第三十六話:散り散りになる灯火
「――勝手にしなさいよ、このバカ!」
フェリアの絶叫が、ギルドの喧騒を切り裂いた。彼女は激しく椅子を蹴り飛ばすと、振り返ることもなく出口へと走り去っていった。その背中からは、制御を失った魔力の火粉がパチパチと弾け、彼女の心中にある激しい怒りと絶望を物語っていた。
後に残されたメルは、力なく座り込んだまま、震える指先で自分の服を掴んでいた。
「クロさん……どうして……」
絞り出すようなメルの問いかけに、クロは答えなかった。彼はただ、遠ざかっていくフェリアの足音を背中で聞きながら、無機質な瞳で掲示板を見つめていた。
彼の中に罪悪感がないわけではない。だが、エスティリオが見せた両親の情報という猛毒は、彼の理性を麻痺させるに十分だった。そして何より、裏ギルドという底知れない深淵に、魔法の才能に恵まれた彼女たちを引き摺り込むことへの恐怖が、彼に拒絶という名の不器用な守護を選ばせていた。
「……しばらく、距離を置こう。お前も、フェリアの側についていてやれ」
クロはそれだけ言い残すと、掲示板から一枚の依頼書を無造作に剥ぎ取った。
『上層・
今の彼の実力からすれば、欠伸が出るような雑用依頼だ。だが、今の彼には、無心に剣を振り、肉体の軋みで思考を塗り潰す時間が必要だった。エスティリオの囮任務に向けて、自分の感覚がどこまで研ぎ澄まされているかを確認するための小手調べという名目で、彼は一人、迷宮の入口へと向かった。
一人、また一人と去り、テーブルには冷え切ったカップだけが残された。
メルは、ゆっくりと顔を上げた。その頬には涙の跡があったが、瞳には悲しみではない、静かな決意の炎が宿っていた。
(クロさんは、いつもそう。一人で傷ついて、一人で全部背負って……私たちのことを信じていないわけじゃない。ただ、自分しか信じられないだけなんだ)
それは、クロの優しさが生んだ傲慢さだ。自分だけが傷つけばいいという独りよがりな守護。メルは、それがたまらなく悲しく、そして、今の自分に彼を止めるだけの重みがないことが、何よりも悔しかった。
(私がもっと強ければ。クロさんが「頼ってもいい」と思えるくらい、圧倒的な力があれば、あんな悲しい顔で私たちを追い出したりしなかったはず)
メルは立ち上がり、杖を固く握りしめた。フェリアが怒りに任せて飛び出したのも、きっと同じ理由だ。守られているだけの自分たちへの嫌悪。そして、大切な仲間を一人で死地へ向かわせるわけにはいかないという、意地。
「……見ていてください、クロさん。私は、あなたの捨て駒にはなりません」
一方、ギルドの外へ飛び出したフェリアは、裏通りの壁を思い切り殴りつけていた。
「なによ……なによなによ! 結局、魔力がないあいつが一番、魔法みたいな奇跡を一人で起こそうとしてるじゃない!」
彼女の脳裏には、先ほどのクロの冷徹な眼差しが焼き付いている。
あいつを支えるには、今の「ちょっと魔法が上手いだけの少女」では足りない。Sランクたちが蠢く、あのエスティリオのような怪物が闊歩する領域で、対等に隣を歩くための絶対的な格が必要なのだ。
「認めさせてやるわ。あんたの隣は、私じゃないと務まらないってことを」
フェリアは赤くなった拳を握り込み、王都の高台にそびえる、一般の冒険者には縁のない豪華な宿舎を見上げた。そこには、王都最強を冠する、あの苛烈な女傑が滞在しているはずだ。
三色の灯火は、一度はバラバラに散った。
だが、それは消えるためではない。それぞれがより強く、より高く燃え上がり、再び合流した時に太陽をも凌駕する光となるための、痛みを伴う離散だった。
クロが地下迷宮の冷たい闇に一人沈んでいく一方で、少女たちは自らの殻を破るため、それぞれの最強への扉を叩こうとしていた。
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