〜生まれ変わったら神の子だったので前世の世界(地球)を運営します〜

𝓲𝓷𝓪

第1話 転生

俺は——誰だ。


名前が、出てこない。思い出そうとした瞬間、それは指の隙間から零れ落ちる砂みたいに、形を失って消えた。


自分の名前すら思い出せない。その事実に気づいた瞬間、言いようのない空白が広がる。何か大事なものが抜け落ちている感覚だけが、確かに残っていた。


その空白を埋めようとした時だった。


“なにか”が、俺の中を駆け巡った。


【—こわい—】


……なんだ、これは。


唐突に湧き上がる感情。それは思考ではない。言葉として認識できるのに、俺の意思とは切り離されている。


だれだ。これは、だれの声だ。


【—こわい—】


反芻するように繰り返されるその感情は、ひどく幼い。震えている。逃げ場を探しているような、不安定な揺らぎを含んでいた。


……怖いのか。


そう問いかけたつもりだった。だが返答はない。ただ同じ感情だけが、俺の中を満たしていく。


これは思考じゃない。もっと直接的なものだ。


——感情。


だが、それは俺のものじゃない。


【—こわい—】


繰り返されるたびに、その確信が強くなる。これは“俺以外の誰か”の感情だ。


それなのに、なぜ俺の中にある。


【—ままにあいたい—】


その言葉に、わずかに引っかかりを覚える。


……子供、か?


幼い、未完成な感情。守られることを前提にした、依存の色が濃い。


それが、俺の中に流れ込んでいる。


だが——周りに子供なんて、いない。


……待て。


俺は今、どうやって“周りにいない”と判断した?


見ていない。聞いていない。触れてもいない。


それでも俺は、“いない”と理解している。


——見える。


すべてが見える。だが、この“見る”は俺の知っているものじゃない。


考えているはずなのに頭がない。息もしていないのに苦しくない。目もないのに、見えている。


白い。どこまでも、どこまでも続く、果てのない純白が広がっている。


境界はない。奥行きも距離も存在しない。それでも“広がり”だけが確かにある。


……本当に見えているのか。


目がある感覚はない。体もない。自分の輪郭すら曖昧だ。


どこからどこまでが自分なのか、分からない。それでも俺は、ここに“いる”と理解していた。


なのに——全部、分かる。


空間の存在も、自分がそこに漂っていることも。説明はいらない。ただ“そうである”と理解できてしまう。


理解だけが、そこにある。


気持ち悪い。


【—きもちわるい?—】


……あぁ、気持ち悪い。今のこの現象すべてが、理解できること自体が異常だ。


感覚はないのに、不快感だけが確かに存在している。その矛盾が、余計に気味悪さを増幅させる。


【—こわい—】


あぁ、怖いな。これは確かに、怖い。


だが、それは俺の恐怖じゃない。


俺はただ、“理解している”だけだ。


なんなんだ、これは。ここはどこだ。俺は——何だ。


……その時だった。


不意に、何かが引っかかる。


ノイズのように、記憶の断片が浮かび上がる。


——道路。

——ブレーキ音。

——悲鳴。


「あ——」


声にならない声。それでも確かに、“出た”と分かる。


俺は走っていた。考えるより先に、体が動いていた。


目の前には、小さな背中。無防備に立ち尽くす、その存在へ向かって——


トラックが、迫っていた。


間に合わない。それは分かっていた。


それでも——止まれなかった。


手を伸ばす。届かない距離。それでも、無理やり踏み込む。


その瞬間、強い衝撃。世界が歪み、すべてが弾け飛ぶ。


甲高い悲鳴と、鈍い音。視界が反転し、意味を失う。


【—いたそう—】


……あぁ、そうだ。痛かった。


全身を引き裂かれるような、どうしようもない痛みだった。


それすら、今はもう“理解”としてしか残っていない。


そして——すべてが途切れた。


……そこで終わりだ。その先の記憶は存在しない。


つまり、つまりだ。


俺は——死んだ、のか。


その結論に至った瞬間、白い世界がわずかに揺らいだ。


静かに波打つような違和感。それはすぐに、確信へと変わる。


見られている。


いや、違う。これは——覗き込まれている。


内側まで、確かめるように触れてくる視線。逃げ場はない。


ぞくり、と。存在しないはずの背筋に、冷たいものが走る。


——認識された。


そう理解した瞬間、白にひびが入る。


音もなく割れ、そこから光が落ちてくる。


光ではない。もっと根源的な、“存在そのもの”のような何か。


それが降り注ぐ中で、声が響いた。遠く、しかし確実に届く。


『——やっと、見つけた』


優しい響きだった。だが同時に、抗えない絶対性を持っている。


『——我が愛しい子』


【—まま—】


……やっぱり、そうか。


この感情は、この声に向けられている。


その“意思”を聞いた瞬間、すべてが繋がった。


ああ、これは——


今まで俺の中に流れ込んでいたこの“感情”は——


俺のものじゃない。


“この存在”のものだ。


次の瞬間、境界が消えた。


俺と“それ”の区別が、曖昧になっていく。


拒絶する間もない。ただ自然に、混ざり合っていく。


感情が流れ込む。理解が重なる。存在が重なり合う。


そして——


俺は、“それ”と融合し、同時に“書き換えられた”。







———


次に意識を取り戻した時、そこは白く、静かで、どこまでも澄み切った場所だった。


光に満ちているはずなのに眩しくはない。温度も匂いもないのに、どこか安心する。


現実とは違う。だが、確かに“存在している”と分かる空間だった。


目は見えていない。それでも、すべてが分かる。


輪郭も距離も曖昧なのに、そこにあるものの位置や意味が、自然と理解できる。


そして——俺は、自分の状態も理解していた。


今の俺は、赤ん坊だ。


手も足も小さい。体は未発達で、力も入らない。それでも、それが“そういうものだ”と納得できてしまう。


違和感はある。だが、それ以上に“当然だ”という理解が勝っていた。


……いや、違う。


俺は、赤ん坊であると同時に、それだけじゃない。


内側に、もうひとつの“俺”がいる。


あの時、聞こえていた感情。恐怖と依存に満ちた、幼い意識。


それが今、完全に俺と重なっている。


どちらが本体か分からない。境界はもう、存在していなかった。


俺であり、私である。


一人で、二つの視点を持っているような奇妙な感覚。


だが、それすらも“正しい状態”として受け入れていた。


【——まま】


内側から、自然にその言葉が浮かぶ。


そして同時に、別の俺がそれを“理解”する。


……あぁ、そうか。


これはもう、分けて考えるものじゃない。


全部、俺だ。


その時、声が降りてきた。


『起きたのね』


優しく、包み込むような響き。だが同時に、揺るがない絶対性を持った声。


あの時、最後に聞いた声と同じだ。


迷いはなかった。


この声の主は——俺の親だ。


母であり、父であり、起源そのもの。


人間でいう“親”とは、意味が違う。もっと根源的なもの。


存在を定義し、在り方を決める側の存在。


——神。


ならば、俺は。


その神に“子”と呼ばれた存在。


神の子。


その言葉を思い浮かべた瞬間、内側で何かが静かに噛み合う。


理解が、確定へと変わる。


俺は人間じゃない。最初から、その枠には収まっていなかった。


死んで、生まれ変わったわけでもない。


ただ、本来あるべき場所に“再配置された”だけだ。


『ふふ……もう意識レベル4まで行ったのね』


『さすが、私の子』


声が、少しだけ柔らぐ。興味と慈しみが混ざったような響きだった。


『やっぱり特別。私の子に相応しいわ』


その言葉に、内側の“私”が喜ぶ。


安心している。満たされている。求めていたものを得たように。


一方で、“俺”はそれを冷静に観察していた。


感情は共有されている。だが、完全に同化してはいない。


この二重性が、今の俺の在り方なのだと理解する。


『さあ……こちらへ』


その言葉と同時に、空間がわずかに歪む。


呼ばれている。


逆らうという選択肢はない。というより、最初から存在しない。


従うことが自然で、当然で、正しい。


その感覚のままに、俺は——


初めて、自分の意思で“動いた”。


まだ不完全な体で、それでも確かに。


神の子としての、“最初の一歩”を踏み出した。

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