この話を読んで、僕が東京で桶屋をするならどこに開くだろう……。と考えた。おそらく赤坂あたりだ。作品の冒頭に出てくるように三種類の――大きさが違うだけの桶を並べて。
きっと、このご時世だから店舗を持たず、オンラインストアで受注生産してもいいのだろうが――。
それでもやっぱり効率重視の資本主義に歯向かうために、現代アートじみた店舗経営、もしくは白い器に麺と琥珀色のスープだけ浮かべた“らあ麺や”のような温度感で、誰かがいなくなった後の余生を過ごしてみたくなった。
嫌いな親から遺産を受け取った主人公は、貰ったお金を素直に使わず、儲からない桶屋を開く選択をする。
別に確かめなくてもいい機能性を確かめるだけのシシオドシを店の中央に置いて。
きっと設備費とテナント料だけでお金はどんどん飛んでいくに違いない。
遺産を残した親は、自分の子どもに幸せになってほしかったのだ。
だけれど主人公は、価値を削ぎ落とすかのように、金を湯水のごとく使う。
本来、月並みであれば知り合いの女の子に焼肉を奢ってあげたり、ソープに行くという選択もあったはずなのに、彼はそうしなかった。他人に奢るのが何故か勿体なくなる気持ちがあったのだろう。僕にも理解できる気がする。そうすると、親と子の関係を外に流してしまう事になるから。
これは、彼個人の問題でありながら、どこか普遍的にも思える。そして、自分の感性で使った金の重みと充実感を、僕は知っている。
親の愛を処理しきれずに残存してしまったり、好きじゃないけれど親子という因果があるから切り離したくてもどこか繋がってしまったり。
それでも、やっぱり社会と愛に対して静かな拒否を突きつけてしまうのが、彼の生き方なんだなと。
そういうことをつらつら考えられる作品で良かったです。