第42話 帰る場所

 配信が戻ってから、現場は一気に騒がしくなった。政府車両、救護班、報道ヘリ、海外探索者たちの護衛部隊。誰もが動いているのに、どこか現実感が薄い。


 空は青い。


 だが、全員の頭の中には、あの巨大な“目”が焼き付いていた。


「悠斗君、移動できるか」


 指揮官が駆け寄ってくる。声は落ち着いているが、顔色は悪い。


「はい。大丈夫です」


「大丈夫に見えません」


 真白が即座に言う。


「でも、歩けます」


「歩けるかどうかじゃないです」


 その言葉に、ギガントが小さく笑った。


「世界の穴を殴って塞いだ男が、普通に怒られてやがる」


「笑い事じゃないわよ」


 アルマが睨む。だが、その声にも力はなかった。


 指揮官は悠斗を見つめ、静かに言った。


「一度、施設に戻る。体調確認と、外側についての話を聞きたい」


「……分かりました」


 悠斗は空を一度だけ見上げた。もう何もない。けれど、何もないからこそ不気味だった。


 移動車両の中は静かだった。真白は隣に座り、ずっと悠斗の顔色を見ている。ギガント、龍牙、アルマも同じ車両にいたが、誰も軽口を叩かなかった。


「なあ、悠斗」


 最初に口を開いたのはギガントだった。


「あれ、本体じゃねぇんだよな」


「はい。覗いていただけだと思います」


「……覗いただけで、俺たちを膝から崩したのか」


「そうですね」


「嫌な確認だな」


 龍牙が腕を組んだまま呟く。


「外側……ダンジョンの向こうに、あんなものがいるのか」


「師匠は、そう言ってました」


 アルマが静かに問う。


「武甕槌は、なぜ外側を知っているの?」


 悠斗は少し黙った。


「たぶん、昔、戦ったんだと思います」


「勝ったのか?」


 ギガントが聞く。


「分かりません。でも師匠なら、負けてはいないと思います」


 その言葉には、不思議な確信があった。五百年、一度も勝てなかった相手。その背中は、今でも悠斗の中で最も遠い場所にある。


 しばらく沈黙が続いた後、真白がぽつりと呟いた。


「悠斗さんでも、怖かったですか」


「怖かったです」


 全員が少し驚いた顔をする。


「でも、師匠を侮辱されたので」


「……それで怒ったんですか?」


「はい」


「世界を壊しそうな相手より、師匠を悪く言われた方が問題なんですか?」


「はい」


 真白は額を押さえた。


「悠斗さんらしいですけど……やっぱり基準がおかしいです」


 そのやり取りで、車内の空気が少しだけ軽くなった。


 施設に戻ると、以前とは比べ物にならない警備が敷かれていた。悠斗を見る職員たちの目には、警戒だけでなく、畏怖と感謝と戸惑いが混じっている。


 検査の結果、悠斗の身体に異常はなかった。


「……異常がないのが異常です」


 研究員が疲れた顔で言う。


「そうなんですか」


「はい。普通なら、あれだけの出力を出せば身体が壊れます」


「身体は壊れてないです」


「それが異常なんです」


 悠斗はよく分からないまま頷いた。


 その後、会議室に呼ばれた。責任者、指揮官、政府中枢の人間たち、そして海外勢。空気は重い。


 責任者が口を開く。


「悠斗君。外側の存在は、また来ると思うか」


「来ると思います」


 即答だった。


「理由は?」


「俺を見つけたと言っていたので」


 沈黙が落ちる。


「……つまり、今後の標的は君になる可能性が高い」


「はい」


「怖くはないのか」


 悠斗は少しだけ視線を落とした。


「怖いです。でも、俺を狙ってくるなら、俺が止めればいいだけなので」


 シンプルな答えだった。だが、あまりにも重い。


 指揮官が静かに言う。


「君だけの問題ではない。奴らが君を倒すために、周囲を狙う可能性もある」


 その瞬間、悠斗の目がわずかに変わった。


「……家族や、真白さんたちですか」


「ああ」


「なら、守ります」


 迷いはなかった。


 責任者は慎重に頷く。


「神宮寺家には、すでに警護を向かわせている。真白さんにも専属警護をつける」


「ありがとうございます」


「ただし、君にも協力してほしい。外側への対策を、人類全体で作る必要がある」


「分かりました。何をすればいいですか」


 その素直な返答に、責任者は一瞬だけ目を閉じた。


「まずは、休んでくれ」


「休む、ですか」


「ああ。君が倒れたら、我々は何もできない」


 会議が終わった後、悠斗は施設の廊下を歩いていた。隣には真白がいる。


「悠斗さん。今日、帰れるんですか?」


「家に、ですか」


「はい。ご家族、心配してると思います」


 その言葉で、悠斗は足を止めた。


「……帰りたいです」


 ぽつりと漏れた声は、少しだけ小さかった。


 真白は優しく頷く。


「帰りましょう。世界を救ったんですから、それくらいしていいです」


「……そうですね」


 その夜、政府車両が悠斗を自宅へ送った。家の前には警備がいたが、窓には明かりが灯っている。


 玄関の扉が開く前に、母親が飛び出してきた。


「悠斗!」


 次の瞬間、悠斗は強く抱きしめられていた。


「よかった……本当に、よかった……!」


「母さん。ただいま」


「ただいまじゃないわよ! ニュースで空に飛んでいくあなたを見て、お母さん心臓止まるかと思ったんだから!」


「すみません」


「謝るくらいなら、もう少し普通に帰ってきなさい!」


「普通に……」


『無理だな』


 武甕槌の声が即答した。


「……師匠にも無理だと言われました」


「誰に!?」


 母が混乱する。


 玄関の奥では父が立っていた。無言で近づき、悠斗の肩に手を置く。


「よく帰った」


「はい。ただいま」


 その一言で、悠斗の胸の奥が少しだけ緩んだ。


 世界は騒いでいる。外側は動き始めている。悠斗を狙う何かが、空の向こうにいる。


 それでも、この家には温かい匂いがあった。


「飯、食うか」


 父が言う。


「食べたいです」


「だと思った」


 母は涙を拭きながら台所へ向かう。悠斗は靴を脱ぎ、家の中へ入った。


 五百年ぶりの家。


 変わっていないようで、何もかも違う。


 それでも、ここが帰る場所だと分かった。


 同じ頃、山奥の未発見ダンジョン。その最下層で、黒い亀裂がゆっくりと広がっていた。


『守るものが多い』


 闇の奥で声がする。


『ならば、壊す順番は決まっている』


 亀裂の中から、細い黒い指が一本、こちら側へ伸びる。


『まずは、人間の世界を揺らせ』


 その瞬間、誰も知らないダンジョンの入口が、夜の森に静かに開いた。


 外側は、もう動き始めていた。


====


後書き


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ここから、外側との戦いが本格的に動き出します。


これからも全力で書いていきますので、ぜひ追いかけていただけると嬉しいです!

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