第十五項 ホンダオオカブト

名称:ホンダオオカブト



分類:

界:Animalia(動物界)

門:Arthropoda(節足動物門)

綱:Insecta(昆虫綱)

目:Coleoptera(コウチュウ目)

亜目:Polyphaga(カブトムシ亜目)

上科:Scarabaeoidea(コガネムシ上科)

科:Scarabaeidae(コガネムシ科)

亜科:Dynastinae(カブトムシ亜科)

族:Oryctini(カブトムシ族)

属:Hondaeuceros(ホンダカブト属)

種:Hondaeuceros tadakatsu



最大サイズ:95mm



生息域:愛知県東三河の一部の雑木林



食性:樹液食



危険度:★★☆☆☆



特徴:ホンダオオカブトは愛知県東三河の一部の雑木林にのみ生息するカブトムシである。命名は戦国武将、本多忠勝に因む。

本種は日本のカブトムシと同じ祖先を持ちながら、隔絶された環境で独自の進化を遂げたものである。

カブトムシに似た姿をしながら、頭角は前方へ伸びたのち左右に浅く張り出し、相手の角や大顎を受け流す構造を持つ。胸角は短く太く、相手の腹部を下から支えるように突き出している。この二つの角を組み合わせることで、ホンダオオカブトは相手を真正面から押し潰すのではなく、重心を崩して樹上から投げ落とす。

太く短い脚を持ち、発達した爪で木々に力強くしがみつくことが出来る。

また、本種は基本的に黒または黒褐色の体色を持つが、稀に色素異常により赤褐色の個体が生まれる場合があり、「猩猩緋」として本種を知る愛好家の間で秘密裏に高値で取り引きされる。

本種は観測記録の残る限り、一度も敗北を喫した例が確認されていない。そのため、無敗の甲虫とされる。また、戦国時代にはその勝率から「勝鬨虫」と呼ばれ、鎧兜に意趣が取り入れられることも多くあった。



目撃例:「最近はホームセンターでも、ペットショップでも簡単に外産のカブトやらクワガタが買えるようになったでしょ? 困るんですわ。だって、ガキが森に離しよるでしょ? 親も親で可哀想だから森に返してあげましょうね、とか馬鹿なことを言う。もうね……最悪ですわ。」

そう言って西口氏がアトラスオオカブトの入った虫籠を忌々しげに見つめる。それは日本の森で発見された個体だった。

「そりゃ、海外のカブトムシの方が強いに決まってるでしょ! だって、この体格差。虐殺以外の何者でもない。こんなんね、ペットショップで買ったカブトムシを野に放ったら、子供大人関係なく罰金、いや死刑、それくらいやらんと止まりませんがな。これ、もう、最悪ですわ。」


西口氏が東三河のある雑木林に入ったのは、ただの昆虫採集ではない。外来種の定着についての調査だった。

実際、いくつかアトラスオオカブトの目撃情報が寄せられている。西口氏にとってこれほど忌々しいことはなかった。

だが、難しいところは彼は日本の昆虫たちも、海外の昆虫たちも、皆平等に愛していたことだ。

「この子たちは悪くない。」

それは西口氏が誰よりも理解していたことだった。


西口氏がある木にじっと目を止める。何の変哲もない広葉樹……だが、そこに荒武者と猛将がいた。

カブトムシと、そしてホンダオオカブトである。

カブトムシが頭角を突き上げてグッとホンダオオカブトに迫るが、ホンダオオカブトは身じろぎ一つしない。じっと止まったまま、死んでいるのかと思うほど静かだ。

ドッとカブトムシが頭角をホンダオオカブトに差し入れようと迫った……ホンダオオカブトはすっと身を捩ると、独特な形状の頭角でカブトムシの頭角をいなした。勝負は一瞬だった。まるで居合のようだった。猛将は荒武者が気が付かないうちに頭角を差し入れ持ち上げたのだ。荒武者は自身が討ち取られたことに気が付かぬまま落下していった。


これが無敗の甲虫、ホンダオオカブトである。

西口氏が最も危惧していたのは彼らの存在だった。外来種が限られた地にのみ生息する彼らを追いやってしまうのでないか、と。


事実、猛将の前にゆっくりと玉虫色の光が近付いていく。

東南アジアの猛牛、アトラスオオカブトである。


猛牛が舐めるように猛将を見つめる。こんなチビた小倅、簡単に捻ってやろう。そう言いたげに。

こういった戦いでは先に手を出した者が負けると言われることが多い。自身の隙を晒さないために、そして相手のコンマ一ミリの隙を探りだすため、長時間睨み合うのはよくあることだろう。

だが、猛将は違った。

頭角でガッと猛牛の角を払い除けると、瞬く間に角を身体の下に差し入れ持ち上げた。

アトラスオオカブトが爪を木に食い込ませ決死の抵抗を試みる。

確かに……重い。日本の荒武者たちには太刀打ち出来ない怪物だろう。

だが、ホンダオオカブトは荒武者ではない。

今、東南アジア最強格の猛牛の目の前にいるのは、未だに敗北を知らぬ猛将。

頭角をアトラスオオカブトの下に差し入れたまま、ホンダオオカブトがゆっくりと身を捩る。そして、一思いにグッと持ち上げた。

バタバタと空を切るアトラスオオカブトの爪を尻目に、ホンダオオカブトは自身よりも大きな体格を誇る、海の向こうの猛者を見事に投げ飛ばした。


……まさにこの猛将、負けなし。


そして、西口氏は確信した。そしてあまりに馬鹿馬鹿しい心配を抱えていたことを心から恥じた。


ホンダオオカブトがいる限り、この地は大丈夫だ。

そして、惚れ惚れしながら勝鬨虫を、穴が開くほど眺めた。



備考:「最初に言っておきますが、僕はこういうのはあまり好きじゃないんです。でもね、昆虫の話を書いてもらうなら、見てもらう必要があると思います。」

そう言って仙石氏はビデオテープを取り出した。

「これも西口さんの記録映像です。ただしさっきまでのビデオとは全く違います。……西口さんはね、どうしても知りたくなったのですよ。……最強が誰なのかを。」

そう言って仙石氏は静かにビデオを再生した。


舞台は西口氏の自宅である。黒い布に覆われた空間に太い木が一つ。言うなればこの無愛想でシンプルな空間こそ、最強を決める闘技場なのだ。


黒い塊を掴んだ手がそっと、その塊を木に離してやる。

ボルネオに住まう樹上の暴君にして、最強のクワガタ、テイオウヒラタクワガタだ。

暴君は木に止まるや否や、カメラの向こうにいる西口氏を威嚇し始めた。

……ふいに動きが止まる。そして神の手に掴まれたもう一つの存在に釘付けになった。

無敗にして最強の甲虫、ホンダオオカブトである。

両者は向かい合った。

あれほど凶暴な暴君が静かに目の前の猛将に全神経を集中させている。自分より遥かに小さい小僧っ子に。

時折、ゆっくりと大顎を開いて威圧するように歩を進める。

だが、猛将は身じろぎ一つしない。

先に暴君が焦れた。グッと身を乗り出して猛将を噛み砕こうと大顎を突き出す。猛将もまた前進した。

ついに暴君の牙が猛将を捉えようとした瞬間、開いた大顎の間、真正面から隙だらけの身体に向かって頭角を差し入れた。


……重い。だが、持ち上げられないことはない。


ガッと暴君が大顎を閉じようとしたころには、最強のクワガタ、テイオウヒラタクワガタは宙を舞っていた。

強力な大顎も挟む機会がなければ、飾りに過ぎない。

猛将は傷一つ負っていなかった。

カメラが土俵の外にいる暴君を捉える。

暴君は立ち竦んだきり動けなくなっていた。

樹上からジッと猛将が暴君を睨みつけていたからだ。



無敗の猛将が闘技場を占領した。だが、まだ神の手は彼に安息を許さない。

ホンダオオカブトの差し向かいに、ボルネオに君臨する「樹上の巨神」にして、最強のカブトムシ、タイタンゾウカブトが降り立った。

暴君よりも大きい、まさに巨神。向かい合った両者の姿は大人と子供。

普段はどんな生き物も歯牙にもかけない巨神が、じっと目の前にいる子供のような生き物に目をやっている。

何かを考え込むようにじっと見つめる。

そしてゆっくりと力強く進み始めた。頭角を下に、真っ直ぐ猛将に向かって歩き始める。

猛将はそこに留まったきり、全く動かなかった。

巨神の頭角が猛将の頭角に触れる。巨神は迷うことなく歩を進め、押し潰そうとした、その瞬間、猛将が頭角を振るった。

強烈な一撃が巨神の頭角を揺らすと、歩みが乱れた。

後退した隙を猛将が見逃す訳がない。

グッと頭角を差し入れると、巨神が木に爪を食い込ませた。

……上がらない。それはそうだろう。この巨体では。

猛将は相手が前進したのを見逃さなかった。巨神が前へ進む力を利用し、頭角をさらに深く滑り込ませると、相手の身体を前に引き寄せた。

ホンダオオカブトの頭角と胸角がしっかりと巨神を捉える。その瞬間、浮いた。


……巨神が浮いた。


ついに猛将が自分よりも遥かに大きな巨神を持ち上げた。

巨神は自分が持ち上げられていることにさえ気がついていないようだった。

鈍い音と共に樹上の巨神が落下する。


それでもなお、猛将は傷一つ負っていなかった。


無敗の猛将にして、最強の甲虫、ホンダオオカブトはようやく手に入れた静寂の中に身を預けた。



仙石氏がビデオを止める。

「僕、こういうのは苦手でね。ただまぁ、ホンダオオカブトが最強の甲虫と呼ばれる理由はわかってもらえたと思います。ホンダオオカブトはテイオウヒラタクワガタほど力強くないし、タイタンゾウカブトほど重いわけじゃない。ただ、勝ち方を知っている。そういう生き物なんですよ。

あとね……西口さんに連絡を取るのも大変なんですよ。僕はね、西口さんと虫とか動物の話をするのは好きなんですが、それ以外のことは話したくないんです。……だって、西口さん、性格悪いから」

そう言って、仙石氏が大いに笑った。



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