第3話「目覚め」
揺らぎは、止まらない。
空気が、わずかに軋む。
目の前の青年の輪郭が、ほんの僅かに歪んで見えた。
だが、それでも。
その視線だけは、はっきりとショコラを捉えている。
逃がさない、と言わんばかりに。
「……落ち着いて聞いてほしい」
先ほどまでの軽さはない。
静かで、重い声音。
「君が手にした“覚醒”という力はね」
一拍。
「ただの能力じゃない」
言葉が、ゆっくりと落ちる。
「この世界の“流れ”そのものに関わる力だ」
ショコラの喉が、わずかに鳴る。
理解はできていない。
だが――
“聞かなければならない”と、本能が告げていた。
「覚醒は――」
青年の目が、わずかに細まる。
「この世に、一つしか存在しない」
その言葉が、深く刺さる。
「そして今、それを持っているのは――」
一瞬の静寂。
「君だけだ」
ショコラの指先に、わずかに力が入る。
「つまり――」
青年の声が、ほんの少しだけ低くなる。
「君が生きている限り」
「その力は、誰にも渡らない」
優しい声音に戻る。
だが、その内容は重い。
「不思議だよね」
ふっと笑う。
「似たような力はいくらでもあるのに」
「これは、“一つしか存在しない”」
ショコラの脳裏に、あの夜が蘇る。
暴走。
制御不能の力。
自分のものとは思えなかった“何か”。
視線を落とす。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……この力は」
喉が、わずかに渇く。
「一体、なんなんですか」
まっすぐな問い。
青年は、その目を静かに見つめ返した。
一切、逸らさずに。
そして――
「もったいぶる気はないよ」
柔らかく、微笑む。
「全部、話そうか」
その言葉は、どこか優しく。
それでいて――
逃げ場を与えない、導きだった。
青年は、ゆるく指を組みながら言葉を続けた。
「まずは――君の特性式。“覚醒”について話そうか」
静かな声。
だが、その一言だけで空気がわずかに引き締まる。
「この能力はね、使い方自体はすごくシンプルなんだ」
指先を軽く立てる。
「身体、知識、そして属性式――それらすべてを“覚醒させる”」
ショコラは黙って聞いている。
言葉を挟まない。
「……って言っても、ピンとこないよね」
青年は小さく笑った。
「簡単に言えば、“パワーアップ”だよ」
あまりにも軽い言い方。
だが、その奥にあるものは軽くない。
「身体の覚醒は、筋力や速度の底上げ。足が速くなったり、力が強くなったりする」
「知識の覚醒は、思考の加速。反応速度や判断力が跳ね上がる」
一つ一つ、丁寧に言葉を置いていく。
「そして――属性式の覚醒は……」
そこで一度、言葉を切る。
わずかに口角を上げる。
「……もう、体験してるよね?」
ショコラの脳裏に、あの夜が蘇る。
黒と金の閃光。
制御不能の力。
自分の意思を置き去りにした“暴走”。
「あれ……は……」
喉が詰まる。
「暴走……」
青年は、即座に頷いた。
「そっ」
軽い肯定。
「能力自体は、シンプルに見える」
だが――
その目が、ほんのわずかに鋭くなる。
「覚醒の“本当の恐ろしさ”は、そこじゃない」
ショコラの視線が、自然と引き寄せられる。
「……え」
「この能力はね」
一拍。
「“限界値”を持たない」
静かに、断言する。
その言葉が、空気に重く沈む。
「普通の力には、上限がある。鍛えれば強くなるけど、いずれ頭打ちになる」
「でも、覚醒は違う」
指先で、テーブルを軽く叩く。
「100%――そんな概念すら存在しない」
「磨けば磨くほど、どこまでも強くなる」
ショコラの呼吸が、わずかに乱れる。
「……そんなの、ありなのかよ」
思わず漏れた本音。
青年は肩をすくめる。
「ありなんだよ」
さらりと返す。
「だからこそ――この力は、“一人にしか許されない”」
その言葉に、ショコラの背筋がわずかに冷える。
「覚醒は、この世に一人だけ」
「そして――」
青年は、ゆっくりと視線を巡らせる。
空席の椅子へ。
「今までに、この力を目覚めさせた者は」
「君を含めて――六人」
その瞬間。
ショコラの中で、何かが繋がる。
視線が、テーブルへ落ちる。
椅子の数。
自分。
目の前の青年。
――そして、残りの空席。
「……ああ」
小さく、息を吐く。
「気づいたみたいだね」
青年が柔らかく笑う。
「ここは、覚醒の保持者が集まる場所」
「操想卓」
その言葉が、改めて重みを持つ。
「他の四人はね」
青年は軽く肩をすくめる。
「ちょっと恥ずかしがり屋でさ。今回は顔を出してない」
冗談めかした口調。
だが、その裏にある“事実”は重い。
「でも安心していい」
穏やかな声音。
「みんな、優しい人たちだから」
一拍。
そして――
「――君の“先祖”だからね」
その言葉が落ちた瞬間。
ショコラの思考が、止まる。
「……え」
理解が、追いつかない。
青年は、楽しそうに笑った。
「あはは、そりゃ驚くよね」
軽く手を振る。
「この“覚醒”は、僕が最初に目覚めさせた力なんだ」
「そしてこの力は、血と共に受け継がれていく」
その目に、ほんのわずかな懐かしさが宿る。
「子へ、孫へ――」
「そして、君へ」
静かな断定。
「君は、六人目の覚醒者だ」
言葉が、胸に沈む。
逃げ場のない現実として。
そして――
青年の表情が、わずかに変わる。
柔らかさの奥に、別の色が混じる。
「……ここからが、本題だ」
空気が、重くなる。
「この力を持った時点で」
「君は、戦いから逃れられない」
断言だった。
「ここにいる者たちは、皆そうだった」
「戦いの中で生きて」
「戦いの中で強くなり」
「そして――戦いの中で死んだ」
その言葉には、飾りがない。
事実だけが、そこにある。
「世界が闇に染まりかけた時」
「必ず、新たな覚醒者が現れる」
ゆっくりと、ショコラを見据える。
「つまり――」
「君は、それを止める側だ」
静寂。
「世界が崩れるのを、防がなければならない」
「それが、“覚醒”を持つ者の使命であり――宿命」
ショコラは、息を呑む。
逃げられない言葉だった。
だが――
「でもね」
青年の声が、少しだけ柔らかくなる。
「一人じゃ無理だよ」
ふっと笑う。
「必ず、限界は来る」
「その時は――仲間を頼りな」
その言葉だけが、ほんの少し温かかった。
――その瞬間。
「――――」
音が、鳴る。
重く、深い音。
ショコラの視線が、自然と上がる。
初代の背後。
巨大な時計。
その振り子が、大きく揺れている。
「……おっと」
青年が軽く振り返る。
「もう、こんな時間か」
どこか残念そうに、肩をすくめる。
「じゃあ、とりあえず今日はここまで」
「え……待って」
思わず声が出る。
「まだ、聞きたいことが――」
だが、言葉は最後まで届かない。
空気が、揺らぎ始める。
「じゃあ最後に、一つだけ」
青年が振り返る。
「君の属性式」
「ただの雷じゃない」
その目が、ほんのわずかに鋭くなる。
「名を――神雷(じんらい)」
「神式の力だ」
その響きが、身体の奥に残る。
「元はね、トールという神が使っていた力だよ。」
「僕も詳しくは知らないけど」
軽く笑う。
「もし知りたくなったら――」
「“ミョルニル”を探すといい」
「その神に、ただ一人付き従っていた存在だ」
視界が、歪む。
空間が、ほどけていく。
「じゃあ――またね」
声が、遠ざかる。
ショコラは、必死に意識を繋ぎ止める。
「待て……!」
声を絞り出す。
「あなたは――?」
その問いに。
青年は、静かに微笑んだ。
「君のご先祖」
一拍。
「今は、それだけでいい」
その目は、優しく。
どこか遠くを見ていた。
「ショコラ」
名前を呼ぶ。
まっすぐに。
「――負けるなよ」
その言葉を最後に。
世界が、暗転した。
次に目を開けた瞬間――
見慣れた天井が、視界いっぱいに広がった。
鼻をかすめるのは、木と畳の落ち着いた匂い。
背中に伝わるのは、慣れ親しんだ布団の柔らかな感触。
現実だと理解するまでに、わずかな時間がかかる。
「にいちゃん!!!!」
耳を突き刺すような声が、部屋に響いた。
反射的に視線を向ける。
そこにいたのは――レイだった。
目は真っ赤に腫れ、溜め込んでいたものを堰き止められなくなったかのように、大粒の涙が次々とこぼれ落ちている。
「いつまで……寝てんだよぉぉ……」
震えた声。
怒りではない。
押し殺していた不安と、ようやく戻ってきた安堵が、ぐしゃぐしゃに混ざった声だった。
ショコラは、ゆっくりと上体を起こす。
身体は重い。
だが、確かに“戻ってきた”という実感があった。
「……レイ」
かすれた声が、喉から漏れる。
「ごめん……めちゃくちゃ寝てた……」
その一言で、レイの表情が崩れた。
「……ばかやろう……」
言葉にならない声を漏らしながら、ぐいっと袖で涙を拭う。
だが、拭っても拭っても、涙は止まらない。
その様子を、少し離れた場所から見ていた影があった。
ゆっくりと、足音を立てて近づいてくる。
「……目覚めたようじゃな」
福禄寿だった。
穏やかな声。
だが、その声音には、確かな安堵が滲んでいた。
「よく戻ってきたわい……」
その一言と共に、ふっと肩の力が抜ける。
普段は飄々としているその姿からは想像できないほど、張り詰めていたものがあったのだと、ショコラは初めて気づいた。
「じいちゃん……」
ショコラはゆっくりと息を整える。
「俺……何日寝てた?」
福禄寿は、静かに指を折るような仕草を見せてから答えた。
「丸二日、といったところじゃな」
二日。
その言葉に、ショコラの中で時間の感覚がようやく繋がる。
「……そっか」
小さく呟く。
すると福禄寿は、わずかに顎を引いた。
「礼を言う相手が違うのう」
視線が、横へ流れる。
「お前さんの身の回りの世話は、すべてレイがやっておった」
その言葉に、ショコラの視線がゆっくりとレイへ向く。「……レイ」
言葉が詰まる。レイはそっぽを向いたまま、小さく鼻を鳴らした。
「別に……当たり前だろ」
だが、その耳はほんのり赤くなっていた。
ほんの一瞬の静寂。
その空気を、福禄寿が静かに切り替える。
「……さて」
わずかに目を細める。
「ショコラよ」
その声色が、少しだけ変わる。
「能力開花して、何を感じた」一拍。
「そして――眠りの中で、何に気づいた?」
まるで、すべてを見通しているかのような問いだった。
ショコラは、目を伏せる。
あの空間。操想卓。
あの青年――
語られた事実の数々。
ゆっくりと、口を開いた。
「……変な場所に、いた」
ぽつりと語り出す。
「でかいテーブルがあって……椅子が並んでて」
言葉を探しながら、少しずつ紡いでいく。
「“覚醒者が集まる場所”って言ってた」
レイが、息を呑む。
「覚醒者……?」
ショコラは頷く。
「その人はそこを操想卓(そうそうたく)って呼んでた」
福禄寿の目が、わずかに細まる。
だが、口は挟まない。
「そこで……会った」
ショコラの視線が、どこか遠くを見つめる。
「俺の、ご先祖らしい」
その言葉に、レイの目が大きく見開かれる。
「ご先祖……?」
信じられない、という顔だった。
ショコラは続ける。
「“覚醒”っていう能力は……この世に一つしかないって」言葉が、静かに部屋に落ちる。
「俺が持ってる限り、誰にも渡らない」レイの表情が、徐々に変わっていく。
驚きから、理解へ。
そして――
「……すごいじゃん」
ぽつりと、漏れる。
「僕たちの……ご先祖から受け継いだ力……」
顔を上げる。
「やっぱり、にいちゃんはすごい人なんだよ!」
まっすぐな瞳。
曇りのない言葉だった。
「ね!じいちゃん!」
その声に、福禄寿は小さく息を吐く。
「……属性式と特性式」
低く、呟く。
「二つを同時に持つ存在か」
視線が、ショコラへ向けられる。
「全く……とんでもないものが現れたもんじゃ」
その声には、呆れとほんのわずかな期待が混じっていた。だが、すぐにその表情が引き締まる。
「……だが」
一拍。
重い沈黙。
「お前さんが……世界を救う存在、か」
その言葉は、軽くなかった。
ショコラは、拳を握る。
操想卓で聞いた言葉が、胸の奥で蘇る。
逃げられない。
戦いからも。
宿命からも。
「……じいちゃん」
ゆっくりと顔を上げる。
「俺……」
言葉を選ぶ。
迷いはない。
「外の世界に行こうと思う」
その一言が、空気を変えた。
「……え」
レイの声が、小さく震える。
福禄寿は、静かに目を閉じた。
わずかに、眉間に皺が寄る。
そして――
ゆっくりと目を開いた。
「……とうとう、来てしまったか……ほんとに子の成長とは早いもんじゃ…」
低く、呟くように。
「ショコラよ……」
「お前さんの父から預かっておった“言葉”を」
その視線が、まっすぐショコラを捉える。
「伝える時が来たようじゃな」
部屋の空気が、静かに張り詰めていく。
物語が――確かに、動き出そうとしていた。
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