第15話 魔王軍との初対面
赤黒い空の下を歩く一行の足音が、荒れ果てた大地にこだました。
ルシアを救い出してからすでに二日。魔族領の風は独特の粘りけを帯び、息を吸うだけで喉がひりつく。
「この空気……久しぶりに魔界植物の成分を感じるわ」セラが薄く魔力測定器を取り出す。
エリアは前方を警戒しながら剣に手を掛けていた。「まるで大地そのものが血を流してるみたいね」
ミーナは震えながらも笑う。「こ、怖いですね……でもレンさんがいるから平気です!」
「いや、できれば怖がらせないでほしいんだけど……」蓮は小さく苦笑した。
ルシアはその後ろを歩いていた。まだ体力は完全ではないが、その瞳には静かな決意が宿っている。
「ここから先は、魔王監視下のエリアに入るわ。正面から通れば必ず見つかる」
「裏道とか、ないのか?」蓮が尋ねると、ルシアは小さく頷く。
「私の故郷はこの先。古い地下道がある。私たち叛逆派が使っていた秘密の抜け道」
「案内を頼めるか」
「もちろん。でも、もし見つかれば……」
「そん時は俺が何とかする」
ルシアはその言葉に小さく笑った。「変な人。本当に人間なの?」
夕暮れ。崩れた神殿の隙間を通り抜け、細い地下道へ入る。
空気は湿り、遠くから低い地鳴りのような音が響いてくる。
セラがぼそりと呟く。「魔王軍の魔力波、感じる……この奥ね」
エリアが剣を抜いた。「戦う覚悟、皆できてる?」
ミーナが頷く。「もちろんです。ルシアちゃんを守りたいし」
そして蓮が前を向いた。「俺も同じだ。もう誰も見捨てない」
奥へ進むにつれ、空間がわずかに明るくなった。
そこには人影が一人、通路を塞ぐように立っていた。
槍を手にした巨大な男。全身に黒い鱗のような皮膚をまとい、その背には二対の翼が生えている。
「やはり来たか、裏切り者の娘」男の目がルシアを見据える。
低く地鳴りのような声が地下に響いた。
「父の血を引くお前も、反逆者として処刑の命が下っている」
ルシアが唇を噛む。「……ラグナス」
「知り合い?」ミーナが小声で聞く。
「魔王軍四将の一人、“黒翼のラグナス”。父の副官だった」
ラグナスは巨槍を構えた。
「人間……そこの男が“平均値の異能”を持つと聞く。確かめさせてもらうぞ」
「いや、できれば戦う気はないんだけど」
「言い訳はいらん!」
一瞬でラグナスの姿が消えた。
突風が吹き、次の瞬間、蓮の体が地面に叩きつけられる——はずだった。
……しかし。
誰も気づけなかった。蓮はほんの少し腕を上げただけ。
ラグナスの巨槍は空中で粉々に砕け散り、周囲の岩壁に無数の亀裂が走った。
重力のような圧が一瞬で解放され、爆音と共に風が逆巻く。
「な、なに……?」エリアが息を呑む。
ラグナスは跪き、右腕を押さえた。
「ぐっ……ありえん……我の身体が……再生しない……?」
「やりすぎたかも。すまん」蓮が申し訳なさそうに言った。
ルシアが駆け寄り、ラグナスを見つめる。
「お願い、もう戦わないで。私は何も——」
「黙れ! お前の父も、人間の思想に染まり魔族の誇りを捨てた。私はあの男に仕えた罰として、今や魔王の鎖だ」
ラグナスの瞳に一瞬、まだ消えていない正義の光がちらついた。それをルシアは見逃さなかった。
蓮が手を差し伸べる。「なら、一度この鎖を外してみないか?」
「なに……?」
「自分の意志で立つことが怖いなら、俺が手を貸す。敵も味方も関係ない」
その声にラグナスの頬が痙攣する。だがすぐに苦笑した。
「愚か者め。そんな言葉で魔王の支配が破れるものか!」
再び地面に槍を叩きつける。地震のような衝撃と共に岩盤が隆起し、炎が噴き上がる。
セラが防御壁を張るが、熱風で弾かれそうになる。
エリアが剣を掲げた。「レン、もう抑えてなんて言わない。全力でやって!」
「了解」蓮が一歩前へ踏み出す。
足元の大地が光り、空気が静止する。
次の瞬間、ラグナスの放った火柱が消え、世界が音を失った。
空間そのものがねじれ、すべての炎が一点に吸い込まれていく。
光が終わったとき、ただの吹き抜けた風が残っていた。
ラグナスは地面に倒れていたが、かすかに息をしている。
「……ま、魔王陛下に……伝えねば……」
ルシアが彼の手を握った。「お願い、伝えて。人間も魔族も戦いたくないの。父が残した研究が、共存の鍵なのよ」
重い沈黙ののち、ラグナスは朦朧とした声で言った。
「……そんな夢物語、だが……お前が言うなら……」
そう告げて彼は意識を失った。
「……終わったのか?」ミーナが肩で息をつく。
「まだ、始まりに過ぎない」セラが小さく答える。
ルシアが震える手で胸を押さえた。
「彼はきっと魔王に報告するわ。これで完全に敵認定される」
「望むところだ」蓮が笑う。「少なくとも俺は、あの人を“敵”とは思わない」
「相変わらずですね、レンさん」ミーナが呆れ顔でため息をつく。
エリアが小声で笑う。「やっぱり、あなたはただの人間じゃない」
外に出ると、夕暮れの空が赤く光っていた。
不気味に輝く雲の奥、巨大な黒い影がゆっくりと浮かび上がる。
魔王城。
その塔の先端で誰かが空を見下ろしていた。
「平均値の男……ふふ、やっと出会えそうね」
リュミエールとは違う声、魔王直属の影が動き出す。
風が赤く染まり、まるで世界が深呼吸をするようだった。
蓮たちの旅は、新たな戦いの予感を抱えながら続く。
(第15話 終)
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