第二十七話 社会学研究室
ドアを開けると、そこはいつもの民俗学研究室とはまた違う雰囲気の一室だった。
ひと口に研究室と言っても、分野によって資料の質や管理体制も違えば、空気も違うものだ。紙の本よりも映像資料の方が多いようなところもあれば、書庫の奥に古文書のような質のものが大量に仕舞い込まれているところもある。
ハードカバーの研究書が大量に並ぶ書庫と、何台ものパソコンが用意された環境は、間取りこそ民俗学研究室と同じだが、室内の雰囲気はずいぶん違って見えた。
唯一、しんと静まり返った気配だけが共通する点だろうか。部屋に踏み入った真紘に続いて戸澤が入室し、後ろ手にドアを閉めた。
かちゃり。ドアノブが回る音が微かに鳴った。真紘は相変わらず、半分夢の中にいるような気分で室内を見渡す。
「……何が見える?」
背後から、潜めた声で戸澤がいつもの問いを投げかける。真紘は何も答えないまま、首を巡らせてもう一度部屋の様子を確認した。
電源の落とされたいくつものパソコンが並ぶ壁際。ぴっちりと閉じられたブラインド。天井で目に痛いほど白く光るLEDライト。事務机。その上に無造作に置かれた、語学の資格取得のパンフレット。左手には開いたままのドアがあり、その向こうは隣室は書庫になっていて、電気の消えた暗がりの中、整然と書架に資料が並んでいるのがぼんやりと見える。
真紘はそちらへふらふらと歩いていくと、車庫の奥へと迷いなく突き進んでいく。戸澤が背後から静かに追ってくる気配を感じつつ、書棚と壁の隙間を探り、そこに隠すように押し込まれていた一冊のノートを取り出した。
「……これ」
真紘がぽつりとつぶやくと、戸澤がドアの脇に戻り、書庫の電気をつけた。明るくなった室内に目を細めつつ、真紘はノートのページを捲る。長いこと書架の裏側にあったからか、一ページごとにふわふわと埃が舞った。
背後から、真紘の肩越しに戸澤がノートを覗き込む。剥き出しの首元に他人の体温を感じて、真紘は居心地悪げに身じろいだ。
「酷いな」
内容を一瞥した戸澤が、端的につぶやいた。
制服を着た女子学生が椅子に座っている写真に、詳細なプロフィールが書き連ねられたノートが十数人分続く。彼女たちは援助交際の当事者らしく、「どこで」「どんな人と」「どんなことをしたのか」といった聞き取り調査の結果らしいものが丁寧に綴られる。
それだけならまだ研究のための資料と言えそうなものだが、加えてそこに記録されていたのは、もっと生々しい暴力と搾取の記録だった。
盗撮らしいアングルの、何枚もの乱れた制服姿や下着姿の際どい写真。彼女たちが体に触れられた際の反応についての仔細な記述。小さく悲鳴をあげた、体を震わせた、不快に顔を引き攣らせた、満更でもなさそうに微笑んだ、等々。
「これです」
真紘はぱらぱらと捲ったページの中から、一人の真面目そうな女子高生の写真を指差した。
「……これが、私」
これが、この写真が私だ。
私はあの男に救いを求め、その対価として身を委ねることを強要された。彼は私をこのノートに書き留め、研究室の奥に隠した。私は盗撮写真とそのネガを処分するように男に求めたが、男は反対にそれらを盾にとって私を脅した。
最初から、親にも言えないようなことに手を出した私が浅はかで愚かだったのだ。追い詰められて、誰にも言えずにあの男に縋ってしまったことも。
冷静な記録者であり研究者であるように見えた男は、しかし私にとっての救済者ではあり得なかった。
写真を奪い返そうとした私の手を押し留め、男は私の体を強い力で拘束した。制服の下に入り込む生温かい手。下着の中にまで侵入したそれが私の体を弄る。ブラウスが引っ張られて嫌な音を立てた。
私は強く目を閉じて、拘束から逃れようと必死に身を捩る。耳元に男の吐息がかかる。
嫌だ。
──嫌だ。
「……嫌だ!」
カシャッ。ジー。
遠くでシャッター音が鳴るのを微かに聞きながら、真紘はくずおれるようにその場に蹲った。
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