□4-5 遺伝

 喉に粘ったものが引っ掛かったような咳込みを繰り返して、トマリは深い呼吸音をハルトの背中のシート越しに鳴らす。

 この咳が喀血であれば、刃はどこまで届いてるなのだ。

 病院まではまだ少しある。ハルトはできるだけ車体を揺らさずに運転するよう努めた。


「先にひとつ……カギリのような『魔法使い』は、一般の魔人と違って、『体内』ではなく『体外』に魔法陣を形成することができる。それ以外は、魔人と同じだ」


 体外に魔法陣を形成するとはなんだ。無茶苦茶が過ぎて、ハルトの脳裏に様々な質問が浮かんできた。


「そしてカギリの『花火の魔法』は。視たものに魔法陣を植え付け、魔法陣を植え付けた物質を、カギリの意のままにできる植物に『置き換える』」

「ほんとに魔法……」


 要するに『視界に入れたものを植物にする』魔法ということなのだろう。


「……首都高崩落事件のとき。カギリの『花火の魔法』は、宙に浮いたり地面に落下する首都高の幹線を植物に巻き付け、破壊活動や人を守るために広範囲で使用された」


 あ、とハルトは想起する。

 2016年の5月、ハルトは確かに見ていた。崩壊する首都高と炎上する街、そしていくつもの巨大な植物が、シブヤの街に発生していた光景。

 まるで怪獣映画のようなそれを、テレビ越しに。そして、派手な頭をして、絶望的な顔でテレビを眺めていたヨシノがいたことも思い出す。


「直接全てを『置き換える』のも、ヒトが無数に居た以上は難しかったようだ」

「ヒト……」


 逆にいえば、カギリは『ヒトを植物に置き換える』こともできるということだろうか。


「巻き付けたその植物を伝ったり、宙に浮いた車両に巻き付けたツルを抱えて、大統領も含めて安全圏まで人を運んで助けていたヴァルクさん達。彼らのおかげで魔業テロの被害、特に人間に対しての被害は、ある程度までで拡がらずに済んだ」

「そこに『シン国』が関わっているわけですね」

「ああ。首都高を破壊した魔業は、ニッポンで製造されてシン国に持ち出されていたものだからね」


 首都高を破壊した魔業と改めて言われると、妙に肌がざわついた。

 つまり『首都高崩落事件』は、単なる魔人の過激派集団の破壊行為ではない。さらにヨシノの『浄水器』といい、シン国の魔業環境は、ニッポンと比較して随分扱いが緩いようである。


「てことは……シン国のどっかのヤツがキルカのお父さんにテロを邪魔されたから、娘のキルカを拐うつもりってことですか」

「要因の一つとしてね。ただ、報復の意味だけじゃなく、もっと利用価値の高いことに使えると考えてるんじゃないかと思っている」


 重い溜め息が聴こえた。


「魔人の力は遺伝しないことも多い。しかし強力な魔人の力が『遺伝』している事実が確認できているなら。自国の管理下で、それをもっと増やす方法があるから」


 単純すぎる話で、ハルトは頭が痛くなりそうだった。


「そして奇しくも彼女は、ネット上で彼女自身の特異性を誰にでも観られる状況にされていた。だからその筋のほうから、……後ろ盾のなくなったサクライを使って、目を付けていたのかも、しれない……」


 ぐ、とトマリの苦しそうな声が漏れた。


「っ……、僕も、かなりつらくなってきた」

「ほんとに無理しないでください。もうちょいで着きます」

「……もうすこし伝える。既にもう、今日初めて顔を合わせる相手にする話じゃない。……『この際』だ。君には知ってもらう」


 トマリは咳込んでから、細く息を吸った。


「『首都高崩落事件』は……複数のドローンを併用した『ポータル』の魔業を中心に使用された」

「……」


 あまりハルトは驚かなかった。

 頭の片隅のどこかで、この一連の話にポータルが深く関わっているのではないかと、直感的に考えていた。


「ポータルの転移先を調整し、複数台のドローンで『空に穴をあけて』重力の向きを滅茶苦茶にさせれば、首都高なんかは地面ごと簡単に破壊できる。……それだけじゃなく、他にもポータルでの破壊行為ができることは、君もよく知ってるね」


 ハルトは頭に熱を感じながら、「はい」と返事をする。


「君にあえて伝える理由は、わかってもらえたかな」


 トマリは苦しそうで、言葉の端々に力みと荒い呼吸が挟まれる。限界が近いのかもしれない。


「俺も当事者であることと……キルカがこれを全部知ったら、最悪なことになるからですか」


 トマリはうなだれた。


「ポータルを開発させていたのがサクライなんだったら。首都高の件から始まってるキルカに起きた酷いことのほとんどの原因はサクライだってことだ。そのままそれは……サクライが、キルカのお父さんの『仇』だってことになる」


 ふとハルトは手のひらに何かが落ちたような感覚になった。首都高崩落事件に比べれば大したものではないが、『ポータル』は『池袋連続通り魔事件』でも使用されている。


 だったら「俺も」か。

 しかしハルトに怒りは湧かなかった。サクライについては顔も知らないし、現時点の情報だと、サクライは開発などには関与していても、テロや通り魔事件で直接動いたようではない。

 それよりも何故そうなったのか。どうしたらそれを防げたのか。それをいくらか考え、すぐにそれすらも、もう意味はないことだ。

 あくまで『事が起きてしまっている』いまこれから。当事者である自分達がなにをするべきなのか。ハルトはそれを考えようとしていた。


「オーナーは、キルカがそんなのに巻き込まれて欲しくないから俺にそれを教えてくれたんですよね。事実や経緯を知っている人間が近くにいれば、その情報を回避することができるかもしれないから。……そうじゃなきゃ、いままでそれをキルカに隠し続けて、ここで俺に話す理由がない」


 ルームミラー越しのカギリと一瞬目が合った。トマリがカギリをその立ち位置に置かないのも、おそらく理由がある。 


 それに。と、ハルトはアクセルを軽く踏み込んだ。


「キルカはお父さんのことは知ってる様子がない。オーナーはきっと、キルカが『それを知る必要がないように』、サクライやその関係者の接触もさせないようにして、今のあいつの普通の生活を、続けさせてくれていたんですね」


 トマリはわずかに頭を下げた。頷いたようだった。


「……僕は。『遺伝』が、怖いから」


 ルームミラーを見ると、カギリが無表情にトマリを見ていた。


「彼女の母親のリルハさんは。『あの日』からずっと、ヴァルクさんを喪った復讐のために生きている」


 その名前はメモした記憶があった。カギリの話で出てきた名前。トマリが電話で話していたという人物が、キルカの母なのか。


「『あの事件に関わった連中は、どんな手を使ってでも全員殺す』って。いつも彼女は本気で、何度も何度も、僕に話している」

「そんなのは……」

「不可能だ。だけどそういう性質の人も居るんだよ。一つのことを、絶対に諦められない人が」


 ハルトは奥歯を強く噛み締める。

 つまりトマリは、キルカも母親と同じことを考えると思っているのだろうか。


「僕も実際、それくらいに魔業や魔人達を憎んでいる」


 トマリは深く息を吸った。


「僕の妻が亡くなったのも……娘が生まれる直前、車であの事件周辺の下道を走っていたとき、落下してきた首都高の瓦礫に巻き込まれて致命傷を負ったためだから」


 エンジンの唸る音だけが響く。


 ハルトは唖然としてしまっていた。

 つまり彼も魔業により喪ってしまっているのだ。

 自分のように。あるいはキルカのように。筋違いだと思いながらも、ハルトは深く息を吸って、ハンドルを強く握りこんだ。


「それでも娘がなんとか無事だったのは……、あのとき、僕や瀕死の妻をヴァルクさん達に助けてもらって、妻の身体を近くの病院に連れて行くことだけは、できた、から」


 トマリは意識が朦朧としているのか、うわ言のような声になっている。

 カギリは無表情で、トマリの背中を支えていた。


「だから僕は、妻を奪った連中は一生許さない。今を生きる僕らを邪魔しにくるなら、いつだってその命を奪いにいってやる」


 ハルトはため息に近いものを吐き出した。


「だけど。娘の顔を見るたびに思うことだって、ある」


 彼に事件当時の頃の、六歳くらいの娘が居るとしたら、ハルトの妹のトウコより少し年上。

 しかしまだ小さな子なのだろうと自然と想像できた。

 その子はきっと赤い髪。彼らの血筋であるなら、自然とそんな成長をする。


「……子の世代には、こんな思いは遺すべきじゃない。伝えたくもない」


 彼の喉が震えている。


「けれど子どもは賢いから、僕ら親の姿を見て……言葉にしなくても、きっとどこかで、なにかを察してしまう」


 ハルトにも、いくつか思い当たる節があった。


「僕は、それが怖い」


 トマリは息を吸った。


「怒りや悲しみを抱えて生きるのは、それに触れてしまった僕らだけで、いい」


 カギリがトマリの肩を支えるように掴んだ。ハルトの視界にあるルームミラー越しには、その手は震えているように見えた。


「……君たちや娘たちのような下の世代にはね。楽しい未来に向かって、誰も恨まない、自分が思う人生を明るく生きてほしい」


 今にも倒れてしまいそうな弱々しい声が漏れる。


「僕が本当に望んでいるのは……ただ、それだけなんだ……」


 呼吸の音が切れ切れで、細く風を切るような音が鳴っていた。

 トマリの声も身体もぶるぶると震えているのが車内全体に伝わっていた。

 カギリはその身体を支えて、足元をじっと眺めていた。


 赤信号で車を停め、青くならないことに苛立った。

 本来なら救急車を呼んで、トマリをすぐに預けて行かせるべきなのはわかっていた。

 直前のトマリの言葉を利用する形で、ハルトは『自分が情報を得るためだけに』この選択をした。

 なにかが胸の内を蠢いて、心臓を何度も叩く。嫌な汗が全身から、ひっきりなしに噴き出ている。

 しかしそれでもいま聞くべきことは聞けた。

 今やるべきことも、わかった。


 すると車の後ろで、鼻を勢いよく啜る音がした。



「バイトくん! 早く病院いこうぜ!」



 後ろに詰め込んでいたケンゴの存在を忘れていた。


「言われなくてもあと少しで着きます」


 ケンゴは簀巻きにされているので、派手にバタバタと音を立てて、ルームミラー越しに頭を出してきた。

 彼は目尻を濡らしていて、ハルトを真っ直ぐに見つめていた。


「わりーけど全部きいた! 半分くらい話はわかんねえ! だけど俺のばーちゃんもあの首都高の事件で色々ぶっ壊れたから、それが絡んでんなら話はちげーだろ!」


「……そうですか」

「オーナーさんの話きいて、いまなにすりゃいいのかもわかった!」

「はい」

「今更オレらがやったことは謝らねえけど!」

「はい」

「キルカちゃんのことは!! 絶対!! 助けねーとダメだろ!!」


 ハルトを目を見開く。

 その言葉は、そのまま頭に突き刺さってきた。


「……そうですよ。バックに誰がいるとか、いままで何があったかよりも、今キルカを助けられなきゃここに居る意味がない。オーナーに聞かせてもらったこと、俺は無駄にしたくない」


「オーナーさん! ちゃんと生きて娘さんに会ってくれ! キルカちゃんのことはなんとかするから! 犬女も呼びます! 絶対手伝わせる!」


 トマリは呻くようになにか呟いた。うるさい、と言ったようだった。

 ハルトもケンゴと同じ思いだ。トマリがしてきたことも、その願いも、汲めるだけのものは汲み取りたかった。トマリのもつ理想は守るべきだと本心で思った。

 きっとそれが、人の助けになることだから。


「……あいつ、やっと『目標』ができたばっかなんだ」


 トマリがキルカを『みちる』に居させてくれた。

 彼のおかげで、あのときキルカは笑えていたのだ。


「オーナー。ほんとに死んじゃダメですよ」

「あ。兄、もう寝てる」


 カギリが呟いた。

 

「――ちょっ、えっ、ヤバい、まじすか!? オーナーマジでダメですよ! キルカもマリアさんもちゃんと連れ帰りますから頑張って! 娘さん待ってるでしょ! ほんと頑張って!」

「ハルトくんもうるさいねー」


 狼狽したハルトだが、どうにかナビの通りに車を回して、トマリの言った病院の正面までやってきた。

 トマリが先にメッセージでも送っていたようで、既に車輪付き担架が病院の前にあり、白衣を着た医師、看護師が数名立っていた。

 ハルトが車を停めて運転席の窓を開けていると、医師の男性が走り込んできた。


「このバンだな! フジムラ・トマリは無事か!? バカだからついに刺されちゃったって!」

「――えっ? あっ、はい! ですですトマリです! たぶん生きてます!」

「そうか! きみ思ったより早かったよ! ありがとう! あとはぼくらに任せて! 付き添いの方は!?」

「すみませんナシで! お願いします!」


 ハルトがバンの鍵を開けると、医療者達はあっという間にたくさんの腕を伸ばしてきて、ぐったりとしたトマリを回収した。トマリの座っていた車のシートには鮮血が垂れており、車から降ろされるときに血が擦れた跡が拡がって残った。

 トマリを担架に載せて呼吸器を付けながら、彼らは病院内へあっという間に走り込んでいく。

 ハルトとカギリはその様子を見送り、改めて車に乗り込んだ。カギリは助手席に来て、ケンゴからは距離を置いたかたちになった。


「キルカちゃんのほうは、なんやかんやで魔法使いのお姉さんがいるから余裕っすよね! お姉さん! だからほどいて! オレも力になるから!」

「うるさいからほどかないよー」

「なんかいきなり締まらないなぁ……」

「オレのクビ締まってるよー!」


 ハルトはキルカの居場所を示すスマートフォンのアプリを起動しつつ、車のナビを確認した。


「ケンゴさん。リンカさんのことはマジでお願いします。呼び出すのにスマホとかはあるんですよね?」

「おうあるぜ任せとけ! 女をノセるのは得意!」

「こっち手伝ってクズリさんとは大丈夫なんすか」

「しらねーよ社長もボーッとしてこまけーこと言わねえし! クロイワのヤツもイキってたんだからもう関係ねえわ! なんだあいつ調子乗りやがって!」


 簀巻きになった元ホストの声が、威勢よく響いた。


「カギリさん、とりあえずあの人解放しましょ」

「……うん……」


 妙な間があり、ハルトはカギリをちらりと見た。

 カギリは姿勢よく助手席に座り、両の手を膝の上に乗せている。

 その両の拳がぎゅっと強く握られ、激しく震えていた。


「さすがに怒ってます、よね」

「うーん。わからない」


 その声色と表情は、カギリの身体の挙動とはまるで一致していない。


「きっと怒らなくちゃいけないのに、わからなくなっちゃったんだ」


 なぜだか虚しく感じるくらいに、平坦だった。

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