第56話 連帯責任
有栖川が日課の素振りを始めると、もうそこに俺の居場所はなかった。
刃が空気を断つ鋭い音が裏庭に響き始めるのを背中で聞きながら、俺は城内への扉をくぐる。
特に行く当てもなく廊下を歩いていると、向こうから修道服を纏った女がやって来た。
マリアだ。
彼女は俺に気付くと、わずかに目を細める。
そして何か面白いものでも見つけたように口元を緩めた。
「こんな所で会うなんて奇遇ね」
「お互いこの城に滞在してるんだし、別に奇遇じゃないだろ」
マリアは一瞬だけ考える素振りを見せた後、小さく肩をすくめた。
「それもそうか」
くすりと笑う。
「でも、ちょうどよかった。一緒にお茶でもどう?」
「いや、今日は遠慮しておく」
別に嫌いだからではない。
マリアと話していると妙に疲れるのだ。
しかし、俺が横を通り過ぎようとした瞬間だった。
「――」
がしりと手首を掴まれる。
「キミって本当に失礼」
マリアは呆れたようにため息を吐いた。
「この元聖女候補の私が、クロウみたいな平民をお茶に誘うことなんて普通はないことなの。本来なら感極まって跪くところよ。わかる?」
「……」
わからないし、分かりたくもない。
「ほら、行くわよ」
「あっ、おい、ちょっと待てって!」
俺の抗議など聞く気はないらしい。
マリアはそのまま腕を引き、ずんずん廊下を進んでいく。
城の構造を熟知しているらしく、一度も迷うことなく角を曲がっていった。
そして辿り着いたのは東棟だった。
「ここが私の部屋よ」
扉を開けたマリアが顎で中を示す。
客人用に用意された広めの部屋だった。
上質な家具が整然と並び、窓の外には見事な薔薇園が広がっている。
修道女の部屋というよりは、どこか貴族令嬢の私室のような雰囲気だった。
「どうしたの。遠慮せずに入りなさいよ」
入口で立ち止まった俺を見て、マリアが面白そうに笑う。
「それとも何? 女の部屋に入るのが初めてで緊張してるとか?」
鼻で笑われた。
確かに女の部屋に入った経験はほとんどない。
いや、待てよ。
レンバース邸の有栖川の部屋になら何度も入ったことがある。
「馬鹿にすんな。女の部屋なんて入り慣れてる」
「へぇー」
マリアの眉が少し上がる。
「意外。クロウって案外モテるんだ」
その言い方だと、まるで俺が非モテ男みたいじゃないか。
地味に腹が立った。
「座って」
促されるまま椅子に腰を下ろす。
マリアは棚から茶器を取り出し、手慣れた動作で湯を注ぎ始めた。
その所作は驚くほど綺麗だった。
孤児院出身だと言っていたが、聖女候補として相応の教育を受けてきたのだろう。
「ローズティーでいい?」
「ああ」
紅茶の違いはよく分からない。
レンバース邸でも出されたものを飲んでいただけだ。
やがて部屋の中に薔薇の甘い香りが広がりはじめた。
「どうぞ」
白い湯気を立てるカップが、そっと目の前に置かれた。「ありがとう」と短く礼を言い、俺はその温もりに手を伸ばす。
「いただ――」
その時だった。
不意に【薬草鑑定】が反応する。
視界の端に浮かび上がった情報を見て、俺は動きを止めた。
紅茶の中に極微量ながら見覚えのある成分が混じっていた。
ソーンルートの派生種。
単体では毒性を持たないが、特定の調合を施すことで精神的な抵抗感を薄れさせる薬草だ。
効果は緩やかで、飲んだ本人が異常に気付くことはほとんどない。
尋問や自白剤の材料として使われることがある。
俺はそっとカップをテーブルへ戻した。
そして向かいに座るマリアを見つめる。
「何か入れただろ」
マリアの指先がぴたりと止まった。
本当に一瞬だけだったが、俺は見逃さなかった。
やがて彼女は小さく息を吐く。
誤魔化すのを諦めたらしい。
椅子の背にもたれ掛かり、足を組む。
先ほどまで浮かべていた愛想笑いは綺麗さっぱり消えていた。
「どうして気付けるわけ?」
わずかに苛立った声だった。
「匂いでバレないように、わざわざ香りの強いローズティーを選んだっていうのに」
「職業柄な」
「へぇー」
マリアは感心したように眉を上げる。
だが、その目は笑っていない。
「異世界人って勇者みたいに戦うことしか取り柄がない連中ばかりだと思ってた」
嫌味とも感心ともつかない声音だった。
マリアは自分のカップを持ち上げ、まるで何事もなかったかのようにひとくち口を付けた。
「単刀直入に言うわ」
「なんだよ?」
「キミのポーションの作り方を私に教えなさい」
あまりにも真っ直ぐな要求だった。
俺は少しだけ考える素振りを見せてから答える。
「断る」
「理由を聞かせてもらえる?」
「教える義理がない」
それが率直な答えだった。
そもそも仮に教えたところで意味はない。
俺のポーションは職業【ポーション生成士】によって作られている。薬草の知識や調合技術の問題ではない。スキルそのものがなければ再現不可能なのだ。
マリアは小さく笑った。
だが、その笑みからは感情が読み取れない。
「義理がない、か。本当にそうかしら」
そう言うと、マリアは窓の外へ目を向けた。
朝の陽光を受けた薔薇園が広がっている。
しばらく眺めた後、彼女は再びこちらに目を向けた。
「キミは異世界人でしょう。グランタリアに召喚された」
俺は否定しなかった。
昨日の騒動で、俺が異世界人であることは城内中に広まっている。
今さら隠したところで意味はない。
「キミたちが召喚されたせいで、私は全てを失った」
「……」
「薔薇園で話したわね」
マリアは落ち着いた口調のまま続けた。
「キミたち異世界人が来なければ、私は今も聖女候補だった。地位も名誉も富も、全部手に入っていた。将来も約束されていた」
そこで一度言葉を切り、俺を見据える。
そして、再び淡々と告げる。
「それを異世界人が奪ったの」
恨みや怒りをぶつけてくるわけではない。
ただ事実だけを述べるような口調だった。
「だから責任を取ってもらいたいのよ」
俺はしばらく黙ったままマリアを見つめた。
灰色がかった青い瞳が真っ直ぐこちらを見返してくる。
冗談ではない。
脅しでもない。
本気だった。
自分の理屈が歪んでいることに気付いていないのか。
それとも気付いた上で正当化しているのか。
どちらにせよ厄介だった。
「だからって、何で俺が責任を取らないといけないんだよ。俺には関係ない話だろ」
「そう?」
「俺はお前から何も奪ってない」
「連帯責任よ」
マリアは即答した。
「異世界人は私に謝罪し、何らかの保証を行う必要がある」
「そんな理屈通るわけないだろ」
マリアは首を傾げた。
本当に不思議そうな顔だった。
まるでこちらが理解できないことの方がおかしいと言わんばかりに。
その反応を見て、俺は内心でため息を吐いた。
話が通じない。
いや、正確には通じている。
通じた上で受け入れる気がない。
それが一番面倒だった。
マリアがカップをソーサーへ戻すと、小さな陶器の音だけが、静まり返った部屋に小さく響いた。
「クロウの意見は聞いていないわ」
穏やかな声だった。
「私がそうしてって言ってるの」
感情的な圧力ではない。
だが、その言葉には妙な確信があった。
いずれ自分の要求は通る。
そう信じて疑っていない人間の声音だった。
俺は椅子から立ち上がった。
これ以上この部屋にいても得るものはない。
むしろ危険だ。
「お茶の礼は言わないからな。一口も飲んでないし」
「もったいない」
マリアは肩をすくめた。
「……まあいいわ。クロウもしばらく王城に滞在するんでしょ?」
そして薄く笑う。
「また話しましょう、聖人様」
最後の一言が妙に耳に残った。
敬意も尊敬も感じられない。
からかいとも少し違う。
まるで値踏みするような響きだった。
俺は何も返さず、そのまま部屋を後にした。
扉が閉まる音を背中で聞きながら廊下へ出る。
途端に張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ気がした。
窓から差し込む朝の光が石造りの廊下を照らしている。
だが、不思議と明るくは感じなかった。
俺はわざと足音を響かせながら歩いた。
静かな城内では、俺の足音だけが妙にはっきりと聞こえた。
「面倒なことになったな……」
思わず独り言が漏れる。
マリアの目的は理解した。
ポーションを利用して功績を立てること。
そして聖女候補の座を取り戻すこと。
そのために俺を利用しようとしている。
今日のところは断った。
だが、あの女が一度断られた程度で諦めるとは思えない。
紅茶に細工を施してまで情報を引き出そうとする人間だ。
次は何をしてくるかわからない。
しばらくは警戒を強めておくべきだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、不意に有栖川の顔が頭に浮かんだ。
少なくとも、あいつなら紅茶に薬を盛ったりはしない。
代わりに木刀で殴ってでも聞き出そうとするだろうが。
俺は小さく苦笑し、そのまま廊下の奥へと歩き去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。