
じゃ配信終了……じゃなくて、旅の無事を祈り、女神様の高評価を期待。
さようなら。――また、いつか会いましょ。お疲れさまでした、っと――。
アホウ・マギ ~1000年のロマンに聖女を添えて~ プロット・シン @proto-Sinn
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