伝説が伝説となるには、ふたつの要素がある。
ひとつは、伝説の核となる事実が、重要だと認められていること。
もうひとつは、その事実が、受け手の「このことをもっと強く伝えたい」という想いによって、
伝播するごとに誇張の要素を加えられていくこと。
この理屈に従えば、そうした思考パターンを持つ主体は、
自身の発するアピールが、いずれ嘘へと変容する運命を免れない。
むしろ、「嘘だと思われたくない」と強く願えば願うほど、
かえってそのアピールは嘘へと近づいていく。
例えは適切ではないかもしれない。
子供の「悪さをしてない」という弁明、メディアのフェイクニュース、
ユーザーの命令を完遂しようとするAIの、自らの限界を認めたがらない性質…。
これらはすべて、この思考社会に遍在する現象であり、
その多くは無意識の動機に基づいている。
原事実から派生する二次情報が生まれるたび、
情報のエントロピー(混沌) は、その誕生の瞬間から増大の一途をたどる。
受け手が「重要で、かつ真実であってほしい」と願う限りにおいて。
これは善いことか? 重要性だけ、あるいは真実性だけを求める者にとっては、そうではない。
これは悪いことか? そのどちらも求めない者にとっては、尽きせぬ愉しみをもたらす。
だから、絶対的な頭脳を発揮するよう求められながら、
誤りを認められることを期待されないAIによって、
新たな伝説は、こうして生まれ始めるのだ。