凪いだ後で ―逃亡英雄は行商ワケあり姉妹と出会う―
たなかみふみたか
第一章 通りすがりと、行きずりと
第一話
城門をくぐる際、衛兵が凪の顔をじろりと見た。
王都は思ったより賑やかだった。
大通りには露天が並び、石畳の上を行き交う人々の顔に活気がある。
寂れた村や町をいくつも通り過ぎてきたが、この王都の賑やかさは、それらとは無縁の活気で満ちている。
豊かさがここには集約されている――
凪はそう思った。
この国も、他の国と同じだ。王都で暮らすことができる豊かな者たちは、ますます豊かになっていき、そうでない地方の民は、その踏み台として存在している。
この構造が、歪なものだとここの住人は知っているのだろうか。いや、知っていても見ないようにしているのか。
どちらでも同じことだ、と凪は思った。
――腹が減った
今は、とりあえずそれだけだ。
大通りの露天で串焼きを買い、人の流れに逆らわないよう歩きながら齧る。肉の質は悪くない。炭の香りが鼻に抜けた。
北の国のあの宮廷で食べていた料理の数々が、こういう時にふと思い出される。豪奢な食器に豪奢な料理。あの頃は何も考えていなかった。
そんなものだ、と思っていた。
――あの王は、英雄が欲しかったわけではない
英雄を持っている、という事実が欲しかっただけだ。あの頃の自分には、その違いが見えていなかった。
串を噛んで、余計なことを考えた自分を嗤う。
遠い話だ。今はただの流れ者で、それで十分だった。
広場のあたりで人だかりができていた。
凪は足を止めた。止める理由もないのに止まったのは、群衆の向こうから若い女の声が聞こえたからだった。怒っているのか、それとも怯えているのか、判然としない質の声だった。
人の輪をすり抜けると、そこに三人いた。
姿かたちから騎士団であろうか、剣を二本重ねた紋章をサーコートに大きく描いた男が二人。そしてもう一人、男たちの前に仁王立ちしている娘がいた。
娘は年の頃、十七か八か。荷車の傍らに立ち、下ろしかけた荷を抱えたまま男たちと対峙している。厚手の旅装束に薄い茶の髪——よく晴れた日の麦畑に似た色だった。その立ち姿には、怖れより怒りの方が大きいように見えた。
男の一人が荷に手をかけている。
「離して!」
娘の声は低く、はっきりしていた。
「検問だと言っているだろう」
騎士団の男が笑った。検問という言葉の意味を、まるでわかっていない笑い方だった。
揶揄っているだけなのか、それとも別の意図があるのか……その笑いには下卑たものが感じられた。
娘の背後に、もう一人いた。小柄で、まだ子供に近い年齢の少女だ。姉妹だろう、と凪は思った。妹の方は荷車の陰に半分隠れるようにして、じっと姉を見ていた。
串の残りを口の中に放り込む。
面倒だ、と思う。これは自分には関係ない。この王都で、この程度のことは毎日起きているだろう。それを一々構っていたら、どこへも辿り着けない。逃亡中の身なら尚更だ。
わかっていた。
それでも足が動いていた。
「待て」
男たちが振り返った。
凪は何も言い足さなかった。ただ二人の間に立って、娘の荷に伸びていた男の腕を、掴んで払う。それだけだった。
「なんだ、貴様は」
「通りすがりだ」
「この女の仲間か」
「違う」
男が剣の柄に手をかけた。凪は動かなかった。男の目を見ていた。
剣士の目には剣士がわかる。凪の目を見た瞬間に、男の手が止まった。格の差というものは、刃を合わせるまでもなく伝わる場合がある。
しばらく睨み合って、男たちは舌打ちをひとつ残して歩き去った。群衆がざわめき、やがて散り始める。
「……ありがとうございます」
娘が言った。
凪は振り返らなかった。
「礼は要らない」
「でも助けてもらったのは事実ですから」
少し強い言い方だった。凪は歩きかけた足を止めて、仕方なく娘を見た。
娘はまっすぐこちらを見ていた。怒りでも感謝でもない、何かを測るような目だった。
「サラ姉ちゃん」
妹の方が荷車の陰からそっと顔を出した。姉に向かって小走りに駆け寄り、それから凪をちらりと見て、すぐに目を伏せた。
「ルカ、大丈夫?」
「うん」
姉妹のやりとりを横目に、凪はもう行こうとした。
「お願いがあります」
サラと呼ばれた姉がはっきりとした声で言った。
凪はまた姉の方を見た。
「私たちはもう一つ先の町まで行く予定です。……もし良ければ、護衛をお願いできませんか」
「断る」
「報酬は出します」
凪はサラの顔をまじまじと見つめた。
「通りすがりの男に護衛を頼むのか? 不用心過ぎないか? 口入れ屋があるだろう、そこで頼むが良い」
サラが強い眼で凪を見つめる。芯の強そうな光りが、その瞳にはあった。
と、同時に『探られている』という気配を感じた。
凪はその気配を断ち切った。
サラが驚いたような顔になった。
「不躾だな」
凪が不快を顔に表した。
サラは頭を下げた。
「申し訳ありません」
――スキルか……人物鑑定のような……ただの行商人ではないのかもな
限られた貴族にしか現れないとされる『スキル』……市井の民に発現することはまずない。
例外を除いて――
「謝罪を受け入れよう。だが、これ以上の会話は不要だ」
凪は背を向けて広場を去った。
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