ブリカブリ姫 2
いつからそうなっていたのか、
目を覚ましたら、砂浜にいた。
波打ち際で横になっていた。
胴体がブリの姿で。
きっとその姿は、かの有名な絵画のようにシュールだったに違いない。
起き上がった伊那田さんは自宅へと帰った。特段、何かを言われるようなことはなく、お風呂にはいろうとしたところで、自分が変わってしまったことを知った。
――鏡の向こうのブリが、死んだ魚のような目でこっちを見ていた。
そのことを、伊那田さんはお母さんに伝えた。
だけども。
お母さんは信じなかったらしい。お母さんだけではない。お父さんも、両親に連れられ向かった病院の先生も、近所のおばさんも、学校の先生も、クラスメイトも、たった一人の友達も。
他人から見た伊那田さんは以前と変わらなかった。
――何か強いトラウマのせいで、自分がブリになってしまった、と錯覚しているのでしょう。
医者はそう診断したそうだ。
誰も、伊那田さんを虐めようとはしなかった。
だけども、信じようともしていなかった。
「わたしはブリなんです。触ったらヌメヌメするんです。吐いた空気が生臭い感じがするし……」
こんなわたしに近寄ってほしくない。
そう言って、伊那田さんは目を伏せた。
手を掴んだら逃げ出したのも。
伊那田さんの友達が抱きついてこようとしているのを、止めようとしていたのも。
自分に触れてほしくないから。
「先輩もそうなんですよね……? わたしがブリだなんて思ってないから、話しかけてくれるんですよね? みんなと一緒で」
すうっと魚眼が別の方を向く。
視線の先には、幾人かの生徒が談笑している。その中には、伊那田さんの友達もいる。
ふっと、その友達が、気が付いたかのようにこっちを振りかえる。びくりと震えた伊那田さんへ、大きく手を振る。呼ぶかのように動く。
ブリの頭が
「行ったら?」
「迷惑ですよ。わたしが行ったって……」
「そんなことないと思うけどなあ。じゃなきゃ呼ばないって」
「本当の姿を見たら、みんな逃げ出します」
「いやいや、そうだったらわたし逃げてますし」
「そうですよね……」
え、とブリの頭が固まった。
空気を飲むかのように硬い口がパクパク動く。
「そ、そそそそれって」
「うん。見えてる。バッチリまるっとエブリシングブリに」
「最初から?」
「ペアになったあの瞬間から」
正確には、ペアになって、気乗りしない感じで伊那田さんが近づいてくるところから。
伊那田さんは、手で頭を抱えるように口を覆っていた。
「ど、どうして……」
「なんでだろ。もしかしたら、部長――
「そうじゃなくて! そうじゃなくて、ブリに見えてるなら、そう言ってもらえたら」
「だれも言ってなかったし、受け入れているみたいだから。そんな中で言っても信用してもらえないし」
「わたしみたいに……」
俯いた伊那田さんは、口に手を突っこんでいた。奇妙なポーズだけど、まわりの人からすると、爪を噛んでいるように見えてるんだろうか。
「それにさ、わたしがブリみたいって言ったらシャレにならないじゃん。先輩だし。いじめてるみたいだし」
「本当のことなのに」
「みんなからはそう見えないからね。荒舘さんのこと、悪魔って言っても、きっと信じてくれないと思うし」
わたしも本気で信じてるわけじゃないんだけども。
「っていうか、わたしとか荒舘さんのことはどうでもよくて――」
「どうでもよくないですっ!」
今日一の声が響いた。
道行く人々も、向こうにいた先生とかクラスメイトとか、伊那田さんの友達もまた、こっちを向いた。
公園中に轟いたんじゃないだろうか、伊那田さんの叫びが。
ブリのエラがハタハタとぴくぴくとひくついていた。弾切れになるまで撃ったマシンガンみたいに。
わたしの耳にはキーンと甲高い音が鳴りひびいている。鼓膜が蜂の巣になった気分だ
声がグラグラと頭蓋の中で反響する。視界の中にも声が響いている気がする。そんなわけがないんだけれど、目を閉じれば瞼の裏に言葉が見えるような気がした。
「ご、ごめんなさいっ」
そんな声が聞こえる。わたしは、目を開けつつ返事をする。
ぼやけた視界の中で慌ててるブリを安心させるように。
「だ、大丈夫。耳キーンってなってるだけだから……。でも、どうでもよくないってどういうこと?」
「あ、あのっ。オカルト部の皆さんに相談したいことがあって、わたしの本当の姿が見えていた先輩ならっ」
先輩たちなら、わたしをどうにかしてくれるかも――。
その言葉を言い終わった瞬間。
パチンと、何かが弾ける音がする。
ブリの口が裂ける。まるで、見えない出刃包丁が差し込まれたかのようにすうっと赤い線が入っていく。その線の部分から、ジッパーが下がっていくように、裂けて裂けて。
光がほとばしる。
黄金の光。朝焼けの光とともに現れたのは泡。その泡は、セレモニーで放たれるバルーンのように空へ空へと上がっていく。
先ほどまで、生きていたかのようなフレッシュなブリが2枚おろしになって地面に落ちた。
パッと、硬いものが――真っ白なパールが散らばり、歓声を上げる。
そのすべてが一瞬にして行われたのち、そこにいたのはヒトだった。
ブリの胴体を持たない、伊那田和奏さんだった。
「つまりだね、伊那田ちゃんはブリをかぶらされていたんだよ」
オカルト部の部室の中。
荒舘さんが、さて、というお決まりのフレーズのあとに続けて、そう言った。
「そのブリは、彼女にとって殻のようなものだったのだろうね。それを自ら破った。だから、ブリも剥がれ落ちた。ある種のかさぶたみたいな」
「かさぶた……」
「どうしてブリになったのか記憶にないと言っていたらしいけれども、彼女は気にしていたんだよ。おおかたその友達とやらに遠慮でもしていたとかで。それで、自殺でもしたんじゃない」
そういえば、伊那田さんはブリになったときに、海岸に倒れてたって言ってたっけ。
あれは、入水したからってこと?
「だからって、ブリをかぶるだなんて意味わかりません」
説明してもらおうと、わたしは荒舘さんを見る。オカルト部のあんまり頼りにならない先輩は肩をすくめた。
「似たような話に『鉢かぶり姫』というのがあってね。あ、鉢のかわりにブリ――もしかしたら、集合的無意識にあったその話と彼女のトラウマとが結びついて……?」
「ずっと思ってたんですけど、1人で納得するのやめてくれません?」
これ、ミステリにおける解答編なんじゃないの?
「ごめんごめん。きっと、ブリが好きだったんだよ。というよりかは、海のものが好きだったんじゃないかな。だから、鉢がブリになってしまったとか」
「いい加減な」
「いい加減でもいいじゃない。なんにせよ、伊那田ちゃんは生まれ変わったの。死を経て2度目の生、転生さ」
「なんだかなあ」
わたしは伸びをする。
あの後――。
誰もが驚いていた。
わたしも伊那田さんも、あの場に立ち合わせたヒトみんなが。
それもそのはず、伊那田さんの足元には、2枚おろしになったブリと、無数の真珠が転がっていた。
大部分の人は、伊那田さんが叫んだかと思うと、何もないところからブリと真珠が出てきたと言っていた。
でも、わたしや当事者である伊那田さんからすれば違う。ブリがパカンと2つに分かれて、中からあふれ出た光とともに真珠が散らばった。
生まれ変わった――確かにそうなのかもしれない。
わたしは、テーブルの上の写真を手に取る。
新聞部の一面を飾る、伊那田さん。
伊那田和奏さん、セーリング大会で優勝。
その隣には、あの友達がいて。
抱き合う2人の胸元では、お揃いの真珠のネックレスがうれしそうに輝いていた。
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