第4話 入学式

「青薔薇の館」の朝は、耳をつんざくような鉄門の軋み音で始まった。


昨日までの静寂が嘘のように、館の正門からは次々と豪華な馬車が滑り込んでくる。


それは、グランツ大公家が支配する広大な領土──グランツ大公国を支える有力な家臣や魔法使いの重鎮、高位神官、そして大公国の閣僚土を治める帰属に仕える官僚たちの子息令嬢たちだ。



「……すごい人数。昨日とは、まるで空気が違うわね」



クロエは窓辺から、庭を埋め尽くす色彩豊かなドレスや礼服姿の若者たちを見下ろしていた。



昨日までは、7人の候補者と7人の従者という、張り詰めた少人数の戦場だった。しかし今日からは、この「青薔薇の館」は数百人の若者が集う「プレ・アカデミー」へと変貌するのだ。



クロエは昨日着ていた地味ながら仕立ての良いドレスとは違う、青薔薇の館の生徒であることを示す、青を基調とした制服に身をつつみ、仕上げに青薔薇のブローチを胸元に飾った。



「良くお似合いですわ!お嬢様」



昨日と違い、今日からはプレ・アカデミーとして他の候補者以外の生徒も入学し、授業が始まる。だから今日からは制服の着用が義務付けられているのだ。



「お嬢様、お支度が整いました……彼らは、私たち候補者の『評価』を左右する観測者でもあります。どうか、背筋を伸ばして」



「ええ、そうね……もう怖気付いたりしないわ。だって私は……未来のグランツ大公なんだから」



イブは、昨日ハンスに屈辱を与えられ、切れてしまった指先を覆い隠すように、その上から白い手袋をはめた。

鏡に映る自分たちの顔は、昨日よりも少しだけ険しい。



「さぁ……行きましょう」



ホールの掲示板には、試験官である筆頭メイドの名で、冷徹な通達が貼り出されていた。



『本日より、諸君らは大公国全土から集いしエリートたちと共に学ぶことになる。

ただし、今年は空白となった、大公位をかけて7人の後継者候補たちによる試験も同時に行われることとなった。

君たちの行動、成績、礼節……そのすべては数値化され、皇立アカデミーへの推薦状、および入学後の「クラス分け」の選定基準となる。

極めて優秀な成績を残した生徒には「特進クラス」への推薦が行われる。

候補者以外の生徒も、諸君らの「資質」を評価する試験管、そして未来の家臣でもある。

群れを率いるか、群れに埋もれるか。選ぶのは君たち次第だ』



「特進クラス……」



クロエが小さな声で呟く。


皇立アカデミーは、卒業後の官職や騎士団での階級を左右する、帝国貴族にとって大切な場だ。もちろん、属国であるグランツ大公国の貴族にとっても同じである。


もしクロエが当主の座を狙うなら、ここで圧倒的な成績を収め、有力な貴族の子弟たちを味方に付け、最上位クラスに入らなければ話にすらならない、というわけだ。



その後、生徒たちは制服に着替え終え、各クラスにて館内の施設と授業に関する説明を受ける。候補者たちは全員同じクラスなのは、候補者への評価をつけやすくするための、各教師や試験官に対する配慮だろう。


大講堂での歓迎式典。


壇上には7人の候補者が並び、その背後には従者たちが控える。眼下には、彼らの一挙手一投足を、値踏みするように見つめる数百人の若者たちの視線があった。



「見て。あれが噂の大公閣下の『養女』のクロエ様よ」



「隣のレオンハルト様の凛々しさに比べたら、まるで迷い込んだ小鹿ね」



「後ろのメイドも見て。あんなに怯えていて、大公家の威厳なんて欠片もないじゃない」



冷たい囁きが、イブの耳を刺す。


臆病なイブは反射的に視線を落としそうになったが、隣に立つハンスの視線を感じて、ぐっと堪えた。ハンスは微動だにせず、まるで周囲の人間など風景の一部であるかのように、レオンハルトの影に徹している。



イブはこんなところで負けられない。お嬢様が覚悟を決めたのなら、その盾にならなければいけないのだから。


イブは深呼吸し、背筋を伸ばした。



式典では、新入生代表としてレオンハルトが挨拶を述べた。本来ならその後、館の総責任者であるプレ・アカデミー校長の挨拶を経て、すぐに解散となり、授業が始まるはずだった。



しかし、何故かレオンハルトの後にヴァイオレットも挨拶を行うことになり、式は少し長引いた。おそらく彼女の母、シェリーナ公妃が自分の政敵であるレオンハルトにだけ花を持たせることを許さず、館に圧力をかけてヴァイオレットにも代表として挨拶をさせたのだろう。


入学一日目の午前の授業は「神学」だ。



広い教室に、候補者と家臣の子息たちが入り混じって座る。ここでの座席は、昨夜の晩餐のような「血筋順」ではなく、「成績順」に随時入れ替わるという過酷なルールが告げられた。



「本日は学力調査の為、小テストを行う。この試験の結果により、明日の座席を決定する」



教官であるの言葉に、教室がざわめく。


ヴァイオレットとレオンハルトは既に知識が頭の中に入っているのか、つまらなさそうな顔をして問題を解き始める。


カイルは拳を握りしめ、エドワードは冷徹にペンを走らせる。


オリヴィアは得意分野とばかりに余裕の表情で解答していく。


ハーバートは……つまらなさそうに欠伸をして机に突っ伏し、居眠りを始めた。



「イブ……この聖書の内容、銀嶺館にあった本には載っていなかったわ……」



クロエが震える声で囁く。


そう、別邸で育ったクロエに与えられていた教育は、あくまで「最低限の淑女教育」だった。


対して、レオンハルトやヴァイオレット、そしてその他の候補者たちは、幼少期から帝国の最高の家庭教師に学んでいる。彼らと比べれば、クロエは赤子も同然。無知な弱者なのである。



「お嬢様、落ち着いてください。旧約聖書の内容……と大きく変わっているのは、6章からです。表現は少し変わりますが、前半部分は同じですし、記述問題なら多少誤魔化しも効くかと」



イブは、クロエの耳元で小さくヒントを出す。

従者の助言は、ルール上「あり」だ。ただし、その助言が間違っていれば、従者も共に減点されるというリスクを伴う。



「……そう、分かったわ。とりあえずやってみるわね」



クロエはペンを握った。控えめでおっとりした彼女だが、その集中力は凄まじい。イブのサポートを受け、彼女は白紙を埋めていった。


昼食の時間、庭園はさらに混迷を極めていた。

家臣の子供たちは、誰が「次の大公」になるかを見定めるため、候補者たちに群がっていく。


レオンハルトの周りには、将来の騎士団幹部候補たちが集まり、彼の剣技を称賛している。


ヴァイオレットの周りには、有力官僚の娘たちが集まり、彼女の美貌と流行のドレスに媚びを売る。


一方で、クロエの周りには誰もいなかった。


イブと一緒に、庭の隅にある小さなベンチに座っていると、一人の少年が近づいてきた。神官の衣装を纏った、金髪の物静かそうな少年だ。



「……君が、クロエ様でしょうか?」



「え、ええ。そうですが……あなたは?」



光のように輝くその美貌に、クロエたちは思わず息を呑んだ。



「僕はセシル。父は大公国の神殿で大司教を勤めております……君の出す『魔力の色』は、とても綺麗だね。青薔薇の館に似つかわしくないほど、澄んでいる」



セシルはそれだけ言うと、不思議な笑みを浮かべて去っていった。


イブは不安そうに彼を見送った。



「お嬢様、今の人は……」



「わからないわ。でも……少しだけ、救われた気がする」



その時、騒がしい声が響いた。

中央の広場で、カイルとハーバートが対立していた。



「おい、ハーバート!講義中にあくびをするとは何事だ! 先代大公への侮辱だと思わないのか!」



「やだなぁ、カイ。堅苦しいこと言わないでよ。俺は美しくないものを見てると、どうしても眠くなっちゃうんだ」



ハーバートは、従者のテオが持ってきた葡萄を口に運びながら、のらりくらりと躱している。



「このブドウ、美味しいね?テオ、後で品種を調べておいてくれるかい?」



「調べるまでもありませんよ……これはスチュアート領で取れる、姫葡萄ですね。確か、海の真上で育てている少し変わったブドウだったはずです。酸味が控えめで、とにかく甘いのでワインには向きませんが、マーマレードにしたり、ビターチョコレートを使ったスイーツのアクセントとして用いられることが多いですね」



クロエは、ただのハーバートの従者の庭師だと思っていたテオが、ここまで深い知識を有していることに心底感心した。イブも自分と同じ平民出身の従者だからと少し親近感を覚えていたが、彼の持つ植物の知識は深く、自分もクロエのメイドとしてもっと精進しなければと、気合を入れる。



「さすがテオ!物知りだね!」



「いやいや、話聞けよ!」



その騒ぎの輪の中に、レオンハルトが歩み寄った。



「見苦しいぞ、傍系の者ども。……それよりも、おい、そこの紛い物」



レオンハルトの矛先が、再びクロエに向けられる。



「午後の『実戦演習』、楽しみにしておけ。青い薔薇の異能を持たぬ養子が、どれほど惨めな姿を晒すか、全生徒の前で見せてやる」



「……行きましょう、イブ」



「はい、お嬢様」



クロエはレオンハルトを無視して、その場を去る選択を選んだ。ここで長髪に乗れば、クロエの評価は下がるだけだ。


もちろん、無視すれば逃げたと思われて評価が下がる。ならば、今は騒ぎを大きくしない方が得策だと判断したのだ。



「おい逃げる気か!?」



「レオンハルト様に怖気付いたみたいだな……」



「やっぱり、次期後継者候補といっても、養女じゃ何も出来ないんだな」



クロエたちは悔しさを胸に仕舞い、何とか胸を張ってその場を離れる。しかし、いくら堂々としていても、クロエの握られた拳の震えまでは消えることは無い。


イブはクロエの震える拳を見て、気付いていないフリをして彼女の後に続いた。

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