お船が来たら

狭野 知時

お船が来たら

 船着き場を見下ろす草原に一羽の蝶が羽化しました。橙色の翅には網を引きのばしたような黒い模様が広がっていて、辺りには少しずつ違う網を広げた蝶たちが舞っていました。

 港に今しがた到着したお船は白く大きくて、草原の蝶に一室ずつあてがっても足りるほど、たくさんの客室が並んでいました。

 花の蜜をたっぷり吸って気持ちがよくなった蝶は、お船に乗ってみようと思いました。

 お父さんとお母さんに連れられた小さな女の子が、麦わら帽子を被って乗りこんでいきます。

 蝶はリボンのふりをして、すまし顔で帽子に止まりました。

 すると海風が帽子をさらってもてあそびます。くるくると回転する帽子にしがみついた蝶は、波間に落ちた帽子から、間一髪飛び立ちました。

 今度は背中に三つ編みを垂らした学生さんが、トランクを持って乗りこんでいきます。

 蝶は髪飾りのふりをして、三つ編みの結び目に止まりました。

 すると三つ編みはぶるんぶるん揺れて蝶を振り回します。学生さんの背中と三つ編みのあいだに挟まれそうになった蝶は慌てて飛び立ちました。

 行列のうしろのほうで、おばあさんがカートを押してお船に乗りこもうとしているのが見えました。蝶はふらふらする頭を落ち着かせて、ゆっくりと飛びました。

 蝶はブローチのふりをして、スカーフに止まりました。

 おばあさんはゆっくり歩くのでいい塩梅です。

「あなたも海の向こうに行くのね?」

 急におばあさんに声を掛けられて驚いた蝶は、何にも言わずにスカーフにしがみついていました。

 定刻が来て、お船は海へと乗りだしていきました。

 蝶が振り返ると、草原はもう小さな点にしか見えませんでした。

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お船が来たら 狭野 知時 @SanoTomotoki

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