第9話「干渉」

 “それ”は、そこにあるだけだった。


 だが。


 確実に、こちらを認識している。


 静かに、脈打つ。


 そのたびに、空間がわずかに揺れる。


(見られている)


 視線なんてない。

 目もない。


 それでも分かる。


 これは、“観ている”。


「……近づくなって言ったでしょ」


 ミナが、小さく言う。


 その声には、さっきよりもはっきりとした緊張があった。


「分かってる」


 短く返す。


 だが、視線は逸らさない。


(ここで止まっても、意味はない)


 ここまで来た。


 初めて、“触れられる場所”まで来た。


 なら――


「……やる」


 一歩、前に出る。


 ミナが息を呑む。


「クロノ――」


 制止の声。


 だが、止まらない。


 手を、伸ばす。


 あの“起点”へ。


 触れた、瞬間。


 世界が、反転した。


 音が消える。


 視界が裂ける。


 意識が、引き剥がされる。


 ――違う。


 引き込まれている。


 景色が変わる。


 崩壊の瞬間。


 何度も見た終わり。


 街が裂ける。

 人が消える。


 そして。


 そのすべての“直前”。


 何かが、“ここ”から広がっている。


(やっぱり、ここが……)


 確信に変わる。


 だが。


 それだけじゃない。


 さらに奥。


 もっと深い部分。


 そこに、別の“層”がある。


「……っ」


 理解が追いつかない。


 だが、見える。


 これは一つじゃない。


 “段階”がある。


 外側。

 内側。


 そして――


 さらに奥。


(多層構造……)


 その瞬間。


「クロノ!!」


 強く、引かれる。


 意識が戻る。


 ミナだった。


 必死に腕を掴んでいる。


「だめって言ったでしょ!」


 怒っている。


 いや――焦っている。


「……見えた」


 息を整えながら、呟く。


「これ、ひとつじゃない」


「え?」


「層になってる」


 視線を、“それ”に戻す。


 さっきと変わらず、静かにそこにある。


 だが今は、分かる。


 これは“入口”に過ぎない。


 もっと奥に、本体がある。


「……じゃあ、これ壊しても意味ないの?」


 ミナの言葉。


「いや」


 首を振る。


「無意味じゃない」


 ここは、確かに起点だ。


 外側の始まり。


 だが。


「これだけじゃ、終わらない」


 はっきりと言う。


 ミナは少し考えてから、


「じゃあ、どうするの?」


 と、聞いた。


 その問いに。


 一瞬だけ、言葉が詰まる。


 今までなら。


 “無理だ”で終わっていた。


 でも。


 今は違う。


 見えた。


 構造の一部を。


 そして――


「……試す」


 そう答えていた。


 ミナが、じっとこちらを見る。


「なにを?」


 “それ”へと視線を向ける。


 脈打つ、起点。


「干渉できるかどうか」


 ただ触れるだけじゃない。


 “変える”。


 その可能性を。


「さっき、お前は押し返した」


 ミナの能力。


 止めるんじゃない。


 書き換える。


「だったら――」


 自分にもできるかもしれない。


 完全じゃなくていい。


 ほんの少しでもいい。


 影響を与えられれば。


 変化は起きる。


「……やるの?」


「やる」


 即答だった。


 迷いはない。


 さっきまでとは違う。


 ただの観測じゃない。


 ただの再現でもない。


 初めて――


 “変えにいく”。


 手を、もう一度伸ばす。


 今度は。


 触れるためじゃない。


 “干渉する”ために。


 空間が、ざわめく。


 “それ”が、反応する。


 拒絶か。

 受容か。


 分からない。


 だが――


 ここが、分岐点だ。


 世界を繰り返すだけの存在から。


 世界を変えようとする存在へ。


 クロノは、初めてその一歩を踏み出した。

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