30 共感

 マナの言葉が静謐に告げられ、霧の中に時間が止まったかのような静寂が流れる。


「リア」


 ツヅリの低い声に名前を呼ばれて、荒れる呼吸に揺れるリアの肩がピタリと止まる。リアはその場で声のする方向──ガントレットへと視線を向け、恨めしく睨みつける。


「これまでの戦いの中、ずっと見てきた。リアが何に笑い、そして……何に


「チッ……マジメに戦ってなかったのは、そのための時間稼ぎってわけかよ」


 舌打ちをしたリアは不満げに顔をしかめ、槌矛メイスの柄を握り直す。


 ツヅリはリアの言葉には反応せず、この戦いの中で生まれた疑問をぶつけようとする。

 もし、その言葉がリアに響かなければ、怒りで力を振り絞ったリアにツヅリごと圧し潰されてしまうだろう。


 燃えるようなリアの眼光に、ツヅリは息を呑む。

 声を発そうとするたび、ありもしない喉の乾きが言葉を詰まらせる。


 ──だが、今を逃せば待ち受けているのは永遠の死だけだ。



「……リア、キミは……どうして?」



「──は?」



 絞り出されたツヅリの震える声に、リアの表情が消えた。

 リアは調子の外れた声を出したきり、言葉が続かない。その様子はまるで、問われた意味が理解できず、思考が空回りしているかのようだった。


 固まるリアを余所に、ツヅリは問いかけ続ける。


「初めは、マナが鎖のせいでガントレットをろくに振れないからって、鎖の原因の僕に関心を向けたのかと思った。でも……鎖がなくなった後も、キミは僕に関心を向け続けていた。マナが戦えるようになったのなら、人間ぼくに目を向ける必要なんてないはずなのに」


「……アタシが、テメェを気に掛けていると……? ハッ……思い上がりもいいとこ──」


「いいや、さっきキミが言ったんだ。『テメェを潰すくらい』って。それに、最初にマナが反撃の素振りを見せて鎖が出なかった時、キミが笑ったのはマナに向けてじゃない、トラウマを克服したように見えただった」


「ッ……」


 リアは言葉を失い、槌矛の先を地面につける。

 図星を突かれたわけではない。むしろ、もっと深く。リア自身すらも自覚していなかった心の奥底を掘り起こされたような、燃え盛る炎の下で眠る何かに触れられたような、そんな感覚を覚えていた。


 リアからの反論がないことが、ツヅリの確信を深めていく。


「考えてたんだ。どうしてリアは、マナが反撃する度に笑うのか。そもそも、マナが鎖でガントレットを振るえない状況に苛立っていたのは何故なぜか。だって、マナが戦えるようになるってことは、リアにとっては負ける可能性を生むんだから」


「……言ったろ、『正しさの上に立つ正しさにこそ、価値がある』って」


「そこもだ。どんなに言葉で飾ろうと、勝敗に正しさなんて要素は介在しえない。勝敗は強さでしか決まらない。なのにキミは、力と正しさを結びつけようとしている。負けた時、相手の正しさが証明されることまで、最初から戦いの意味に含めている」


 ツヅリは語調を強め、真正面からリアに語りかける。



「……だから、僕にはこう見えたんだ。リアは勝って自分の正しさを証明しようとするのと同時に、負けて自分の間違いが証明されることを、どこかで望んでいるんじゃないのか、って」



 ツヅリの言葉の後、霧の中の空気が止まる。

 声の余韻が消える頃、リアは呆れたように息を吐いて言う。


「……ハンッ、随分と偉そうに語ってくれるじゃねえか。テメェのそれは全部、妄想を根拠にしてるに過ぎねえ。戦いごっこの次は、妄想語りでマナの回復まで時間稼ぎか?」


「……そう、全部僕の推測だ、証拠なんてない。それでも、僕がこう考えたのは、昨日のリアの表情に僕と同じ傷を抱えているように感じたからだ」


「はぁ……?」


「『力こそが人間の本質だと証明したい』、キミがそういった時、僕は……共感。そう、共感している自分がいることに気が付いたんだ。……共感は生まれるものだ。だから僕は思ったんだ、リアが僕に執着する理由は《そこ》にあるんじゃないかって」


 誰もが呼吸を忘れたかのような静寂。

 マナも、リアすらも口を挟めず、ツヅリの次の言葉を待つしかない。


 沈黙を破ったツヅリの声には、痛みを知る者だけが滲ませる、静かな悲しみが乗せられていた。




「ねえ、リア……キミも、暴力ちからの理不尽に苦しめられたことがあるんじゃないの?」




 その言葉に、リアの瞳が大きく開かれる。小さな風が吹き抜け、槌矛を持っていた腕はダラリと落とされる。


 ツヅリは茫然と立つリアから目を逸らそうとするが、身体がガントレットと化している現状において、それは叶わない。

 四方を認識できる今のツヅリにとって、黒い霧の中で独り立ち尽くすリアの姿は、戦いの中での苛烈さが嘘のように思えるほど弱々しく見えた。


 ツヅリの想像は、既に確信に変わっていた。

 暴力ちからを肯定するリアと、拒絶するツヅリ。対極に在りながら、リアがツヅリに執着し、ツヅリがリアに共感した理由。ツヅリの中で全てが一つの結論に帰結する。



 ──リアが正しさの名のもとに暴力を振るうのは、かつて暴力に苦しんだ反動なのだ。



 それがどのような経験であったのか、ツヅリには知る由もない。

 しかし、リアがこれほどまでに暴力に拘泥している以上、その経験が過酷であったということは想像に難くない。


 リアは虚を突かれた表情のまま、槌矛を引きずってゆっくりと一歩ずつ動き始めた。

 徐々にその足は加速していき、膝をついたままのマナへと駆けていく。


 そこに、これまでの勢いはない。まさに破れかぶれの足掻きだ。


「ッッッッ……!!!!」


 声を出すことも叶わず、掠れた息だけがリアの喉から飛び出す。

 マナへと到達したリアは、槌矛をマナの身体に目掛けて振った。


 だが、リアの攻撃と同時にマナは石畳を強く踏み切る。

 マナの身体が宙に舞い、槌矛は虚しく空を切る。


 リアは勢いあまって態勢を崩し、大きく身体を回転させて背中から倒れ込んだ。


「ッ……ハッ……ハッ……」


 リアは地に伏せたまま、途絶え途絶えの呼吸を漏らして動かない。

 いいや、動けないのだ。余った体力は今の一振りで使い果たし、もう残っていない。


 仰向けのリアが大きく息を吸うと、舞い上がった砂埃すなぼこりが口内に入り込む。だが、今のリアにはそんなことを気に掛ける余裕も残されていない。

 リアは固く歯を食いしばって呼吸を砂ごと噛み潰し、絞り出した声でツヅリとマナに向かって叫ぶ。


「知ったような……知ったような口を効くんじゃねえッッ!!!! 『共感した』だと!! アタシの何が分かるってんだよ!!!!」


 リアの怒声がビリビリと空気を揺らす。


「妄想はもううんざりだ!!!! 何も合っちゃいねえ!!!! 勝手に同情して、勝手に憐れみやがって!!!! アタシは……アタシはッッッッ!!!!」


 マナは、尚も声を張り上げ、虚空に向けて腕を突き伸ばすリアから視線を逸らす。

 リアの怒りが虚勢だと分かってしまうからだ。


 さっきまでマナ自身が虚勢を張り続けたからではない。

 否応なしに、わかってしまうのだ。


 マナにを指摘することはできない。

 その役割は、もう渡してしまったのだから。


 ツヅリが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 


「──だったら、どうしてそんなツラそうな顔をしてるの?」



 叫ぶリアは唇を震わせ、眉を寄せて大きく顔を歪めていた。

 その瞳はうるみ、今にも涙が零れ出しそうだ。


 猛る言葉とは裏腹に、その表情こそがリアの心の内を如実に映し出していた。


「……ぁ……?」 


 一筋の涙が頬を伝い、冷たく乾いた石畳を濡らす。

 当人のリアにすら、どうして涙が零れたのかは分からない。


 視線を逸らすことの出来ないツヅリにできるのは、リアに正面から向き合うことだけだ。


「……ねえ、リア。キミは、力が証明する正しさが理不尽なこともある、ってわかってるんだよね。んでしょう? 自分自身が理不尽な暴力になって、勝てば人間の世界は理不尽なんだと受け入れるしかない、負ければ理不尽が絶対の正しさじゃないと証明される。……だからキミは、負けたって構わないと笑っていたんだ」


「っ……」


 リアの全身の強張りが解け、腕が放り出される。


 リアからは威圧感の欠片も感じられない。すっかり消沈し、虚ろな瞳で黒い霧に隠された空を仰いでいる。


「……マナ」


「……ん」


 呼び掛けられたマナはガントレットとリアの間で視線を往復させ、小さく頷いた。

 それと同時にガントレットが光の粒に変わり、マナの傍らにツヅリの身体が再構築されていく。


 もはや、リアに脅威はない。

 二人の目の前で倒れているのは、心に抱えた矛盾を突き崩され、全てを消耗しきった小さな少女だった。

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