第54話 秘密の会合

 国王の執務室に彼らが集まったのは、昨日の騒動から一夜明けた朝のことだった。


 呼ばれたのは三名。


 第一騎士団団長ダーウィン=ストラバリウス。


 レンバース伯爵家当主エレノア=レンバース。


 そして王妃キャサリンである。


 執務室には余計な調度品がなかった。


 壁には王国全土の地図が掛けられ、書棚には分厚い報告書や歴史書が整然と並んでいる。中央には大きな執務机が置かれているだけで、王の部屋としては驚くほど質素だった。


 窓から差し込む朝の陽光だけが室内を照らしていたが、その場に漂う重苦しい空気を和らげるには至らない。


 最初に口を開いたのは国王だった。


「昨日の件だ」


 短い一言。


 しかし、その場にいる全員が何を指しているのか理解していた。


 訓練所で起きた奇跡。


 そして影山という異世界人の存在についてである。


「城内にはすでに、影山殿が聖人であるという話が広まっている」


 国王の言葉にダーウィンが眉間を押さえた。


「そうだねぇ。衛兵から侍女まで、もう知らない者はいないだろうねぇ」


 普段は飄々としている男だが、今日ばかりは表情が冴えない。


「グランタリアと教会が動くのは時間の問題じゃな」


 キャサリンが静かに扇子を閉じた。


「速ければ今週中にも使者が来るかもしれないねぇ」

「うむ。妾もそう思う」


 キャサリンは続ける。


「昨日の訓練所には教会の司祭や白魔道師どももおったのじゃろう。あの者たちが本国へ報告せぬはずがない」


 重い沈黙が落ちた。


 誰もが同じ結論に辿り着いている。


 影山の存在が公になった以上、各国は必ず動く。


 そして何より教会だ。


 グランタリアに聖女が現れて以来、教会の権威は少しずつ揺らぎ始めている。聖女の身柄を確保できなかった教会にとって、新たな象徴となり得る存在は喉から手が出るほど欲しいはずだった。


 瀕死の重傷者を一瞬で完治させる奇跡。


 欠損した肉体すら完全に再生させる力。


 そんな存在を教会が見逃すはずがない。


 影山はまさしく理想的な存在だった。


 だからこそ、影山を安易に城の外へ出すわけにはいかなかった。


「もうひとつ、気になることがございますわ」


 沈黙を破ったのはエレノアだった。


「昨日の訓練所には、元聖女候補のマリアという女性がいたと聞いております。あくまで噂ではございますが、彼女は異世界人に強い恨みを抱いているとか」

「知っておる」


 キャサリンが頷く。


「あの娘は難しい立場におるのだ。教会も扱いに難儀しておるらしくてな。我が国でしばらく預かることになっておる」

「難儀、ですか?」


 エレノアが首を傾げる。


「あれは白魔道師として非常に優秀らしい。聖女候補でなくなった今でも、聖王国内には熱心な支持者が大勢おる」


 キャサリンは小さく息を吐いた。


「中にはグランタリアの聖女こそ偽物だと騒ぎ立てる者までおるそうじゃ」


 その場の空気がさらに重くなる。


「一部の過激派が暴動を起こしかねぬ状況らしくてな。教会は火種を遠ざけるため、あの娘を我が国へ預けたというわけじゃ」

「でしたら尚更、影山様の近くへ置いておくのは危険ではありませんか?」


 エレノアの言葉はもっともだった。


 マリアに敵意があるのなら、距離を置くべきである。


 しかしキャサリンはすぐには答えなかった。


 しばらく考え込んだ後、視線を国王へ向ける。


 代わりに口を開いたのは国王だった。


「マリア殿もまた、我が国の大切な客人であることに変わりはない」

「お言葉ですが陛下」


 エレノアの声が鋭くなる。


「今わたくしたちが第一に考えるべきは影山様の安全ではないでしょうか」

「確かにその通りだ」


 国王は素直に認めた。


「だが、エレノア。現在、各地で魔物の活動が活発化していることは知っているか?」


 エレノアは頷く。


「我が領地レジャスでも先日大規模な魔物の氾濫が発生いたしましたわ。影山様と有栖川様の活躍で大事には至りませんでしたが……」

「報告を受けている」


 国王は机の上の書類へ視線を落とした。


 そこには各地から届いた被害報告が積み上がっている。


「しかし、それはレジャスだけの話ではない」


 国王の声は低かった。


「北部でも東部でも南部でも同じような報告が上がっている。例年とは明らかに数が違う」


 ダーウィンも神妙な顔で頷く。


「騎士団としても不気味に感じているねぇ。偶然で片付けるには件数が多すぎる」

「それとマリアという女性に、どのような関係があるのでしょうか」


 エレノアが尋ねる。


「我が国はマリアを預かる代わりに、教会から白魔道師を優先的に派遣してもらっている。現在の情勢でその支援を失うわけにはいかないのだ」


 そして一度言葉を切る。


 静まり返った執務室で、国王の表情がさらに険しくなった。


「私は近い将来、大きな戦いが起こるのではないかと考えている」


 エレノアの瞳がわずかに揺れた。


「戦争……ですか?」


 しかし国王はゆっくりと首を横に振った。


「わからない。しかし、グランタリアが魔王復活を仄めかしていることは知っているね?」


 国王は静かに言った。


「もしもそれが真実だったなら、戦いは避けられない。その時のためにも、白魔道師を一人でも多く確保しておく必要がある。もちろん、影山殿を蔑ろにするつもりはない。……だが、やはり教会の協力も必要なのだ」


 一国の王としては至極真っ当な判断だった。


 国家全体を見れば、感情だけで物事を決めることはできない。


 しかし――。


「それでもっ! 影山殿の安全を最優先に考えるべきかと存じます!」


 エレノアが強い口調で反論した。


 普段は優雅さを崩さない彼女だったが、今は違う。


 椅子から身を乗り出し、その瞳には抑えきれない熱が宿っていた。


「影山様はレンバース家の客人でもあります。わたくしを失意のどん底から救い出してくださり、陛下方の悲願までも叶えられましたわ。その御方を危険に晒すような真似だけは、決して認められません」


 執務室の空気が張り詰める。


 あまりの勢いに国王がわずかに苦笑した。


「相変わらずだね」


 隣でキャサリンが呆れたように肩を竦める。


「お主は本当に変わっておらぬな。意中の男の話になると、自国の王にも噛みつくのじゃから」

「っ……!」


 そこでようやく我に返ったエレノアの頬が僅かに赤くなった。


「も、申し訳ございませんわ! わたくしとしたことが……」

「よいよい」


 キャサリンが手を振る。


「お主がそういう性格であることは、子供の頃から知っておる」


 そして扇子を閉じると、改めて真面目な表情になった。


「今は、その上で影山をどう守るかという話じゃ」

「……仰る通りですわ」


 エレノアは姿勢を正し、小さく頭を下げた。


「ダーウィン」

「はいはい」

「第一騎士団として動けることはあるかい?」

「城内警備の増強なら可能ですよ」


 ダーウィンは腕を組みながら答えた。


「ただし、武力で教会と正面から対立するのは得策じゃないねぇ。グランタリアまで絡んでくれば尚更だ」

「そこは問題ない」


 国王は即答した。


「外交で抑え込むつもりだ」

「そのためには交渉材料が必要ですわね」

「でしたら、一つ提案がございます」


 エレノアが口を開いた。


「影山様と有栖川様によって、現在レジャスにてイグナーツ=ロベルを拘束しております」

「ロベル公爵家の三男か」


 国王の目が細くなる。


 その名には十分な価値があった。


「公爵家を追われた身ではございますが、グランタリアへの牽制材料にはなるかと存じますわ」

「うむ。妾も同意見じゃ」


 キャサリンが頷いた。


「加えて、コセル村の件も正式に議題へ上げるべきじゃろうな」

「コセル村はレンバース家の領地です」


 エレノアが続ける。


「グランタリアは意図的に瘴気を含んだ作物を流通させ、我が領民に被害を与えました。影山様が原因を突き止め、村人たちを治療してくださったからこそ被害は収束いたしましたが、その事実が消えるわけではありません」

「イグナーツの件と合わせて突きつけるか」


 国王が頷いた。


「そうなれば向こうも強くは出られないだろうねぇ」


 ダーウィンも賛同する。


「影山殿を城で保護している間に、こちらは交渉の土台を整える。それでいこう」


 三人は揃って頷いた。


 ひとまず方針は定まった。


 だが、その場にいた誰もが理解している。


 これは問題の先送りに過ぎない。


 影山という存在を巡る争いは、これから始まるのだから。


 しばらく沈黙が続いた後、ダーウィンがふと表情を引き締めた。


「もうひとつだけ、ご報告があります」


 その声色は先程までとは違っていた。


 全員の視線が自然と集まる。


「昨日、ギヌヌ団長の隊が北の街道で魔族の群れに襲撃された件はご存知でしょう」


 誰も言葉を挟まない。


「近年、あれほどの規模の集団が確認された例はありません」


 ダーウィンは机上に置かれた報告書へ視線を落とした。


「そして問題は北だけではない」


 静かな声だった。


「ここ数週間、各地から同様の報告が届いています」


 国王の眉がわずかに動く。


「魔族が活発化しているのか」

「ええ」


 ダーウィンはゆっくり頷いた。


「しかも以前とは規模が違う。単なる偶然や季節的な変動では説明できません」


 再び沈黙が落ちた。


 窓の外では朝日が城壁を照らし、城下町にも新しい一日が訪れている。


 だが、その光景とは裏腹に、執務室の空気は重かった。


 まるで誰も知らない場所で、確実に何かが動き始めているかのように。


 国王は机上に積まれた報告書を見つめる。


 各地で発生する魔物の氾濫。


 増え続ける魔族の目撃情報。


 そしてグランタリアが口にした魔王復活の噂。


 それらが無関係だと、どうして言い切れるだろうか。


 誰も答えを持たなかった。


 だからこそ、不気味だった。

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