第2話:「断ったら、また、これだからね💞」

 次の授業の日。

 何事もなかったかのように、マシロはテキストを開いて待っていた。


 尻尾がゆらゆら揺れている。マシロは明らかに上機嫌だった。鼻歌を歌いながらノートに書き込み、正解するたびに「せんせー、合ってる?」とこちらを見上げてくる。目がきらきらしている。


 不正解の時は、ぺたんと耳が倒れて、唇がへの字になる。赤ペンで×をつけると「えー……」と小さく声を漏らして、尻尾の先っぽだけがしょんと垂れる。

 だが、解き直して正解すると、一瞬で耳が立って尻尾がぶわっと膨らむ。感情が体の隅々まで行き渡っている。隠す気がないのか、隠せないのか。たぶん後者だろう。


「せんせー、わたし、頭よくなった?」

「……まあ、最初よりはだいぶ」

「えへへっ。せんせーのおかげだよ」


 そう言って、俺の腕にぴとっと頭を預けてくる。一秒だけ。すぐに離れて、何事もなかったようにテキストに視線を戻す。だが、耳の先が赤い。


 ——こんな可愛らしい甘えも、前の出来事がなければ、微笑ほほえましいだけで済んだのに。


 俺の方は——正直、まともに指導するどころではなかった。

 あの日のことが頭から離れない。一時間にわたるキス。唇の感触。舌の感触。身体に力が入らなかったこと。最後に見た、マシロの恍惚こうこつとした顔。

 

 ——次は、これくらいじゃ、済まさない。


 あの言葉が、ずっと耳にこびりついている。


「せんせー」

「……ん」

「聞いてる?」

「聞いてるよ。この問題は——」

「違う。問題の話じゃないの」


 マシロがテキストを閉じた。ぱたん、と。

 尻尾の揺れが止まった。耳がぴんと立っている。何かを決心した目。


「デート、しよ💞」

「……は?」

「デート。せんせーと、二人で、おでかけしたい」


 来た。予想はしていた。あれだけのことがあった以上、マシロが現状維持で満足するはずがない。距離を詰めてくる。確実に。


「マシロ、俺たちは先生と生徒で——」

「それ、前も聞いた」


 声のトーンが、一段下がった。

 マシロが椅子から立ち上がった。小さな足が、ずんずんとこちらに向かってくる。


「せんせーって、すぐそれ言うよね。先生と生徒。先生と生徒。次、それ言ったら、これ・・だからね?💞」


 唇に指で触れる仕草。それに気づかず、俺は言葉を返してしまっていた。


「事実だろ——」

「じゃあ、先生と生徒は、あんなキスしないよね?」


 言い返せなかった。

 あの日、一時間もキスを受け入れてしまった時点で、「先生と生徒」の建前は崩壊している。俺にその自覚がないだけだ。いや——自覚はある。認めたくないだけだ。

 マシロの目から、ハイライトが薄れていく。


「せんせー、デートしよ?」

「マシロ——」

「しよ?💞」

「ダメだ……俺たちは先せ……」


 言いかけたところで、いきなり唇を塞がれた。

 

 また。舌が入ってくる。あの日と同じ。口の中を蹂躙するように、舌が這い回る。歯列をなぞり、舌を絡め取り、吸い上げる。


 頭がしびれる。抵抗しなければ。しなければいけないのに、身体が言うことを聞かない。あの日と同じだ。マシロのキスには、理性を溶かす何かがあるとでもいうのか。


 唇が離れた。一瞬だけ。

 俺は最後の抵抗を試みた。


「俺たちは——そういう関係じゃ、ないんだから——」


 マシロの目が、すっと細くなる。

 どうやら、地雷を踏んでしまったらしいことに、俺は気付くこともできなかった。

 それほどまでに、思考が溶かされていた。


「……ふぅん。そっか」


 笑った。口元だけで。目は笑っていない。


「じゃあ、こんなことされたら、どうなるんだろうね?」


 マシロの手が、俺のベルトにかかった。


「ま、待——」


 待ってくれなかった。

 ベルトが外される。手際が異常に速い。あの日のキスで学んだのか、俺の抵抗パターンを完全に読んでいる。力が入らなくなるタイミングを知っている。

 ズボンが膝まで下ろされた。下着に指がかかる。


「マシロ、これは……流石に……ダメだって……」

「わたしたちは、先生と生徒、なんだよね?」


 マシロが見上げてきた。膝をついて、俺を見上げている。ハイライトのない目。甘い声。


「本当にそう思ってるなら——耐えられるよね、せんせー?💞」


 下着が下ろされた。

 マシロの口が、俺を包んだ。


 ——耐えられるわけがなかった。


 マシロの舌は、キスの時と同じだった。器用で、執拗で、逃げ場がない。先端ですくい上げるように、根元までなぶるように。唇と舌の使い方が、一時間のキスで俺の全てを学んだかのように——的確だった。


 どこに触れれば力が抜けるか。どの速度で動けば思考が飛ぶか。全部、わかっている。わかった上で、一番効く場所を、一番効くやり方で、いじめ抜いてくる。


「っ——」


 声が漏れた。背中が椅子に押し付けられる。指が肘掛けを掴んで白くなる。

 耐えようとした。先生なのだから。大人なのだから。こんなことで屈してはいけない。


 だが——マシロが見上げてきた。口に含んだまま、上目遣いで。


 ——この顔で、これをされたら、耐えられる人間がいるのか。


 全部、出してしまった。マシロの口の中に。抵抗する間もなく、あっけなく。


 マシロは一滴も零さなかった。喉が動く。飲み込んだ。ぺろり、と唇を舐めた。


「せんせー、よわいね💞」


 にこっと笑う。無邪気な笑顔。さっきまで何をしていたか忘れたかのような、あっけらかんとした表情。

 俺は椅子にもたれかかったまま動けなかった。キス責めとあわせて、もう反論する気力が残っていない。

 思考が蒸発している。


「それじゃ、今度、デートしようね、せんせー💞」


 マシロが、にこにこ笑いながら顔を覗き込んでくる。


「断ったら——また、これ・・だからね💞」


 小さな手で、輪っかのマークを作って見せた。唇の端に、まだ白く光るものが残っている。


 ——うなずいてしまった。


 もう、逆らえる気がしなかった。

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