第六項 ギガロドン

名称:ギガロドン


分類:

界:Animalia(動物界)

門:Chordata(脊索動物門)

綱:Chondrichthyes(軟骨魚綱)

目:Lamniformes(ネズミザメ目)

科:Lamnidae(ネズミザメ科)

属:Gigantocarcharias(ギガントカルカリアス属)

種:Gigantocarcharias materna



最大サイズ:40m



生息域:主に南太平洋の寒冷外洋域に生息し、極めて稀に大西洋へ回遊する個体が確認されている。回遊経路は未解明であり、その出現は予測不能とされる。



食性:主に浮遊生物を摂取するが、詳細は不明



危険度:不明(接触例は多いが被害報告は極めて少ない)



特徴:ギガロドンは主に南太平洋の寒冷外洋域に生息する世界最大のサメである。

本種はメガロドンと共通の祖先を持つ近縁種とされるが、その生態は大きく異なる。


現代のホオジロザメに酷似した外見を持つが、頭部はより幅広く、顎の構造にも顕著な差異が見られる。ホオジロザメの特徴である鋸歯状の歯は著しく退化しており、その代わりに鰓耙の発達が確認されているが、摂食様式との関連については明確な結論は出ていない。


本種は群れを作らず単独で行動し、長距離の回遊能力を有する。また、大型船舶に接近する事例が多数報告されており、その際、船体に身体を寄せる、あるいは一定距離を保って並走する行動が観察されている。


さらに、転覆しかけた船舶の下方に回り込み、船体を押し上げるような挙動が複数記録されている。これらの行動は一見して攻撃的にも見えるが、当該船舶が損壊した例は確認されていない。


その巨体から、本種を捕食し得る生物は限られており、現存する種ではシャチの群れなど一部に限られると考えられている。



目撃例:ベルリッツ氏は調査船に揺られながら、南太平洋の夜闇が運ぶ冷たい風に身を震わせていた。

彼がここにいるのはバミューダ海域の頂点捕食者、テイオウイカの生態調査のためである。決してバミューダを出ることがなかったテイオウイカたちが同海域を飛び出している。それはテイオウイカを知り尽くしたベルリッツ氏だからこそ腑に落ちない事態だった。


調査船の乗組員は9名である。

ベルリッツ氏とその助手たち、そして非番の救助隊員が手伝いを申し出た。

また、ベルリッツ氏がいくらかつつんで、現地の漁師が同行することになった。現地の海を知るものはどんな海図よりも助けになるからだ。


調査船は風を切って進む。目撃情報が寄せられたところまでは後少しというところだった。

基本的にテイオウイカは巨大な群れを形成する。しかしバミューダ以外での目撃情報では全て単独個体の目撃情報ばかりだった。

ベルリッツ氏はなんらかの理由でバミューダという巨大なコロニーでの生活から落ちこぼれた個体が回遊している。または……これは考えたくないことだが、群れを分派させて新たなコロニーを形成しようとしている。

どちらにせよ、今回の観察結果によっては捕獲、採集を視野に入れねばならない。

普段は至って冷静な助手たちも今日は浮ついた様子だった。

普段なら決まったところにいる化け物を観察するだけだが、今回はどこにいるかわからない化け物を探さなければならない。

テイオウイカという種の性質上、不意を突かれる可能性もある。

少しでも何か光るものがあるたびに助手たちは

「……あっ」

と叫ぶがその度にベルリッツ氏が

「馬鹿、あれは違う! 落ち着け! お母さんから良い目をもらったんだろ!」

と叫ぶ始末だった。

「……この辺です。目撃情報があったのは。」

漁師がベルリッツ氏に耳打ちする。ベルリッツ氏は助手たちに大きなライトを四方に付けるように命じた。

「こんなの付けて大丈夫なんですか? 襲って来やしませんか?」

「それなら良いことじゃありませんか? だってあいつらが自分から近付いてくるなら探す手間が省ける。そうすると早く帰れるわけだ。」


ドッと船が大きく揺れた。

しかし調査隊がよく耳にする轟音もクリック音もいずれもどこからも聞こえてこない。

船から100mほど離れたところで海面がヌッと持ち上がった。

そして三角形の巨大な影が海面をゆっくりと突き破って現れた。

「……サメだ」

「あんなの見たことないぞ」

助手たちが一斉にボソボソとざわめく。

「ありゃあ、ホオジロザメか。」

ベルリッツ氏がジッと影を睨みながら言った。

巨大な三角形の影がゆっくりと調査船に近付いてくる。姿がどんどんはっきりとするうちに、その得体の知れない恐怖が増していく。

「あれ……大きくないですか?」

助手がベルリッツ氏の肩を掴む。

「……船より大きい。」

「メガロドンだ」

「馬鹿、メガロドンが現代にいてたまるか。」

巨大な影が海中に沈む。船の真下を横切ると、光に照らされた海面は巨大なサメの全貌を克明に描写した。

「……40mはあるぞ。」

ベルリッツ氏が額の汗をハンカチで拭う。


「あぁ、なんだお母さんじゃないか。」


ベルリッツ氏が雇った漁師が微笑を浮かべて言った。

「お母さん?」

「はい、お母さんですよ。この辺でやってるやつらはみんなお母さんって呼んでますよ。お母さんなら大丈夫だ。何もしてきやしません。」

漁師が満面の笑みを称えて言う。ベルリッツ氏が首を傾げた。

「しかしありやぁ、馬鹿でかいホオジロザメじゃないか? ……あんなの見たことないぞ。」


お母さんは巨大な身体を捻って、調査船の周りをぐるぐると何度も回った。時折軽く調査船を小突くと、船はぐらぐらと揺れた。

「大丈夫ですよ。あいつ、この船を仲間だと思ってるんですよ。俺たちがここでずっと留まってるもんだから心配してくれてるんです。」

ベルリッツ氏は助手に、船をゆっくり出すように命じた。お母さんは船の横に着いて泳ぎ始めた。

しばらく船と並走していたが、納得したように泳ぎを緩めると、走り行く船を見送った。

「お母さん、あいつらよりデカいぞ。」

ベルリッツ氏が椅子に座って呟いた。


しばらく船を進めると、闇の中にぼんやりとした光の塊が見える。

「あいつらだな。速度あげろ。」

船が光の近くに到達すると、赤、赤、黄、色とりどりの光が黄色く変色した。


ギィィィィィィィィ……ゴッ……ゴッ……グゥゥゥ……


ライトが水面を照らすと、海中の光がライトの灯りを押し返した。


グゥゥゥ……ゴッ……ゴッ……ギィィィィィ


船が二度軽く揺れた。

「落ち着け。……お前らもう慣れてるだろ。いつもと同じだ。……無人探査機を用意しろ。」


助手が無人探査機をゆっくりと海面に降ろす。全員がそれを固唾を飲んで見守った。


カチッ……カチッ……


「これは何の音です?」

漁師が目にいっぱい涙を溜めてたずねる。

「数えてるんだよ。九回しっかり鳴るから聞いてみな。」


カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ


「これって……」

「俺らの数だよ。」


ベルリッツ氏が頬を釣り上げて言った。先程のお母さんに驚かされた仕返しをしているようだった。

ベルリッツ氏がゆっくりと船内のモニターに目をやる。


カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ


クリック音は船室にも響いていた。

「やっぱりな。あいつらドローンのことは餌と認識してない。それぐらいの能はあるということだ。……見たところ成熟した雄の個体だな。」

ベルリッツ氏の額に冷たい汗が流れた。この個体は欠損や弱さを抱えた個体ではない。成熟した頑強な個体だ。つまり、群れで落ちこぼれ、コロニーから弾き出されるような個体ではない。

「あいつら、テリトリーを広げるつもりなんだ。」

ベルリッツ氏が呟く。

無人探査機はテイオウイカと距離を取りながら、ゆっくりと離れていく。光が真っ赤に染まった。映像が溶けるように真っ暗に染まり、隙間から赤い光が漏れ出していた。……そこで映像信号が絶えた。


海面は、夜の闇とは異なる暗黒に塗りつぶされていた。真っ暗な粒子の隙間を縫って、赤い光が漏れ出している。

「あいつ、墨を吐きやがったな。こりゃ駄目だ。あいつ、とことんまでやる気だぞ。……とっととドローン引き上げて帰るぞ。」

と、ベルリッツ氏が振り返ると、助手が捩じ切られた無人探査機を抱えていた。

「先生……これ」

「……」

ベルリッツ氏は沈黙するよりなかった。

かつてこれほど興奮したテイオウイカに遭遇したことがなかったからだ。

「まぁ……落ち着けよ。あいつはただ、俺たちにお前らもこうしてやるって言いたいだけだ。……船を出せ。早く。」

光が再び黄色くなる。


グギィィィィィィィィ……ギィ……ゴオォォォ


カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ


船のエンジンがかかると、そこにいる全員が船底からかかる凄まじい圧力を感じた。

エンジンの振動ではない。何かが突き上げてくる尋常ではない力だ。

「おい、全員捕まれ! 救難信号を送る用意をしろ!」


「……お母さん」


漁師が呟いた。


ゴォォォォォォォォ……ギィィィィィィィィ


カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ


……音が止んだ。船を底から突き上げる力も無くなっていた。

ベルリッツ氏は甲板に飛び出した。海面に目をやる。漁師がそれに続いて海面を覗き込む。


船の倍以上はある魚影。40mのサメの姿が見える。


「お母さんだ! お母さんが本当に来てくれたんだ!」


お母さんは凄まじい尾の一振りでテイオウイカの墨を散らした。魔王の全貌が明らかになる。だが、魔王は呆然と立ち尽くしているようだった。彼らが未だかつて見たことのない、あまりにも巨大な生物。おそらく高度なネットワークを誇るテイオウイカの群れを持ってしても、この生物の情報は共有されて来なかったに違いない。


……


海面はもはや波打つ音以外何も聞こえてこなかった。

テイオウイカは鳴ることも、数えることもやめていた。

お母さんは船の周りをぐるぐると回る。

テイオウイカは時折近寄ろうとするが、お母さんに睨まれ後退する。

3分ほど無言の睨み合いが続く。


……ゴォォ


と唸るとテイオウイカは闇の中へ姿を消した。

「船を出せ! いいから早く!」


「お母さんが俺たちを守ってくれたんだ」

「ありがとう! お母さん、ありがとう!」


お母さんは離れ行く船を水中から見守っている。

漁師や助手たちは感謝の言葉を叫びながらお母さんに手を振った。

ベルリッツ氏もぎこちなく続いた。


海は、何も知らない顔で揺れていた。


備考:「お母さんの話はまだ続きがありましてね。」

仙石氏が湯呑をゆっくりと置いた。

「そもそもギガロドンは船を仲間だと誤認する性質があるそうです。だから沈みかけている船を見たら下から押し返してやったりすることもある。……それでね、お母さん、ある日また沈みかけた船を救ってやったんですよ。下から押し返してやって。」

仙石氏が茶の匂いの乗った深いため息をついた。

「タンカー事故ですよ。基準値以上の石油を満載したタンカーが荒天に煽られて傾いたんです。もう少しで船は横転するところでした。でも、そこにお母さんが現れたんです。傾いた船を下から押し上げて、ずっと支えてやっていたんです。

そうしているうちに緩んだタンクからは石油が漏れ出して海に流れ込む。それでもお母さんは押し上げるのをやめなかったそうです。

やがて天気が落ち着いて、波も緩やかになると、船はお母さんの力を受けてゆるやかに元の体制を取り戻しました。船員は誰一人、命を失ったものはいなかったそうです。

でも……お母さんはほどなくして死んでしまいました。流れ込んだ石油がエラに詰まり、呼吸を奪われたと言われています。

お母さんの遺体はベルリッツ先生に引き取られました。彼は解剖によって得られた結果から、このサメの生態を解き明かしたのです。

……ギガロドンと彼は名付けました。

メガロドンより大きく、深い愛をもつ、より大きな存在として。

ベルリッツ先生はお母さんの遺骸を焼いて灰にした後、漁師達と一緒にお母さんがいつもいた南太平洋に撒いてやったそうです。

そして漁師たちは先生から灰を少し分けてもらって、港に墓を作ってやりました。


我々をいつも守ってくれた、海のお母さん。

ここに眠る。


そう刻んで、長い船旅に出る前は皆でそこにいくそうです。」


仙石氏は少し鼻を啜りながら、どこか誇らしげに笑った。

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