第11話 旧道の証明
日曜の昼前。
マチは朝から二回、啓太郎に「今日は勝手に話を広げないで」と言っていた。
一回目は朝食の時。
二回目は配信準備の時。
そして三回目を言いそうな顔で、今、第三層の入口前に立っている。
「確認するよ」
「はい」
「今日は“第四層の裏口があるかもしれない”を、“使われていた旧道である可能性が高い”まで進める」
「えぇ」
「ルートの検証。旧道の痕跡確認。ここまで」
「はい」
「その先でいきなり『じゃあどこへ通じていたんでしょうねぇ』って遠くへ行かない」
「善処します」
「その返事の時点で信用してない」
啓太郎はライセンス端末を見た。
数字は昨日より少しだけ動いている。
【速報値】
河野啓太郎
総合ポイント:366pt
暫定順位:972位
「2つ」
と啓太郎。
「えぇ」
とマチ。
「昨日の裏口検証で仮点が乗った。あと、夜のアーカイブが思ったより残った」
「なるほど」
「今日ちゃんと積めば、月曜で970前後は見える」
「月曜の時点で“よかったねぇ”と言えるくらいには」
「言えるかもしれない」
「かもしれない、ですか」
「まだ決まってないから」
「えぇ。そこはたいへん健全な態度です」
コメント欄も、その数字に引っ張られてか、前より少しだけ具体的だった。
『972まで来た?』
『あと2つか』
『今日はルート検証?』
『英ちゃんネルより、こっちの地味な詰め方が気になってきた』
『マチさん、月曜まで守ってくれ』
「最後のやつ、責任をこちらへ寄せすぎでは」
と啓太郎。
「守ってほしいのは私も同じ」
とマチ。
「だから今日は危ない橋を増やさない」
「はい」
「増やさない?」
「増やしません」
「昨日の時点でもそう言ってた」
「昨日は結果として少し増えました」
「そういう報告の仕方やめて」
第三層へ下りる途中、マチはずっと配信タイトルを見ていた。
第三層・未確認接続路の追加検証 #2
「地味ですねぇ」
と啓太郎。
「地味でいいの」
「えぇ。ただ、この地味なタイトルの下で、やっていることが“第四層の裏口へもう一度触りに行く”だと考えますと、だいぶ看板と中身が」
「そのズレを正すのが今日」
「なるほど」
「今日は“何があるか分からない穴”じゃない。“何があったかを示せる道”にする」
「それはだいぶ綺麗な言い換えですね」
「そういうのは私がやる」
箱の前に着く。
昨日と同じ、安っぽい光。
湿った右壁。
誰かが覗いて、何も起きずに帰った足跡がいくつかある。
啓太郎は床を見た。
「また来てますねぇ」
「何が」
「箱だけ見て帰る人たちです。しかも今日は昨日より丁寧です」
「根拠」
「左壁まで寄ってる。つまり、昨日の“右手・左手・押す”の話を見た人間が、形だけ真似ている」
「で?」
「通路の中心へは一度も入っていない」
「つまり」
「手順だけ真似て、意味は追ってない」
マチが小さく息を吐いた。
「嫌な言い方だけど、合ってる」
「いやぁ、模倣というものは、だいたいそういうものなんですよ。最初に目に入った形をなぞる。しかし、形の方が本体ではなく、形が生えてくる前の条件の方に意味がある場合、そこを飛ばすと、たいへん上手に外す」
「今の説明、配信でも使って」
「使っていいんですか」
「今のはまだ分かる方」
啓太郎は箱の右へ半歩ずれた。
左手を壁へつける。
今日は動きが昨日より少ない。
迷いが少ないというより、迷う箇所が減った。
「マチ」
「何」
「今日は、箱の方を見ません」
「理由」
「昨日の時点で、箱が鍵であることより、“人を立たせる餌である”ことの方が強くなった。なら、今日見るべきは壁と足元です」
「いい」
マチはうなずいた。
「そこはちゃんと進んでる」
啓太郎は箱に触れたまま続ける。
「それにですね、旧道だと仮定しますと、あれ、箱は後付けの可能性が高いんですよ。えぇ、たとえば古い勝手口に、あとから変な郵便受けをくっつけて、そこだけ見ていたら、その家の出入りの構造をずっと見誤るでしょう」
「また郵便受け」
「今日は勝手口です」
「そこは変えなくていい」
「いや、しかし、入口の話になりますと、どうしても」
「いいから押して」
とマチ。
啓太郎が蓋ごと箱を押す。
左壁の温度線が少しだけ揺れた。
昨日と同じ、浅い吸い込み。
けれど今日は、昨日より先に、足元の方へ気が行った。
「ありますねぇ」
「何が」
「石の継ぎ目です。昨日は壁に気を取られていたんですが、ここ、足元だけ削れ方が違う」
マチが即座に聞く。
「観測?」
「観測です。箱の前で止まる人間の削れ方ではなく、奥へ滑る人間の削れ方」
「言い換えて」
「入口へ踏み込んだ人の足跡が、長くここを削っている」
「よし」
マチは端末へ打ち込んだ。
「そこが今日の主眼」
「えぇ」
啓太郎は少しだけ嬉しそうだった。
「ようやく“怪物がいる”ではなく、“道がある”の方へ話が寄ってきましたねぇ」
通路が開く。
左壁。
足元。
沈み込むような光。
昨日より短い。
抵抗が少ない。
啓太郎はそのまま滑り込んだ。
第四層の裏口側は、今日も湿っていた。
昨日と同じく狭い。
だが、昨日見えなかったものが、今日は最初から見えた。
壁の低い位置に、擦れた白線。
線というより、古い塗料の名残。
さらに少し進んだところに、金属の留め具だけが残っている。何かの案内板か、手すりか、そういうものが、昔ここにあったように見える。
「……いやぁ」
啓太郎が小さく言った。
「これはもう、だいぶ嫌な感じになってきましたねぇ」
「何」
とマチ。
「人工物の痕跡があります。えぇ、自然に崩れた洞ではなく、人が意味を持って使っていた通り方の名残です」
「映像寄せて」
「はい」
カメラが壁へ近づく。
塗料の剥げた白線。
石の角だけ不自然に丸い。
誰かが長い間、そこを擦っていた削れ方。
「これはいい」
とマチ。
「通路の“使用痕”で押せる」
「えぇ。しかも、面白いのがですね」
啓太郎はしゃがみ込んだ。
「これ、左側ばかり削れているんですよ。つまり、一定方向で人が通っていた」
「方向」
「第三層から第四層へ入るより、第四層側から戻る方が多かった可能性があります」
「そこまで言う根拠」
「人は狭い通路を歩くと、利き手側か壁側のどちらかへ寄る癖がある。ですが、この削れ方、荷物を持った人間が一定方向へ戻っていた感じがあるんですよねぇ。えぇ、通勤路、までは言いませんが、少なくとも“たまたま一回通りました”では出ない」
「利き手の話は今いらない」
とマチ。
「使えるのは?」
「反復使用」
「それでいい」
啓太郎は先へ進んだ。
通路の天井が一段だけ高くなる。
そこに、小さく欠けた金属板が残っていた。
文字は読めない。
だが、四角い板だったものの角だけが石へ残っている。
「待ってください」
「何」
とマチ。
「これ、案内板ですねぇ」
「読める?」
「読めません。読めないんですが、読めないこと自体がたいへん重要です」
「何で」
「消えるほど古い」
「そこはいい」
「しかも」
啓太郎は板の位置を指した。
「目線より少し高い。荷を持った人間が、歩きながら見る高さです」
「はい」
「つまり」
「言い換えるなら」
啓太郎は一拍置いた。
「ここ、誰かの仕事道でした」
マチが止まった。
「……それ、いい」
「でしょう」
「今日いちばんいい」
「ありがとうございます。たいへん光栄です」
通路の先で、また水音がした。
前回の浅湿蜥蜴より大きい。
啓太郎はすぐに壁へ寄った。
「音、重いですねぇ」
「観測」
とマチ。
「水を切る幅が大きい。蜥蜴より重い」
「姿見える?」
「まだです」
「なら止まる」
薄暗い緑の向こうから、ゆっくり長い影が出た。
湿地側の藻を引きずりながら、胴の太い水蛇が通路の前を横切る。
「四層の湿呑蛇です」
と啓太郎。
「正面からやり合う相手ではない」
「観測根拠」
「頭が大きい。狭所で巻く。えぇ、通路で会うと、だいぶ面倒なやつです」
マチがすぐ返す。
「じゃあどうする」
「待ちます」
「終わり?」
「終わりです。私は戦力ではないので」
湿呑蛇はしばらくそこで止まり、こちらへ舌を出したあと、ゆっくり湿地側へ消えていった。
啓太郎はそれを見送ってから、ようやく息を吐いた。
「いやぁ、こういう時、強くないというのは便利ですね」
「何が」
「迷わない。戦える人間は、少し“いけるかもしれない”を考えるでしょう。私は最初からない」
「自慢げに言うな」
「自慢ではないんですが、判断が早いという意味では、たいへん健全です」
通路の先は、昨日見えた位置までで十分だった。
今日は深掘りではなく、旧道であることの証明。
マチの方針通り、そこを超えない。
帰り道、啓太郎は壁を見ながら何度も立ち止まった。
削れ方。
古い板。
左寄りの線。
そして、第三層へ戻る時の、あの一瞬の気流。
「マチ」
「なに」
「これ、かなり前に捨てられた道ですねぇ」
「根拠」
「案内板が読めない。削れ方が深いわりに、最近の足跡が少ない。えぇ、長く使われて、長く放置された道の感じがする」
「そこまではいい」
「問題は、何で捨てられたかです」
「それを今言うと思った」
「言います」
「やめて」
「いや、しかしですね、普通に危険で使われなくなっただけなら、入口も壊すでしょう。ところが第三層側の口だけ、妙に残っている。これは」
「今日はそこまで」
マチが切った。
「そこから先は、今言うとまた一話分増える」
「増えるでしょうか」
「増える。確実に」
「それは少し楽しみですね」
「楽しむな」
地上へ戻った時には、日が少し傾いていた。
配信を切る前に、マチが端末を見たまま言う。
「入った」
「何が」
「追加」
画面を見せる。
【追加審査通過】
未確認接続路・使用痕確認
加点:+3pt
【速報値】
河野啓太郎
総合ポイント:369pt
暫定順位:970位
啓太郎はしばらく何も言わなかった。
「……970」
「うん」
「たいへん、いい数字ですねぇ」
「まだ暫定」
「えぇ。ただ、ここまで来ると、ようやく“助かる”という日本語が現実味を持ち始めます」
「そう」
マチは端末を閉じた。
「だから今日は終わり。もう増やさない」
「はい」
「明日、月曜」
「はい」
「そこで確定」
「えぇ」
「よかったね、まで行く」
「行けるといいですね」
「行くの」
マチは言い切った。
啓太郎は少しだけ笑った。
「今のは、だいぶ好きな言い方でした」
「感想いらない」
「いや、しかし、えぇ、こういう時に“行けるといいね”ではなく“行くの”と言われますと、人は少しだけ、自分がまだ途中に立っていても、先に終点を置いてもらえた気がするんですよ」
「その長い受け取り方やめて」
「はい」
コメント欄も、どこか緩んでいた。
『970!?』
『月曜残るか』
『河野啓太郎の冒険ブログ、ここまで来るの草』
『草じゃない』
『マチさん今日の機嫌ちょっと良くない?』
「最後のやつ」
と啓太郎。
「だいぶ観察眼がありますねぇ」
「良くない」
とマチ。
「まだ確定してない」
「えぇ」
「でも」
「でも?」
「……悪くはない」
「そうですか」
「そこ、喜ぶところ」
「いや、えぇ、喜んでいるんですが、少し驚いている方が先で」
「面倒」
帰り道、啓太郎は珍しく遠回りをしなかった。
変な旧道を見つけたあとに、普通の住宅街を真っ直ぐ歩くのは、少し不思議だった。
だ太郎は珍しく遠回りをしなかった。
変な旧道を見つけたあとに、普通の住宅街を真っ直ぐ歩くのは、少し不思議だった。
だが、月曜の前日というのは、変な発見より、普通に家へ帰る方が良い気もした。
玄関を開けると、母親が台所から顔を出した。
「どう?」
「970」
とマチが先に言った。
「あら」
「まだ暫定ですけど」
と啓太郎。
「暫定でも970」
「それ、かなり良いんじゃない?」
「かなり、ではなく」
マチがすぐ訂正した。
「“危険圏を少し抜けたくらい”」
「厳しいねぇ」
と母親。
「でも嬉しい?」
「嬉しい」
とマチが言った。
「それはもう、普通に」
「じゃあいいじゃない」
「そうなんだけど」
「そうだよ」
食卓には、カレーが出ていた。
啓太郎は席へ座りながら、少しだけ肩の力が抜けている自分に気づいた。
「マチ」
「なに」
「今日のところは、だいぶよかったですねぇ」
「今日のところはね」
「えぇ。今日のところは」
だが、カレーを一口食べたあたりで、啓太郎はまた少し黙った。
「何」
とマチ。
「いえ」
「何」
「第四層の旧道なんですが」
「はい」
「やはり、あれ、ただの放棄ルートではなく、誰かが意図して閉じた可能性もあるんですよねぇ」
マチがスプーンを止める。
「今?」
「いや、えぇ、今日これを言うのはたいへん感じが悪いんですが」
「悪いって分かってるなら黙って」
「はい」
「今日は970の話で終わり」
「えぇ」
「第四層の旧道の続きは、明日以降」
「分かっています」
啓太郎は少し間を置いた。
「ただ」
「黙って」
「はい」
母親が二人を見て、小さく笑った。
「よく分からないけど、今日は少しだけいい日なんでしょ?」
「えぇ」
と啓太郎。
「少しだけ」
「じゃあ、それでいいじゃない」
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