第16話 5kgの理想(デッドウェイト)

「……直也、よせ。……俺を、……パージしろ……」


 マサの声は、過負荷で焼き切れる寸前のトランスのように震えていた。


 銀色の変異が肩口まで這い上がり、マサの意識を「システム」の側へ引きずり込もうとしている。


 俺の手には、重いボルトクリッパー。


 その冷たい鉄の感触が、マサが女を切り捨てたあの光景を呼び覚ました。


 あの時、マサは迷わなかった。鋼板に挟まれたトミーの腕を救うために、あの女を、暗い水底へと「パージ」した。


 その結果。今、俺の隣でトミーは五体満足に動いている。


 (マサの言った通りだ。……あの時一人捨てたから、今、俺たちはここにいる。……それが現場の、正解なんだろ?)


 吐き気がするほどの合理性が、俺の脳を蝕む。


 マサをここで捨てれば――という考えが頭をよぎる。俺がマサの望み通りに切り捨てられないのは、ただの感傷か? それとも、自分の「正しさ」を守りたいだけの、現場を無視したエゴなのか?


「……直也、やめろ」


 トミーが俺の肩を掴む。その手は、女の命と引き換えに守られた、無傷の右腕だった。


「マサさんの言う通りだ。……ここでマサさんを楽にしてやるのが、……一番の……」


「ふざけるな」


 俺はトミーの手を振り払った。


 すると、あの女の消えた水面がフラッシュバックする。


 マサの「正解」を認めちまったら、俺たちはもう、ただの部品だ。壊れたら捨てられ、代わりを差し込まれるだけの、血の通わない回路の一部だ。


「俺は、あんたのやり方を認めない」


 俺はボルトクリッパーを振り上げ、マサの右肩——銀色と赤色の境界線に、その鈍い刃を宛がった。


「マサさん。あんたを『パージ』させたりしない。……あんたが捨てろっていうもんを、俺は全部拾って完工させてやる。……右腕が不良箇所なら、その腕だけ切り離して、あんた自身は俺が絶対に『納品』してやるよ!!」


「……ッ、やめろ……!!」


 マサの叫びと同時に、俺は全身の力を込めて柄を絞り込んだ。


 グシャリ。


 生々しい音とマサの死者をも蘇らせるような絶叫と共に、マサの右腕が床に転がった。


 マサの合理を、マサの体の一部を切り捨てた。俺は真っ向から否定したかった。誰かを切り捨てるなんて合理を。


「トミー! その腕を使え! マサさんが守ったその右腕で、マサさんを支えろ! ……黒服、あんたもだ。二人でマサさんを担げ!!」


 俺は血塗られたクリッパーを放り捨て、黒服が担いでいた20kgの電線束を奪い取った。


「……15kg捨てる。これ以上、仲間パーツに負荷はかけさせない」


 ドチャッ。


 俺は15kgのVVFを汚水の中に蹴り落とし、残った5kgを自分の腰道具に、力任せに結束した。


 100kgの「片腕のリーダー」を担ぐ二人。


 そして、5kgの「やり直しの効かない予備」を腰に、一人で戦う決意をした俺。


「行くぞ。……マサさんの『正解』が間違ってたってこと、病院の制御盤の前で証明してやる」


 俺は鋼板の盾を構え、一人で暗闇の奥へと踏み出した。


 腰に食い込む5kgの重みが、俺が背負った「不純物だらけの世界」の理想の重さだった。

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