第45話 庭先の決闘

「上等よ! 影山を連れて行きたいなら、あたしを倒してからにしなさい!」


 応接室の空気が一変した。


 女騎士の目が細くなり、背後に控えていた騎士たちも思わず顔を見合わせた。


 そして次の瞬間、騎士の一人が堪えきれずに吹き出した。


「平民ごときが、我ら第一騎士団に剣を向けるというのか。身の程をしれ!」

「向けてないわよ、まだ」


 有栖川は涼しい顔で答えた。

 まるで相手の怒りなど意にも介していないように。


「影山を連れて行きたいんだったら、あたしを倒してからにしなさいって言ってるの。言葉通じないわけ?」


 挑発とも取れる言葉に、騎士たちの顔色が徐々に変わり始めた。


「貴様――」

「お待ちください、アポロネア様」


 騎士の一人が一歩前へ出た。

 その視線は露骨な侮蔑に満ちている。


「この小娘の相手は自分がいたしましょう。アポロネア様にお時間を取らせるまでもありません」


 有栖川は肩をすくめる。


「へえ。あんたが代わりにやるの? あたしは別に誰でも構わないわよ」

「何という減らず口! 貴様程度、この私で十分――」

「下がれ」


 低い声が割って入る。

 騎士の言葉を止めたのは、アポロネアと呼ばれた女騎士だった。


「しかし――」

「下がれと言ったのだ。聞こえなかったか?」


 落ち着いた声だった。

 だが、その一言には逆らうことを許さない威圧感があった。


 騎士は悔しそうに唇を噛みながらも、一歩後ろへ下がる。


 アポロネアは改めて有栖川へ視線を向けた。その眼差しには怒りよりも興味が混じっていた。


 この国において、第一騎士団を相手に啖呵を切る人間など存在しない。

 アポロネアからすれば、物珍しさもあったのだろう。


「貴様、名はなんと申す」

「有栖川アリスよ」

「では、有栖川――貴様のその身の程、存分に後悔させてやろう」


 有栖川は鼻で笑った。


「それ、負ける奴がよく言う台詞じゃない?」


 有栖川の一言に、背後の騎士たちが殺気立つ。


 しかしアポロネアは表情一つ変えなかった。


「面白い」


 その一言だけを残し、応接室を後にする。


 こうして、影山が口を挟む間もないまま、有栖川とアポロネアの決闘が決定してしまった。


 場所はレンバース邸の庭園。


 ほどなくして一行は屋敷の外へ移動する。


 広々とした庭園には緊張感が漂っていた。


 使用人たちが遠巻きに様子を窺い、何事かと集まった者たちが小声で囁き合っている。


 桐島は不安そうな顔で両手を握りしめていた。


「だ、大丈夫なのかな……」

「相手は騎士団なんですよね……」


 隣の水瀬も青ざめている。


 安西だけはいつも通り無表情だったが、その視線は有栖川から離れなかった。


 一方、アポロネアは騎士たちと短く言葉を交わし、庭の中央へ歩みを進める。

 その立ち姿には隙はなく、歴戦の戦士であることが一目でわかった。


 影山はそんな様子を見ながら、有栖川の傍らへ歩み寄った。


「相手はこの国の騎士だ。あまりやり過ぎるなよ」


 小声でささやく影山に対し、有栖川は横目を向ける。

 その表情には不満と自信が半々に浮かんでいた。


「わかってる。ちょっと鼻っぱしらをへし折ってやるだけよ」

「……」

「なによ、その目は」

「いや、わかってるならいい」


 庭の中央で、有栖川とアポロネアが向かい合った。


「両名、前へ」


 立ち会いを務める騎士の男が一歩前に出た。


「これより正当なる決闘を執り行う。互いに異議はないか」

「……」

「コテンパンにしてやるわよ」


 有栖川の言葉に、控えていた騎士たちの顔色が変わる。


「平民ごときが図に乗りおって」

「わざわざアポロネア様が出るまでもないというのに」

「どうせ数秒ともつまいよ」


 嘲るような声が飛ぶ。


 有栖川は軽く舌打ちすると、騎士たちを鋭く睨みつけた。


「うっさいのよ」


 その瞬間、放たれた凄まじい殺気に騎士たちの表情が強張る。


「……!」


 先ほどまで威勢よく声を上げていた者たちが、思わず息を呑んだ。


「互いに異議はないか――では、誓約に従い、勝負を行うことを誓うか」

「誓う」

「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと始めなさいよ」


 礼を欠いた有栖川の態度に、立会人の眉がわずかにひそめられる。


「構え!」


 号令とともに、アポロネアが腰の剣を抜いた。刃渡りの長い西洋剣だ。隙のない構えからは、長年積み重ねてきた鍛錬の重みが感じられる。


 対する有栖川も、ゆっくりと朧月を抜いた。白刃が午後の陽光を受けて鋭く輝く。


 張り詰めた沈黙が庭園を支配した。


「始め!」


 合図と同時に、アポロネアが地面を蹴る。


 有栖川も一歩踏み込み、両者の距離が一瞬で消えた。


 次の瞬間、二人の姿が交差し、金属音が庭園に響き渡る。


 一合。


 二合。


 三合。


 剣と剣が激突するたびに火花が散り、重い衝撃が石畳を震わせる。


 互いに一歩も引かない打ち合いだった。


 騎士たちの表情が変わる。


 先ほどまでの侮蔑は消え失せ、その目には隠しきれない驚愕が浮かんでいた。


「馬鹿な……アポロネア様と互角に打ち合っているだと……」


 一人の騎士が呆然と呟く。


 アポロネアは王国騎士団でも天才と称される剣士だ。

 第一騎士団の中ですら、まともに渡り合える者は団長ダーウィンくらいだと噂されている。


 そのアポロネアと、名もない平民の少女が真っ向から斬り結んでいた。


 いや――互角ではない。


 打ち合いが続くにつれ、少しずつ押され始めているのはアポロネアの方だった。


 有栖川の踏み込みは鋭く、その剣筋は一太刀ごとに速度を増していった。


 対するアポロネアも必死に受け流していたが、有栖川の猛攻を前に徐々に防戦へ追い込まれていく。


 甲高い金属音が途切れることなく響き渡り、受け、流し、防ぎ続けるものの攻勢は一向に衰えず、アポロネアは一歩、また一歩と後退を余儀なくされていた。


 靴底が石畳を擦り、白い筋を刻んだ。


「くっ……!」


 ついにアポロネアの呼吸が乱れた。


 その一瞬の綻びを、有栖川は見逃さない。


 鋭い踏み込み。


 閃光のような一撃。


 次の瞬間、甲高い音が庭園に響き渡った。


 アポロネアの剣が弾き飛ばされ、くるくると回転しながら宙を舞う。


 そして数メートル先の芝生へ突き刺さった。


 静寂が訪れる。


 誰もが目の前の光景を理解できずにいた。


 有栖川の朧月は、すでにアポロネアの首筋へと突きつけられている。

 あと数センチ踏み込めば、アポロネアの命はなかった。


 アポロネアは唇を噛み締めたまま動かない。


「しょ……勝負あり! 勝負ありだ! 武器を収めよ!」


 立ち会いを務める男が慌てて声を張り上げた。


 ようやく我に返った騎士たちの間に動揺が広がる。


 有栖川は無言で朧月を引き、ゆっくりと刀身を鞘へ収めた。

 それからアポロネアを見据え、当然のように言う。


「約束よ。さっさと帰りなさい」


 有栖川が刀を引いても、アポロネアはその場から動かなかった。

 荒くなった呼吸を整えながらも、その視線だけは決して有栖川から離れることはない。


 敗北を認めながらなお折れない意志が、その瞳の奥に宿っていた。


「待て」


 絞り出すような声だった。


「影山が王都に来なければ、エレノア=レンバースの身がどうなるかわからないぞ」


 その言葉に、有栖川の目が険しく細められる。


「あたしに負けたくせに、よくそんな口が聞けるわね。それとも騎士ってのは、約束もろくに守れないのかしら?」

「……っ」


 アポロネアが悔しげに奥歯を噛み締めた。


 反論したいのだろう。しかし決闘に敗れた以上、立場が弱いことは本人が一番理解していた。


「言わせておけば、小娘がッ!」


 怒声が飛ぶ。


 決闘を見守っていた騎士の一人が、怒りを隠そうともせず腰の剣に手をかけた。

 それに呼応するように、他の騎士たちも殺気立つ。


「よせ!」


 鋭い一喝が響いた。

 アポロネアだった。


 騎士たちの動きが止まる。


「私がこの者に敗れたことは事実だ」


 騎士たちは不満を滲ませながらも、それ以上は動かなかった。

 それでも有栖川を睨みつける視線だけは消えない。


「なによ? あんたらまとめて相手してやっても――」

「有栖川」


 影山が諭すように口を開いた。


 有栖川は言葉を切り、振り返る。


「その辺でやめとけ」

「でも――」

「エレノアを見捨てるわけにはいかない。俺は王都に行く」

「駄目よ!」


 反射的に声が上がる。


「罠かもしれないじゃない! 影山が行って、そのまま帰ってこられなかったらどうするのよ!」

「俺が決めることだ」


 影山は短く答えた。

 その言葉に迷いはない。


 一触即発のやり取りを遠巻きに眺めていた桐島が、耐えかねたように割って入る。


「影山くん、考え直してください。危険すぎます」

「私もそう思います」


 水瀬も真剣な顔で頷いた。

 安西も桐島の袖を引っ張り同意する。


「ふみも反対だって言ってるよ」


 三人とも本気で影山を心配しているのだろう。


 影山は三人の顔を順に見たあと、ヘルガへ視線を向けた。


 ヘルガは唇を固く結び、俯いている。

 何かを堪えるような表情だった。


 やがて彼女は一歩前へ出ると、深々と頭を下げた。


「エレノア様を、どうかお救いください」


 その声は震えていた。


 影山は小さく頷き、アポロネアへ向き直る。


「王都に行く。エレノアの所へ連れて行ってくれ」


 アポロネアはしばらく影山を見つめていたが、やがて小さく頷いた。


「承知した」

「影山!」


 有栖川が朧月を握りしめたまま、ずかずかと歩み寄ってくる。


「あたしも行く」

「有栖川」

「止めても無駄よ。行くったら行くんだから」


 真っ直ぐ向けられた碧眼に、一切の迷いはない。


 影山はしばらく彼女の青い瞳を見つめていた。

 そして小さく息を吐いた。


「……わかった」


 有栖川の肩から、わずかに力が抜けた。


 アポロネアは突き刺さった剣を引き抜き、付着した芝を軽く払ってから鞘へ納めた。


 その横顔には、敗北への悔しさだけではない複雑な感情が浮かんでいる。


 有栖川への警戒か、あるいは影山への興味か。

 それは本人にしかわからなかった。


「出発は明朝だ。準備をしておけ」


 それだけ告げると、アポロネアは踵を返した。


 騎士たちも不承不承といった様子で後に続く。


 やがて一行の姿が庭園の向こうへ消えていった。


 残された面々の間に沈黙が落ちる。


 先ほどまでの激しい剣戟が嘘だったかのように、庭園には風の音だけが流れていた。


 王都か、と影山は思う。


 エレノアが何をしでかしたのかはわからない。

 だが、行かなければ何も始まらないことだけは確かだった。


 ポーションは多めに用意しておくべきだろう。


 明智にも連絡を入れておく必要がある。


 考えるべきことは山ほどあった。


 そのとき、隣から小さな声が聞こえた。


「影山はあたしが絶対に守るわ」


 有栖川だった。


 誰に聞かせるでもない独り言のような呟きだったが、その決意だけははっきりと伝わってくる。


 影山は何も答えず、ただ空を見上げた。


 雲一つない青空が、どこまでも広がっていた。

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